「消滅、虚無」の臨界に近づいていく様態を「儚の進行態」と私は呼ぶ。「儚 の進行態」は消失後に無に帰すわけではない。新たな別の形の存在に転化、 継承され、見た目は違っても新たな物語を生み出す。それは「終わりの始まり」ではなく、「始まりの始まり」でもある。
五重塔は唐から日本に伝わったが、いつしか日本独自の特徴を持つ独立した建築様式となった。 建築は記憶の器である。中国から来日した私にとって五重塔は自身の人生を象徴するものでもある。 私が個人の内面を象徴する五重塔を融かすのは、自我を溶かし、また環境と融合させるためである。 環境による再構築を受け入れる事は、消滅の先の新たな可能性を示唆する 。
聖なる城は自分の姿を失う事で姿を現すのである。 過去の時間は去っていき、未来は凄まじい勢いで押し寄せてくる。我々は物事を失い続けるとともに、新たな物事を生み出している。熱という潜在的なエネルギーは混沌と流動をもたらす。この作品では加熱のタイミングをランダムにする事で、作品の変化を不規則に進行させている。時の一方向の流れの中で作品の変化はランダムに、しかし確実に進行していく。 五重塔が融けていく不可測的な変化を通して、我々は「儚の進行態」の顔を見ることができる。それは、成りかける者・存在する者・過去の者の三者の顔を同時に持つ顔であり、 我々の未来の姿でもある。