審査委員
● 荒井 経(保存修復日本画准教授)、○ 有賀 祥隆(保存修復日本画客員教授)、◎ 宮𢌞 正明(保存修復日本画教授)、
木島 隆康(保存修復油画教授)、大竹 卓民(保存修復日本画講師)
1984年 生まれ
2008年 東京芸術大学美術学部日本画専攻卒業
2011年 東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復研究領域(日本画)修士修了
2012年 芳泉文化財団助成
2013年 芳泉文化財団助成
2013年 三菱商事AGP奨学生
想定復元模写(画面)
想定復元模写と損傷地図(一部)
想定復元模写と損傷地図(一部)
本研究は、東京国立博物館蔵李廸筆国宝「紅白芙蓉図」(二幅)(以下、「紅白芙蓉図」、ピンク色の花を描いた幅を「紅芙蓉図」、白色の花を描いた幅を「白芙蓉図」とする)の画面及び表具形態について、熟覧と科学調査に基づき作成した損傷地図から、新たな知見を示すことを目的とする。
本作品は各幅の色紙大の画面に、それぞれ二輪の花をつけた芙蓉を描いた絵画作品である。描かれているのは画面下部から伸びる花枝のみであり、絵画を構成する要素は極めて少ないながらも、あざやかな彩色や細かな植物観察に基づく写生表現は、南宋宮廷における作画技術と鑑賞眼の水準の高さを伺わせるものである。また、各幅の画面左上の「慶元丁巳歳李廸画」の落款から、慶元三年(1197年)に宮廷画家の李廸(生没年不詳)によって描かれたと分かる。この年代表記により、李廸の規準作とされている。
多くの先行研究や作品解説では、本作品が芙蓉の変種である、酔芙蓉を描いたものであるとしている。酔芙蓉の花は、咲いた朝方には白色のものが夕方にピンク色に変わるという植物的特徴を持っている。本作品に描かれる紅芙蓉図と白芙蓉図が異なる時間帯の酔芙蓉の様子を描いたもので、作品の主題の一つを時間経過の表現と見ることによる。本作品における酔芙蓉の色調の変化と、蕾と蒴果に着目した時間表現についての考察は先行研究に詳しく述べられており、筆者も首肯している。
本研究では2011年に実施された熟覧及び科学調査の結果に基づき、文化財の修理に用いられる損傷地図を作成した。損傷地図の作成によって、本作品の構造的な特異点が明らかになった。
一つ目は、各幅に2本ずつ、ほぼ同じ幅の垂直方向の損傷が見られたことである。垂直方向の損傷は、小景の掛軸作品には物理的に起き得ない損傷であり、極めて珍しいといえる。このような損傷が発生した原因を考察すると、元来は基底材を水平方向に巻いていたと考えると自然である。
二つ目は、2図の基底材の糸目の特徴である。本作品は絵絹に描かれており、経を水平方向に使う横遣いである。さらに、白芙蓉図を右に、紅芙蓉図を左に配すると、絵絹の糸目に共通する損傷が見られる。これらのことから、元来は一枚の絵絹の上に2図が描かれていた可能性が考えられる。
これらの特徴から、「紅白芙蓉図」は元来巻子装であったという仮説を立て、それに基づいた本作品の画面及び表具形態が作品の印象にどのような影響を与えるのか、想定復元模写の制作を通して検証を試みた。想定復元模写は一枚の絵絹に描かれた芙蓉図を巻子装に仕立てるという条件の上に、先行研究に述べられている時間経過の主題を取り入れて作画した。仕上がった作品は、筆者が巻子装に仕立てた。その結果、横長の画面形態に複数の酔芙蓉を描き、巻子装に仕立てることで、花を鑑賞する目線が右から左へ移動し、酔芙蓉の花の変化を感じ取ることができる画面及び表具形態になることが分かった。
この検証から、本研究は「紅白芙蓉図」が元来は巻子装の作品であり、後に改装されて現在の掛軸装に至ったと結論づけた。
巻子装から現状の掛軸装に改装された理由として、従来考えられてきた通り、日本の茶の湯文化の唐絵鑑賞の趣味に合わせたものと推測した。日本の鑑賞趣味に合わせて改装された南宋絵画は多数知られており、本作品も同様であったと考えられる。改装を経て、美しく慶賀な唐絵として受容されていたことは、「紅白芙蓉図」という現在の名称からも伺える。
本研究では損傷地図という手法を取り入れることで新たな研究方法を提示することができた。損傷地図は絵画の表面だけでなく、内部構造や損傷経緯を知ることができる。それらの解明は、研究作品がどのような経緯で現在の画面及び表具形態に至ったのかを示す物的根拠となり、文献資料以外の面からも作品の辿った歴史を知る手がかりとなるであろう。
画面及び表具形態が明らかになることで、さらに新たな研究課題が浮かび上がった。すなわち、絵絹の糸目に対して落款の位置がずれる問題である。本作品の年代表記は美術史研究上の重要な資料であるため、支持体と落款が矛盾することは大きな課題である。これまで字体や表記内容について詳しく研究されているが、今後の更なる研究に期待したい。
また、想定復元模写の制作からも新たな研究課題が得られた。それは、関連する作品や粉本と、本作品の関係の体系化である。筆者は想定復元模写を制作する際に、狩野探幽によって描かれた模写や唐絵を参照した。それによって、李廸筆の芙蓉図に図様が近い粉本が存在することを確認した。歴史的な文献資料に乏しい本作品であるが、模写や模本などを絡めることで、日本における「紅白芙蓉図」の受容について幅広い歴史を明らかにすることができるであろう。