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久下 有貴

KUGE Yuki

保存修復(日本画)研究領域

審査委員
● 宮𢌞 正明(文化財保存学教授)、○ 有賀 祥隆(文化財保存学客員教授)、◎ 荒井 経(文化財保存学准教授)、
木島 隆康(文化財保存学教授)、國司 華子(文化財保存学講師)


1985年 茨城県生まれ
2009年 多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業
2011年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程文化財保存学専攻保存修復研究領域(日本画)修了

(研究助成)
2012年 公益財団法人芳泉文化財団研究助成 「南都仏教絵画の彩色技法および図像に関する研究」
2013年 公益財団法人芳泉文化財団研究助成 「ボストン美術館所蔵「法華堂根本曼荼羅」における作画技法の研究」


ボストン美術館所蔵「法華堂根本曼荼羅」における表現技法の研究

ボストン美術館所蔵「法華堂根本曼荼羅」の想定復元模写

ボストン美術館所蔵「法華堂根本曼荼羅」の想定復元模写

ボストン美術館所蔵「法華堂根本曼荼羅」の白描図

ボストン美術館所蔵「法華堂根本曼荼羅」の白描図


本研究では、ボストン美術館所蔵「法華堂根本曼荼羅」(以下、本図と称する)において、失われた図様と彩色の様式を可能な限り明らかにする。調査資料や実技的見地から本図の想定復元模写を通して、その当初の表現技法や画面構成について考察し、奈良時代における仏教絵画の一端を提示することを目的とする。

奈良時代において、我が国は中国唐朝文化を受容し、仏教公伝以来、鎮護国家の思想のもと国家を挙げて仏教の布教に努めてきた。中国では幾度かにわたる大規模な仏教破壊運動が起こり、現存する仏教美術の遺品が少ないため、日本の奈良仏教美術はその盛唐朝様式を受け継ぐものとして大変貴重な遺品である。芸術的、美術史的に、最も重要なもののひとつである本図は、その描かれる険峻な山容と異国風に表された仏菩薩の表現により注目されてきた。これまで多くの論文等で取り上げられてきたが、中心となる釈迦三尊の台座より下が欠失しており、天蓋上部の山峰背景も損傷が著しい。絵具の剥落、変色や褪色も鑑賞の際に相当の影響を及ぼしている。後世における後補も認められ、その成立や実態においては充分に解明されておらず諸説がある。このような著しい損傷がなければ、本図は奈良時代の彩色様式を研究する上で多大なる影響を与えたものと思われる。本図の正式名称である“釈迦霊鷲山説法図(しゃかりょうじゅせんせっぽうず)”を題材に描かれたものは、敦煌莫高窟壁画、重要文化財「釈迦霊鷲山説法図」奈良国立博物館蔵(鎌倉時代)などが挙げられるが、本図のような山峰を描く遺例はない。正倉院宝物の一部に山容表現の類例が見られる程度である。釈迦説法図は、法華経に記述される釈迦浄土を表し、釈迦が大衆に説法をする場面を描いたものであるから、釈迦三尊以外に数多の聴衆と山容の広がりが描かれているはずである。そして山峰の彩色についても明らかではない。中心に座す釈迦の頭光や法衣の表現に関して、諸尊との比較から、さらに釈迦を引き立たせる表現技法が施されていたのではないかと感じた。
本図に関して現在まで諸論が発表されてきたが、現在では奈良時代に日本で描かれた東大寺伝来の作品とされている。近年では、ボストン美術館による科学的調査も行われているが、技法材料面での研究作業は十分とは言えない。模写には技法研究と合わせて、文献調査や科学調査などの多角的な裏付けと根拠を行うことが必要であり、作家側にも実技と研究双方の視点を持つ事が求められる。この点を踏まえて、本研究では、先行研究において行われた科学的調査のデータや、学術的な要素、同時代の作品との比較等を通して研究を行う。そして、制作した想定復元模写をもとにその表現の視覚的効果を検証し、本図の諸菩薩および山水表現はいかなるものであったのか考察を加えていく。本研究において復元した本図は、日本における最初期の仏教絵画作品というだけでなく、他に類を見ない山容表現を表すものでもある。このように模写を通して形ある作品として残すことで、今後の資料的価値も持つことになり、それと同時にその表現効果について視覚的に提示することができる点で大きな意義があると考える。

「法華堂根本曼荼羅」を対象に、可能な限りの情報収集と多角的な検証を行い、当初の表現について想定復元模写として提示した。特に茶褐色に変色して不明瞭であった山水背景の表現と構造について視覚的に明確にすることができたと考える。その表現については、「山水の変」に準ずるものでありながら墨隈や暈しの表現を取り入れた濃彩画であると思われる。山水の変以前の鉤勒(こうろく)という表現のちょうど中間にあたり、それよりも一歩進んだ表現である。それについては更なる美術史的検証が必要である。釈迦三尊の台座より以下は参考作品が少なく、模写による提示までには至らなかったが、提示した釈迦と聴衆、天蓋等は紺丹緑紫の古い配色ではあるが、緑と青、紫の比重が高い明快な画面構成であることがわかった。また、麻布を継がずに貴重な中国からの舶来品を使用したと思われることは、法華経信仰の上でこの作品が重要な役割を担っていたことが示唆される。実際の制作を通して、麻布の厚みと膠の浸透による硬化および濃彩であることから、掛軸のように巻いて保管するには向いていない作品であり、本図上部の山頂部分は濃彩のために緑青焼けの影響を受けて欠損したと思われる。しかしながら麻布は絹に描くより絵具の発色がとても良く、空高く舞う楽器、雲、曼荼羅華など、賑やかな安穏釈迦浄土を表す本図には適した基底材であったと考える。本図が麻布に描かれた理由や原本に残る彩色の発色の良さについては、まだ技法材料的視点から研究の余地があると思われる。今後の研究課題としたい。

博士審査展展示風景

博士審査展展示風景