→先端芸術表現
人形写真論

菅 実花 

→審査委員
伊藤 俊治
 長谷川 祐子 鈴木 理策
 新島 進 小谷 元彦

 古来より人間は様々な人形をつくってきた。世界各地の神話や説話の中にも、人形に魂が宿って動き出すといった、人造人間に連なる物語がみられる。やがて工学技術の進歩によってからくり人形が作られるようになり、現代のアンドロイド・ロボット開発へと続いている。その背景には、技術的進歩に伴う人間観の変化が見て取れる。社会における人形の有り様を分析し、人形と人間の関係を紐解くことは、人間そのものを知ることに他ならない。
 筆者は等身大人形を題材としたアートプロジェクトを現代美術の領域で展開し、一連の写真・映像作品を発表してきた。「ラブドールは胎児の夢を見るか」(二〇一六年)、「人形の中の幽霊」(二〇一九年)、「あなたを離さない」(二〇二〇年)は、さまざまな人造人間の表象の系譜を参照しながら、最先端の発生生物学や高度生殖医療が私たちに提示した新たな身体観や生殖の在り方を主題として「人間と非人間の境界」を問うものである。
 本論の表題である「人形写真」とは、人形を被写体にすることで独自の表現効果が生み出された写真作品を指した言葉である。「人形写真」は撮影後に画像加工をしないことで事実の痕跡を示すと同時に、作り出されたイメージによって偽物を本物と錯覚させる作用を持つ。美術史・写真史におけるその初出は一九二〇年代のバウハウスの実験写真の内に見られる。これ以降、等身大のリアルな人形を撮影したフィルムによる「人形写真」が何人もの写真家や美術作家によって制作されてきた。とりわけ人間と見分けのつかない精巧な人形の写真は、特に人間の認識を揺さぶるものだろう。しかし、今日では写真といえば画像加工が容易なデジタル写真であることが前提になっており、簡単にレタッチによるフェイクの写真を作り出すことができる。しかも写真を通して形成される人間の姿形の認識も変容しているため、人形的な人間の描写に違和感を持たなくなっている。したがって、もはやフィルム写真時代のようには「人形写真」は成立しなくなっていると言えよう。
 本論は、現代における「人形写真」の構造と表現効果の範囲を実践的立場から明らかにすることを目的とする。全体を通して、これまで「人形写真」を制作してきた筆者の自作のリファレンスを例に、被写体である「人形」と手段である「写真」の二つの観点から考察を進める。