→油画・壁画
「フェミニスト」から「蛇」へ

 表象と物語を演じる複合的実践の研究

遠藤麻衣

→審査委員
中村 政人
 李 美那 齋藤 芽生 清水 知子 福住 廉

 筆者は、俳優・美術家として演劇やパフォーマンスや映像、そしてZINE などを制作している。イメージやテクストを書くこと、またそれらとの関係性の中で⽣成されるパフォーマティブな⾝体に着⽬し実践的に取り組んできた。
 本論では、筆者が2015 年以降の筆者の芸術実践とそこから⽣まれた問題意識の変遷を扱う。本論の⽬的は、⾃作を美術史的に位置付けることではなく、社会や⽂化がジェンダーやセクシュアリティといったイメージ(image)をどのように作り上げ、表象( representation )を⽣み出しているのかを明るみに出すと同時に、⾃作をフェミニズム/クィア理論と重なり合った芸術実践の中に位置付けることである。
 本章は三章構成(「序」と「結」を除く)である。各章の概要を記す。
 第⼀章では、筆者の初個展《アイ・アム・フェミニスト!》( 2015 )をもとに、「フェミニスト」のイメージをどのように演じ、表象を揺るがすことが可能なのかを考察する。題材である「フェミニスト」について、そのイメージが作り出された過程を明らかにするために、90 年代から2000 年代にかけてのバラエティ番組、反フェミニズムの運動、ポストフェミニズムの⾔説を確認する。さらに、⾃⾝の作品でとった⼿法を分析するために、⾃⾝の⾝体で上演することで視覚性をパフォーマティブ・アクションへと展開させた、マーサ・ウィルソン(Martha Wilson, 1947-)や森村泰昌(1951-)らの先⾏作品との⽐較を⾏う。そして、視覚性を焦点とすることによって⽣じる課題も明らかにする。
 第⼆章では、筆者⾃⾝の結婚をテーマにした演劇《アイ・アム・ノット・フェミニスト!》( 2017 )をもとに、結婚という制度をどのように転化し、運⽤することが可能なのかを考察する。その際に、題材である結婚において前提とされている異性愛主義的な規範を明らかにするために、⽇本の婚姻制度に関する歴史や法律を確認する。また、それらの制度を多⾓的な視点から⾒るために、⻄欧と東欧との差に焦点を当てたターニャ・オストイッチ(Tanja Ostojić, 1972-)や、異性愛主義的な結婚制度を疑う森栄喜(1976-)らの先⾏作品との⽐較を⾏う。《アイ・アム・フェミニスト!》が展覧会として主に視覚的な表象を取り扱った作品であることと⽐べ、《アイ・アム・ノット・フェミニスト!》は⾃⾝の⽣活に浸透するような持続性のある芸術実践を試みたものだった。これらの実践から⽣まれてくる問いに関して、⻄洋的な⾃由と⾃律を求める願望を普遍と前提する⽩⼈中⼼主義的なフェミニズムを拒否するクィア理論家のジャック・ハルバースタム( JackHalberstam, 1961- )の「シャドー・フェミニズム(shadow feminism )」という概念を⽤いて考察する。
 第三章では、⽇本と韓国に伝播している蛇交譚から着想を得た〈蛇に似る〉(2018-2020 年)をもとに、物語をクィアする芸術の実践と理論を⽰す。本作品は筆者の博⼠作品であり、作品を制作するにあたって⾏った調査から⾒えてきた蛇交譚の系譜をまず⽰す。そこから、どのような⼿法を採⽤するかにあたって参考にした、曲亭⾺琴(1767-1848)や、シモ・ケロクンプ(Simo Kellokumpu, 1972-)のヴァンサン・ルーマニャック(Vincent Roumagnac, 1973-)と⽮沢直との共同制作などの先⾏作品との⽐較を⾏う。
《蛇に似る》は、第⼆章で取り上げた《アイ・アム・ノット・フェミニスト!》から⽣まれた問題への⾃⼰批判から発展しており、表象したり語ったりすることの試みを、⻑い時間の流れの中で捉えなおすことでプロジェクトとして展開したものである。これらの実践から⽣まれてくる問いに関して、記憶や忘却や証⾔について、単純な図式に還元することを回避しながら個⼈の⽣きるプロセスの中で思考する李静和(リィ・ジョンファLeeChong-Hwa )『つぶやきの政治思想』( 1998 )の「ヴェーリング」を、ジャック・デリダ( Jacques Derrida, 1930-2004 )の「ヴェール」と接続させて考察する。また精神科医でありトラウマやジェンダー研究を専⾨とする宮地尚⼦(1961-)の「環状島モデル」におけるアイデンティフィケーション(同⼀化)の理論を批判的に展開しながら、他者と共にフィクショナルな物語を作ったり、語ったりすることの芸術実践としての可能性を探求する。