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繭山 桃子

MAYUYAMA Momoko

日本画研究領域

審査委員
● 手塚 雄二(日本画科教授)、○ 佐藤 道信(芸術学科教授)、◎ 吉村 誠司(日本画科准教授)、梅原 幸雄(日本画科教授)


1983年 東京都生まれ
2009年 東京藝術大学美術学部絵画科日本画卒業
2011年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻日本画修了


胎内化する都市

-楽園図-

Growing Garden 2013年

Growing Garden 2013年


私たちは一体、自分が位置する土地の姿を“見る”事が出来るのであろうか。
それは自分の肉体を、他人が見るかのごとく客観視する事が不可能であるように、決してその全容を見通す事は出来ないものと考える。
私たちはしばしば、自分の姿が映った鏡や写真を目にしたり、あるいは自らの声を、録音機器などを通じて耳にする時、違和感を覚える事がある。あるいはまた、神経の麻痺した肉体に触れた時、それが自分の肉体でありながら、まるで別の生き物の皮膚に触れるかのような感覚に見舞われる。これらは、肉体を携えた自己という存在が、すべて自己を中心とした思念と、全身に通う鋭敏な神経の上に形作られている事を意味する。
絵画制作を通じて自分を取り巻く土地の概観を捉えようとする試みは、私にとって、鏡や写真を見るように客観視するのではなく、その土地に住む人間として、日常の暮らしの中にその姿を手探るものであると考える。それは、ひたすら葉を咀嚼し続ける芋虫のごとく盲目的であり、変哲もない日々の暮らしを送るだけに過ぎないかもしれない。しかし、そうして土地に根差した人間でなければ見ることのできない、土地の姿があるのではないだろうか。
見知らぬ遠くの街をどれほど写真で認識したとしても、体験を伴わなければ、真の意味での土地柄の理解には繋がらないように、土地の認識には「居住」という体験の中での身体感覚が不可欠である。住まうこと、それは土地に同化し、埋もれていく事である。土地に「住む者」がいなければ、国も郷土も存在し得ないはずである。
「国家」あるいは「民族」を意味する“nation”が、そもそもラテン語の“nasci”「生まれる」を語源に持つ事からも、国土の擁するそれぞれの地は、その国に生まれ、あるいは自らを位置付けた人々のアイデンティティそのものの姿と言える。土地に根差す事とは、それぞれの土地柄を育む固有の文化の中に、自らの根拠を見出す事ではないだろうか。それは、自身を育む土壌に愛を持つ事とも言える。ここで言う「愛」とは自己愛にも似て、本能的に危機に晒されない安全な状態を望み、その安全を維持するために「護り、護られた状態」を望む事であると考える。
郷土としての「都市」をテーマに作品を描く私にとって、作品の背景には、都市の“内側に住む人間”としての「護り」と「断絶」の意識が潜在する。本論の主題に示した『胎内化』という言葉もまた、「護り」を意味する。私は都市を、子を安全な胎内に宿す母親のように、外の危険から内側の人間を隔離し、護り、包み込む性質を持つものと考える。
都市の構造そのものが、自然界から過剰に護られた人為的な空間領域であるように、作品に描かれた「都市」は、例えば都市に対する自然、あるいは自己に対する他者といった、二極化した世界の「外側」に属するものを排した、「内側」の世界の象徴である。
「内側」を護ることは同時に「外側」を排除する事である。双方を分け隔て差別化する事によって、「内と外」の意味は強まり、互いに作用し合うのではないだろうか。こうした「内と外」という意識は、自身の制作動機と密接に関わりあってきた。本論では身近な環境としての「都市」を基軸に、自身の表現の根拠を言及するにあたっての足掛かりとした。そして論考を進める中で、「都市」という共同体と、絵画制作の上での個人の「内的世界」という、相反する概念を結ぶ道筋を示した。

Polyphonic World 2013年(部分)

Polyphonic World 2013年(部分)

In The Womb 2013年

In The Womb 2013年