→日本画
往来する身体

古山 結

→審査委員
齋藤 典彦
 佐藤 道信 宮北 千織 海老 洋

 絵を描いている時、私の意識は画面と自分の内側とを行ったり来たりしている。画面を見ては、考えながら手を動かして、描きたいことの輪郭を探している。絵を描くと、必ず予測していないことが起こる。予定どおりの色を置いても、予定どおりの図像を描いても、実際にやってみると少しずつ〝ずれ〟が生じる。絵を描く時に起こる〝ずれ〟について、以前から気になっていた。私はこの〝ずれ〟を引き受けて、手を動かし、自分が表したい〝何か〟を探り当てようとする。この〝何か〟 は、常に判然としない部分を持っている。本論は〝制作〟と〝描くこと〟との繋がり、そこに生まれる感覚を手掛かりに、自制作や自作品と自己との距離を確かめ、自間する試みと論述したものである。
 私にとって〝描く〟ことは、言菓に似ている。自身の抱いた気持ちや感覚、考えについて誰かと対話するように、何かに書き留めて整理するように、描くことで内省を促し、思い巡らせていた。言菓で例えるなら、描くための理論や技術を得ることは、幼児が語彙を獲得していくように、自己の内界を表現する術を拡張することだった。私にとって、絵は、日々思っていること、感じていることが自然に反映されていくものであり、〝描く〟ことは、もともとそうした表現の役割を引き受ける手段のひとつだった。私は〝描く〟ことと築いてきたこのような関係性を、日本画材を用いた“制作 へと取り込んだ。私にとって〝制作〟は、〝描く〟ことが持つ性質を引き継ぎつつも、〝描く〟こととは少し異なる性質を卒んでいる。
 〝制作〟に取り組み始めたことによって、扱う画材や大きさ、「絵を描く」「絵を見る」と いった環境は変化した。例えば、日本画材の物質感は私にそうしたずれを強く印象付けた。制作を始める以前から「絵を描く要素」の主軸にあった、「色」と「形」と並んで、「質感」の抑揚について、考えるようになっていった。実際の絵と撮影した画像を見たときに、違和感を感じたことがないだろうか。絵具の物質感が色によって異なる日本画材では、それまで描いていたような表現でそのまま絵を描くと、図像や色で構築した空間に対して筆触や質感との抑揚にずれを感じることがある。
 当初〝描くこと〟のなかにあったイメージと現実との“ずれ は、〝制作〟と〝描くこと〟とのずれを通して、さらにその存在への意識を強めた。制作のなかで生じる〝ずれ〟が必然的なものなら、〝ずれ〟をより自制作となじませる、あるいは意図的に関わる方法を探りたいと考えた。そのように自制作を模索していくなかで、自制作の中心にある「身体」との関わり方に着目していった。
 本論で取り扱う「身体」とは、「感覚を伴い生きている私の身体」であり、それは自己と外界との境界で揺らぎながら、往来を繰り返す存在である。自身の身体を介してしか、感覚は生まれない。偵に体験に触れる身体と、その体験から発生する感覚や意識との〝ずれ〟 によって、私は外界との境界に触れ、確かめている。身体は、環境や社会や世界といった外界に分断されずに存在していると同時に、「外界と自己」「他者と自己」とを確かめるための境界でもある。外界も、自己も互いに干渉し合いながら常に変化し揺らいでいるとすれば、その境界面には、摩擦が生じ、〝ずれ〟が存在しているのではないだろうか。
このような関わりは、制作にも置き換えられると感じる。多くの作家が言うように、作品と作者の接点は、物質と自身の身体であり、私の場合は画面と絵筆を持った自らの手、または画面に偵接触れる指や、それを見る目である。その接点とは、いわば外界と自己との境界線であろう。画面を描くことで、感覚を伴った身体は、外界と自己の内界とを行き来している。その行き来の痕跡が、作品となっているのならば、私が描くなかで探り当てようとしている〝何か〟とは、なんなのであろうか。この間いに対する明確な解答を、私はまだ見つけられていない。自制作は、この間いのなかを方皇うように展開してきた。
 本論文は3章構成とした。第1章「往来する身体」では、私自身の体感から得た「描く ことと見ること」への気づきを示し、絵を描く際に切り離せない「感覚」のなかで、私がより制作に密接な関わりを持つと考える領域について示すとともに、制作によって生まれる「身体が往来する」ような感覚について言及し、自身の制作に対する考えを述べた。
 第2章「境界で揺らぐこと」では、自制作における思考の変遷について述べた第1章の 論述を踏まえ、実際の作品と、制作当時の意識の変遷をたどることで、制作の結果である作品の視点から自制作を考察した。作品表現の変化や、ダンスのドローイングによって得た「モチーフとしての身体」への気づきから、自作品での意識を言語化することによっ て、自制作の中核となる要素について述べようと試みた。
 第3章「提出作品「体の中にあることば」」では、提出作品に繋がる現在の制作の具体的な課題と、提出作品の着想から制作過程について解説した。そして「おわりに」で今後の課題と展望を述べ結論とした。