審査委員
● 永田 和宏(保存科学教授)、○ 桐野 文良(保存科学教授)、◎ 稲葉 政満(保存科学教授)、
木島 隆康(保存修復油画教授)、前田 宏智(工芸科准教授)、北田 正弘(名誉教授)
1984年 東京都生まれ
2008年 国際基督教大学教養学部語学科卒業
2010年 東京芸術大学大学院美術研究科修士課程文化財保存学専攻保存科学研究領域修了
2014年 博士審査展での展示
第1章「諸言」で述べるように、日本の鎧は古墳時代にはすでに使用されており、長い歴史を持つ。その歴史の中で鎧は、武器および戦闘方法に合わせて、短甲、大鎧、当世具足など形式が変遷している。日本の鎧の従来研究は形式に着目したものが主であり、材料科学的研究は少ない。よって本研究では、室町時代末期から江戸時代に製作されたと推定される鎧を研究対象とし、 鎧の基本部品である鋼板や鋼線に用いられた鉄鋼材料や製作方法を明らかにすることを目的とした。また、漆が施されている鎧鋼板の装飾方法を明らかにし、加飾と防食効果について検討した。
第2章「和鉄の鍛接方法―炎中の火花「沸き花」発生を鍛接開始の指標とする和鉄鍛接機構」では、鋼板や鋼線の素材となる「和鉄」の鍛接機構について調べた。日本古来の製鉄方法のたたら製鉄により製造した「和鉄」には、「折返し鍛錬」や「積沸かし鍛錬」などの鍛接作業が不可欠である。そこで、鍛冶工程中に発生する「沸き花」が和鉄を鍛接する際の指標となることに着目し鍛冶実験を行った。鍛冶工程中に鍛冶炉の炎が黄色から橙色へ変化するが、これは藁灰と泥から溶融したノロが生成したことを示す。和鉄の鍛接温度は約1300℃であるが、鍛接面ではFeの燃焼により1470℃になり和鉄表面が溶解する。脱炭によりCOガス気泡が発生するときの力で、この溶融したFeが微粉末として気泡中に取り込まれ、またCOガスが放出されたときFeが「沸き花」となる。その状態のとき鍛造することにより、和鉄は接合する。また、和鉄界面に生成したFeOのノロは鍛造により絞り出されるが、一部は鍛接面に非金属介在物として線状に残留する。
第3章「本研究で用いた室町時代末期から江戸時代の鎧試料の特徴」では、対象試料の鎧の
草摺(くさずり)(腰の鎧)、籠手(こて)(腕の鎧)、 肩上(わたがみ) (肩から背中の鎧)、袖(肩の鎧)(各々北田正弘所蔵)と鎖帷子(くさりかたびら)(明珍宗理所蔵)の外観と特徴を述べた。
第4章「小札鋼板の製作方法」では、草摺の小札鋼板について金属組織観察を行うとともに、和鉄を用い鋼板を作製し比較試料とした。小札鋼板の炭素濃度は最小値0.1mass%以下、最大値0.8mass%であり、素材には炭素濃度の低い鋼や、炭素濃度の高い鋼が同時に使用されている。また鋼板には、1種の炭素濃度からなる「丸鍛え」の鋼板や、異なる鋼が積層され鍛接された「合わせ鍛え」の鋼板の2種ある。非金属介在物は鋼板面に平行に線状に分布しており、非金属介在物の本数から素材の折り返し鍛錬は1~3回である。硬度上昇や圧縮応力の観測の結果から、鋼板は地金厚さ1mm程度に鍛造された後、焼なましはされずに、切断、穿孔、整形が行われている。
第5章「籠手、袖、肩上に用いられた鋼板の製作方法」では、籠手、袖、肩上の各部位に用いられた鋼板の金属組織を調べ、以下のことを明らかにした。各部位の鋼板の地金厚さは、1mm程度である。鋼板の炭素濃度は最小値0.1mass%以下、最大値0.8mass%であり、1種の炭素濃度からなる鋼板と、複数の炭素濃度からなる鋼板の2種が観察される。中でも籠手は、炭素濃度の低い鋼を用いた「丸鍛え」の鋼板が主である。一方、袖、肩上、草摺には「合わせ鍛え」の鋼板が多く用いられている傾向がある。
第6章「鎖鋼線の製作方法」では、鎖に用いられた鋼線を金属組織学的に解析するとともに、鍛造により鋼線を作製し比較試料とした。 鎖鋼線の平均炭素濃度は0.11mass%から0.40mass%である。非金属介在物の本数から、素材は2回程度の折返し鍛錬が施されている。また金属組織は、鋼線の軸方向に引き伸ばされて観察される。比較試料や文献調査の結果とも合わせると、まず鋼板を作り、棒を切り出す。棒は焼なましを行いながらダイスを用いて線引きを行い、直径約1mmの線材にしている。線材を鎖の形状に合わせた棒鋼に巻きつけ、鏨で切り、輪にして鎖を組み上げている。
第7章「漆による鎧鋼板の加飾と防食」では、鎧鋼板に施された黒色の塗装部について調べた。結果、地金上には、塗料層、下地層、酸化鉄層が積層している。塗料層では、黒漆が1~2回塗布されており、下地層には地の粉や砥の粉が用いられている。塗装が施されている箇所や、黒漆の外観、金粉や黄銅箔の使用から、漆塗布は鋼板の加飾性を向上させるために用いられている。また、下地と漆が塗布されて地金との密着性が良い部分では腐食の進行が妨げられており、防食効果には地金と下地の密着性が重要であることが明らかになった。
第8章「総括」では 以上の結果を総合し、草摺、籠手、肩上、袖や及び鎖帷子の鋼板や鋼線に用いられている鉄鋼材料や製作方法の特徴をまとめた。また、鋼板に関しては、漆による加飾方法と防食効果についてまとめた。