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皆川 俊平

MINAGAWA Shumpei

油画研究領域

審査委員
● 坂田哲也(絵画科教授)、◯ 佐藤道信(芸術学科教授)、◎ O JUN(絵画科准教授)、小山穂太郎(絵画科教授)、秋本貴透(絵画科准教授)


1982年 神奈川県藤沢市生まれ
東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程 油画 在籍

2005年 桐生再演11(群馬・桐生)
2006年〜 WATARASE Art Project(栃木ー群馬)
2007年 BankART Artist in Studio(神奈川・横浜)
2009年 art_icle ART AWARD 2008 - 2009(東京 / ソウル / 北京)
2011年 中之条ビエンナーレ2011(群馬・吾妻郡中之条町)
2013年 中之条ビエンナーレ2013(群馬・吾妻郡中之条町)


星座的鏡面体 - “渡り”のための方法論

左:reverse mountain 03 / 右:reverse mountain 02 2,273×1,818mm 木枠に綿布・膠地、墨、油彩

左:reverse mountain 04 / 右:reverse mountain 05 2,273×1,818mm 木枠に綿布・膠地、墨、油彩

星と鏡、ほか 星と鏡、ほか

星と鏡、ほか

本論は絵画論である―こうしてルールを定めたのは、本論が形式上での絵画についてのみ述べたものと限らないため、絵画論と定義付けを行なわなければ、行く先を、読む者(それは書く側の私も)は見失ってしまいかねないからであった。
私の絵画制作の根底には一種、乱暴な二元論があった。この二元論からの脱却を意図し、絵画を描くのに必要な動機・必然といった、絵画を描く以前のものごと(メタ)への探求から私の制作は始まった。本論の主題にある〈星座的鏡面体〉とは、こうした絵画制作の変遷を表したものだ。〈星座〉とは、散在した点のような状態にあった多様な制作のためのものごとを、群体として繋ぎ合わせたことを意味している。また〈鏡面〉とは、絵画が孕む鏡像的性質へのメタファーから派生し、社会や環境などとの関係性を表す。
また、先に述べた通り、絵画という枠を越境していることを意図し、本論の副題を〈“渡り”のための方法論〉とした。しかし本論における越境は、美術史で何度も繰り返し語られてきた、古典から近代、そして現代美術の発生といった時間軸での様式的越境ではない。リアリティ(現実認識)と主体の所在にもとづいた、私の制作における独自の越境性を“渡り”と称した。

本論は大きく分け、3つの構成からなる。1章での問題提起を受け、2章と3章が〈呪術〉についての考察となり、4章と5章が〈呪術〉的実践としてアートプロジェクトを捉えた考察、そして6章で自作の展開を交え結論とした。
1章で提示される問題は、視覚表現におけるリアリティへの懐疑である。今日でも〈写実的であること〉が、絵画をはじめとした視覚表現におけるリアリティの源泉であり、これを端的に表すのが〈鏡〉だ。しかし〈鏡〉に映された像は、果たして現実であるのか。ベラスケスの《侍女たち(ラス・メニーナス)》を呼び水とし、絵画が孕む鏡像的性質(映る/映す)への懐疑から思考を開始した。
2章と3章では、1章での問題提起を受け、〈鏡〉とは異なるリアリティを探し出した。2章ではその糸口に、古代文明や民間信仰に見られる〈呪術〉を挙げた。〈呪術〉を用いて、美術の社会的価値のリロード(再読み込み)を行なったが、これによって〈憑依のリアリティ〉の存在を明らかなものとした。3章では、2章で提示した〈呪術〉における越境性の裏付けとして、八重山諸島やミクロネシアなどといった島々を旅したエピソードを挿し入れ、〈憑依のリアリティ〉を具体化した。また〈呪術〉的見地にもとづいて、〈マチスモとフェミニン〉、〈痛み〉、〈ディアスポラ(故郷流離性)〉といったキーワードを用い、現代美術における表現を〈憑依〉から読み解き、〈死者のリアリティ〉へと結んだ。
4章と5章では、〈呪術〉の今日の姿としてアートプロジェクトについて述べた。4章では、続く5章で本論筆者の私が行なうWATARASE Art Project(WAP)を読み進める基礎資料として、アートプロジェクトの類型化を行い、5章ではアートプロジェクトの主宰と実践について述べた。4・5章では、取り立てて2・3章で導き出された〈憑依のリアリティ〉に起因した論述を中心としなかったが、アートプロジェクトにおいて主体が〈協働・反転・伝染・投影〉されていくさまは、〈呪術〉的越境性に相当し、また絵画の内/外を越境する“渡り”へと繋がった。また5章では本論筆者でありWAPの主宰者である私を〈ミナガワ〉という〈物語の登場人物〉にすることでの客観視を試みた。これは〈鏡に映る私(現実)を見る〉という、絵画の鏡像的性質を利用したものでもあったが、〈私が私ではないものの姿に憑依した〉のでもあり、続く6章への長い“渡り”であった。
そして6章を結論―星座的鏡面体―とし、“渡り”を続けた私の絵画制作をまとめた。自作の展開・変遷を交えつつ、『アリスの物語』による〈鏡〉の矛盾に突き当たる。しかしこの矛盾こそ、〈鏡(映る/映す)〉から〈憑依(映す→移す=“渡り”)〉という、今日の新たな(しかし実は古代から続く)リアリティが存在していることの証明となった。

渡り鳥は、飛び発った土地へと再び戻ってくる。渡り鳥に思いを馳せながら、絵画の外へと旅に出たつもりであったが、帰る約束をして旅立った場所は本当に絵画の内であったのだろうか。渡り鳥がときに〈星座〉をコンパス代わりに用いることがあるように、本論は、絵画という〈鏡〉から始まった私の制作の変遷—“渡り”—が、〈星座〉的に繋がれたことによって現代のリアリティの所在を示したものだ。〈星座的鏡面体〉は、私の絵画制作方法であるとともに、現代のリアリティを再構築する旅の地図−“渡り”のための方法論−となった。