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岩谷 秋美

IWAYA Akimi

芸術学研究領域(西洋美術史)

審査委員
● 田邊 幹之助(芸術学科教授)、越川 倫明(芸術学科教授)、越 宏一(本学名誉教授)、佐藤 直樹(芸術学科准教授)


東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻西洋美術史修士課程修了

主な受賞
2008年 東京藝術大学 サロン・ド・プランタン賞



ウィーンのシュテファン大聖堂

後期ゴシックにおけるハプスブルク家の聖堂造営理念

ウィーンの中心部に聳えるシュテファン大聖堂は、ハプスブルク家の皇帝霊廟として建設された、オーストリア、および、ドイツのゴシック建築を代表する聖堂である。造営はおよそ二百年もの長きにわたり、その期間中に、各時代の最新の様式が導入され、また、施主の意図も移り変わった。その結果、大聖堂には、実に様々な時代の要素が混在しているが、それにもかかわらず、全体の調和が保たれている。先行研究では、大聖堂の複雑な造営経緯、および、建築図像の解明に注力されてきたが、聖堂がうみだす荘厳な効果が、いかなる建築的構造や装飾を通じて導き出されたのか、その原理は、いまだ明らかにされていない。
そこで筆者は、独自の個性をもつ各々の要素が混在する経緯に着目し、各要素の造形と、それが決定された意図を検討することによって、シュテファン大聖堂の造形原理が明らかになると考えた。殊に注目するのは、造営の最終局面となった、15世紀中葉である。この時、ハプスブルク家のフリードリヒ三世(reg. 1440-1493)の命を受けて大聖堂を完成に導いた棟梁には、およそ二つの課題が課されたと仮定した。その課題とは、第一に、造営主フリードリヒ三世の政策上の意図から要請される課題であり、第二に、造営長期化の結果として混在した諸要素を調和的に共存させようとする、審美上の課題である。この両課題を解決することで初めて、伝統と革新性が共存するという、シュテファン大聖堂の独自の造形が実現されるに至ったのである。
興味深いことに、この解決に際し、外観と内部空間で、それぞれ対照的ともいえる方法が採られている。論文では、外観と内部空間を、第I部と第II部に分けて考察し、その特質の解明に努めた。
第I部では、外観における図像、および、造形の考察に基づきつつ、歴代造営主の造営意図に着目することによって、聖堂の造形が決定されてゆくプロセスを明らかにする。ロマネスク期、当時のウィーンの君主であったバーベンベルク家がザンクト・シュテファン聖堂の建設に着手した目的は、ウィーンに司教座を設置し、宗教的独立を果たすことにあった。これは、同家の断絶後も、ハプスブルク家のフリードリヒ三世よって1480年にカテドラル昇格が果たされるまでの約三百年の間、ウィーンの君主とウィーン市民の悲願であり続けた。14世紀中葉になると、ハプスブルク家の権威を示すことを目的として、聖堂は、〈皇帝大聖堂(Kaiserdom)〉という象徴性を担うようになる。ただし、〈皇帝大聖堂〉のシンボルとなる多塔の構成要素として着工された南塔は、ハプスブルク家の内紛が生じている間、同家に代わり造営を率いた市民によって、市民の象徴たる単塔へと変更されてしまった。
以上の変転を経て、1440年、王位に就いたフリードリヒ三世は、〈皇帝大聖堂〉の理念を復活させ、外陣の建設に着手する。この時、外陣には、南塔の大トレーサリーと類似した飾破風が設けられた。先行研究は、南塔の大トレーサリーと外陣の飾破風が調和した関係にあるがために、全てが予め計画されていたと考えた。しかし筆者は、外陣の飾破風については、フリードリヒ三世の治世下における、〈皇帝大聖堂〉のコンセプトの復活を機に、新たに発案されたものと考える。南塔の大トレーサリーという既存モティーフを、外陣の飾破風へ転用するというアイディアによって、市民の単塔と化した南塔を、再び君主の多塔というコンセプトへ取り込むことに成功したのである。
第II部では、15世紀後半に建設された外陣空間を中心に、内部空間について考察する。ここで注目されるのが、外陣にて採用された、段形ホール(Staffelhalle)という特殊な建築タイプと、その独創的なネット・ヴォールトである。両者には共に、ゴシックからルネサンスへの「移行期」という、新しい時代の特徴が観察される。ところが、外陣において、最新の革新的な造形が実現されてしまったため、これより約百年前に建設されていた、古く簡素な内陣空間との間に、齟齬をきたす結果となった。換言すれば、外陣にて段形ホールとネット・ヴォールトを用いる策は、第I部の外観の考察にて観察された、既存の要素を転用して調和的な共存を果たすという解決策とは、真逆の決断だったのである。
先行研究は、段形ホールについて、構造上の副産物と見なし、ほとんど注目してこなかった。また、ネット・ヴォールトに関しても、建築の表層を彩る装飾要素としての価値を認める一方で、その空間効果を積極的に評価することはなかった。これに対して筆者は、段形ホールとネット・ヴォールトの真の意図は、逆説的ながら、空間全体のハーモニーを第一義に置いたものだと考える。すなわち外陣の造形は、「移行期」に発達した新しい表現力を駆使し、旧時代の古びた様相を呈するホール式内陣を、聖域にまで高める効果を狙ったものだったのである。こうして、伝統的な諸要素を、聖堂の秩序の中に取り込みつつ、新しい時代の革新的な空間として、シュテファン大聖堂は完成に至ったのである。