→油画・壁画
オブジェクトの透明性

石塚 嘉宏

→審査委員
中村 政人
 川瀬 智之 西村 雄輔

私たちは、身の回りにある何らかの存在を指してオブジェクトと呼ぶ。美術的な観点から見れば、この用語は作品の素材や作品そのものに対しても用いられるが、作品を構成する上でも(映像作品などの物質的な造形を重視しない作品群を除いて)重要な意味を与え、それらの組み合わせや加工の仕方によって表現行為は成立している。本論文では、これらオブジェクトが持つ性質について考察する。現象学的な見地を下地として、存在に対する認識を私たちがどう行なっているかを読み解いていき、またこれまでの作品制作と既存の美術運動の対比も行う。そして翻っては、それらオブジェクトの表層を覆う意味内容をすり抜けて、本質すらも透過していく見手の視線についても言及していく。このような一連の作用を見ていくことで、オブジェクトの定義を見直し、その可能性について論じる。
 本論文は主として3章から成る。
 第1章「ものを通り過ぎる視線」では、本論の重要な基礎概念となるオブジェクトの性質について述べる。まず初めに私たちの基本的な認知について確認し、またそれとは異なる現象学的な見地からもオブジェクトを見ていく。メルロ=ポンティは、視覚的な像の配置こそが私たちに現前する世界の姿そのものであると述べているが、このような現象学的な世界の捉え方は、ある全体性(ゲシュタルト性)をもってオブジェクトを捉えることであり、またそれはオブジェクトの視覚的な形態の重要性へと還元できる。つまり、私たちが像を捉えた時のオブジェクトの全体的な見た目(=その形態)が「存在のメタファー」として、そしてそれが本質を予感させる代替物として、見手が意味を知覚する以前に起こる存在の主観的な認識であることを述べる。そうした見手の志向性によって事物が透過し、私たちから埋没していく作用を確認する。
 第2章「美術の様相」では、1章で導き出したオブジェクトの性質を芸術にも適用する。ここでは現代の複数の芸術傾向にとって事物がどのように扱われているのかを具体例を挙げながら包括的に見ていくことを目的とする。それらはものを見ない傾向として一様に定義することができるが、ソーシャル・プラクティスやメディア・アートをその一例として取り上げる。
 第3章「美術的存在としてのオブジェクト」では、オブジェクトについてのこれまでの考察をベースにして、いかにそれを芸術へと変容させることができるのかを主題として論を展開する。近似した美術動向としてもの派やミニマルアートを挙げながら、それらとこれまでの自作品を相対化させる。オブジェクトがただオブジェクトであることと、オブジェクトが美術作品であることの間には決定的な違いがある。事物を美術的な枠組みの中で存在させようとするとき、いくらか潜在的な矛盾を抱えることになる。これらの矛盾を顕在化させるものとしてのもの派があり、その矛盾を引き受けない代わりに自己言及性をより強調させたのがミニマリズムだとすれば、それらとは異なるアプローチが現代では求められる。この点に関していくつかのアーティストをヒントにして自作品について解説する。