→日本画
錆と劣化の形象化 -表層の破壊-

岩谷 晃太

→審査委員
吉村 誠司
 佐藤 道信 髙島 圭史 宮北 千織

 錆とは、金属の表面の原子が酸素や水分によって腐食することで、酸化物あるいは水酸化物が生じる化学的な現象である。しかし、その現象を見る私には、錆や腐食という劣化は物質本来の姿からまるで新たな形を与えているように思え、時に美的感覚や想像の余地を与えてくれる。それは錆という劣化が、物体に偶然による形象を与えてくれていると言い換えることができる。
 本論文では、私の創作活動に大きな影響を与えている物質の表面に発生する錆や劣化を、絵画表現に転化させる過程を導き出し、ダメージがもたらす表現を取り入れ、新たな絵画を生み出そうとしている自身の絵画制作について論述するものである。
 本来、絵画において剥落や傷などの破損は作品の質を落とすものであり、避けるべきダメージであると言える。しかし私は無意識のうちに古い絵画や美術作品にできた偶然の破損、また古びた市中の道路や建造物などの劣化の中に破壊が作り出す現象の美しさを感じていた。そのような美意識は一体どこから生まれたのだろうか。
 骨董品の持つ魅力の一つとして、完成された新品では出すことのできない、前の持ち主の残した痕跡や、経年劣化によって偶然生まれたダメージの図像に感じる美しさが挙げられる。また、欠けた部分を金継ぎしてできた陶器などは、人が意図して破損というダメージを利用し、作品の魅力の一部を変化させた美意識の現れである。他にも、皮革製品において美しいとされるエイジングと呼ばれる経年変化や、あえて化学製品で色を退色させるケミカルウォッシュや石と一緒に洗濯し傷を付けて作られるストーンウォッシュのダメージジーンズなど、人が古い物や傷などの持つ特有の美しさに惹かれる感性を持っていることを示す例には枚挙に暇がない。それらの美意識は私の作品制作にも大きな影響を与えている。
 本論文は3章で構成される。以下に本論の章立てを述べる。
 第1章「錆と劣化への憧憬」では、自らの絵画制作を遡及した結果、切り離すことのできない幼少時からの生活環境の中で発生した原風景の記憶と錆と劣化への憧憬、およびその経緯について述べる。私の育った東京の下町では統一した建築様式がなく、特に戦災を逃れた地域では戦前、戦後の建物が混在していた。耐久年数を超えた建物の外壁などは、金属が酸化し表層が破壊され下層の色彩を露出させるという錆の現象が身近な環境にあり、それらを見て感じていた破壊された物体への本能的な美意識の芽生えについて言及する。
 第2章「絵画表現への利用」では、絵画や美術作品の経年劣化と、それに対して作者自身が自らの絵を絵画表現の一部として恣意的に破壊する行為について実例を挙げながら見解を述べる。アプローチの異なる二つの種類の破壊と、共通の美意識の所在を探る。また、いつから人は作品の質を落とすダメージを魅力ある表現の一部ととらえ始めたのかについて考察する。
 第3章では、博士審査展への提出作品及び自作品のモチーフとして多く登場する線路や電線、人工物の持つ意味について明示する。非対称、非直線こそが自然の定理であるならば、線と線とが結びつき互いに交差しながら作られる線路は、人間の営みから発生した構造の象徴である。なおかつ風雨によって金属の錆という劣化の要素を含んだ姿は私がモチーフに求めていた景色なのである。過去の美術史の中で描かれた線路や人工物、その作家の意図などの実例を交えながら自作品について解説する。
 終章では、本論文のまとめと今後の展望について述べる。