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福島 雅子

FUKUSHIMA Masako

芸術学研究領域(工芸史)

審査委員
● 片山 まび(芸術学科准教授)、佐藤 道信(芸術学科教授)、松田 誠一郎(芸術学科教授)、須賀 みほ(芸術学科准教授)、丸山 伸彦(武蔵大学教授)


東京芸術大学大学院美術研究科芸術学専攻工芸史修士課程修了

主な受賞
2006年 東京芸術大学美術学部杜の会「杜賞」受賞
2008年 服飾文化共同研究拠点・文化ファッション研究機構研究助成
2009年 メトロポリタン東洋美術研究センター研究助成
2010年 鹿島美術財団「美術に関する調査研究の助成」
2011年 平山郁夫奨学金



徳川家康所用服飾類の研究

近世初期の武家服飾研究において、徳川家康(1542-1616)所用と伝えられる服飾類は、家康没後の遺産相続目録である「駿府御分物帳」記載の遺品と考えられる作例が多数伝世するなど、伝来の確かな染織遺品として極めて重要な作品群といえる。また、これらの作品群が制作された桃山時代から江戸時代初頭にかけての時期は、大袖から小袖への服飾形式の大きな転換期であるとともに、江戸時代を通じて武家服飾の規範となる形式の成立期でもあり、当該作品群はこの一大過渡期の特徴を顕著に示す好例といえる。しかし現在、これら諸作例の日本服飾史上における位置付けや、江戸時代を通じて武家服飾に与えた影響については、十分な検討がなされているとは言いがたい。このような状況を踏まえ、本論では、徳川家康という所用者に着目し、他に類を見ない中近世移行期の現存する服飾類の遺品群として徳川家康所用服飾類を考察の対象として捉え、その日本服飾史上における位置付けと創出の意義を明らかにするとともに、江戸時代を通じて規範となった武家服飾形式に及ぼした影響について導き出すことを目指した。
まず、第Ⅰ部「辻が花染の服飾類」では、徳川家康所用の辻が花染遺品を詳細に検討することにより、中近世移行期に新たな近世的服飾文化が創出された過程を再検討し、家康所用の辻が花染の服飾類がそのような大きな転換期に果たした役割について考察した。第1章では、家康所用の辻が花染服飾類について、各作例の伝来に注目し、駿府御分物と下賜品に分けて検討を進めた。さらに第2章では、東京国立博物館所蔵「白紫段練緯地葵紋散模様陣羽織」について、付属する畳紙墨書内容を検討し伝来を再考するとともに、技法と形態に関する諸問題、ならびに葵紋散らしの意匠に関する考察を行い、その制作年代が桃山時代前期に求められる可能性を指摘した。第3章では、辻が花染の遺品群の中でも、その終尾に位置すると考えられる東京国立博物館所蔵「白練緯地松皮菱竹模様小袖」について考察した。
続く第Ⅱ部「小紋染服飾類の展開」では、現存する家康所用の小紋染服飾類について、これまで言及されることのなかった小紋染の技法や使用された型紙の大きさと生地の関係等について検討し、近世初期の武家服飾における小紋染の展開に家康所用小紋染服飾類が果たした役割について考察した。まず第4章では、近世初期における小紋染の展開を、紀州東照宮所蔵「紺地宝尽小紋小袖」を中心に論じた。次に第5章では、徳川美術館が所蔵する家康所用の小紋染の小袖および裃類をとりあげ、調査結果に基づいた技法や意匠等に関する分析から、これまで言及されることのなかった小紋染の技法や使用された型紙の大きさと生地の関係等について検討した。さらに第6章では、家康最晩年の所用品と考えられる江戸東京博物館所蔵「萌葱地葵紋付小紋染羽織」を中心に、小紋染技法の発展と、江戸時代以降に規範となった武家服飾形式の成立について考察した。
さらに第Ⅲ部「近世武家服飾の形成」では、近世初頭において広袖に替わり広く中心的な衣服となった小袖に配される家紋などに注目することで、家康所用服飾類を通して近世武家服飾の形成過程を検討し、さらに家康所用の服飾類が江戸時代を通じて規範となった武家服飾形式に及ぼした影響について考察した。まず第7章では、家康所用の小袖類における五つ紋の形成過程について、特に規範成立期の過渡的様相を強く示していると考えられる小袖類に注目し検討を進めた。続く第8章では、雁金屋関係資料のうち雁金屋の呉服注文台帳類にみられる徳川家康および徳川将軍家の服飾に関する全ての記述を検討し、服飾類の制作者側の史料より、五つ紋などの定型化の流れや徳川将軍家が制作させた服飾の傾向を読み解いた。さらに第9章では、徳川家康所用服飾類について、その服飾様式を包括的に考察することにより、近世初期の武家服飾の形成過程を解明することを目指した。
最後に結論として、徳川家康所用服飾類について、その服飾様式を包括的に考察した。本論におけるこのような様々な側面からの考察の結果から、今一度、家康所用の服飾類について日本服飾史の流れの中でその位置付けを捉え直せば、それは服飾史上の最も大きな転換期に、これまでにない服飾形態と技法の組み合せにより成し得た、家康が目指した徳川将軍家と武家を中心とする統治制度を具現化するための、新たな武家服飾の創出と捉えることができる。家康所用の服飾類において確立された武家服飾の規範は、徳川将軍家に受け継がれるとともに、諸大名にも影響を及ぼすことで、個人の服飾の要素から、江戸時代の武家服飾形式を形成する基本理念へと昇華し、江戸時代の武家服飾形式の源としての大きな役割を果たしたといえるだろう。