「言葉にできないもの」は確かに存在していて、それを体現できる媒体こそが絵画であると私は考えている。あえて言葉にしないという行為は、自己の抑圧から生まれる表現であり、私はその人間が隠したがっている本質などに興味がある。人との軋轢や逃れられない社会の流れの中で、次第に抑圧されてしまう本当の感情、日常のふとした時に見え隠れする異質感や違和感を描いていく。
本論文は、肖像の不可視化された精神と可視化している表情について考察し、社会や日常生活を激動させる出来事に対面した時に内包する怒りや悲しみという心の痛みに、沈黙という無表情(ニヒリズム)で抵抗する人物像を、寓意というモチーフを借りて絵画化した試みを言語化していくものである。
第1章では、なぜ私がペルソナという仮面に惹かれるのか、私自身の個人史と共に考えていく。次に、仮面のもつ精神的側面と物質的側面について考察する。精神的側面の仮面としては、本当の自分を被い隠す表情をペルソナと呼び、感情を抑制する社会との緩衝材としての一面もあることに注目した。物質的側面については能やオペラの「面」の使用例を挙げて、仮面による感情の象徴の可能性について語る。そして可視か不可視かという問題について、日常と非日常の表現としての絵画を参考に論ずる。非日常の表現とは、普段は表出しないものの表出が垣間見えることについて、日常に現れた異質なものをリアルに描き出す表現が不気味さを際立たせることについて記述する。
第2章では、寓意という手段について語る。人物像を主人公とすると寓意は台詞を書き込む吹き出しであり、肖像画にモチーフを描き込むことで、肖像が無表情の直立不動でも意味を持たせることができる。また、絵画に描かれる表情を例を挙げて紹介し、その中でも「微笑」が怒りを表現できることについて注目し、人物画と表情の可能性について語る。そして無表情の絵画としてノイエ・ザッハ・リヒカイトの社会的抑圧と無表情の関係について述べる。
第3章では、背景のグレーという色について語る。無背景が対象の人物像を引き立てるように、背景で語らないことが沈黙の役割を果たすことについて例を挙げながら考察する。また、背景を「図像的背景」と「空間的背景」に分類し、その背景が語るものについて論じる。
第4章では、痛みの表現について傷を描いた絵画を参考に論じる。痛みには、肉体的な痛みと心の痛みがある。目に見える傷を描いた絵画としては、生々しい磔刑図や日本の九相図、地獄絵図、戦争画などを例に挙げる。心の痛みは時に自傷絵画として描かれ、フリーダ・カーロ、石田徹也を例に挙げ、それぞれの痛みの表現について語る。そして、自身のこれまでの体験を通して、心に受けた傷とトラウマ的出来事に対峙した時の人間の反応として、沈黙せざるを得ない状況があるという結論に至る。最後にこれまで述べたペルソナや寓意を踏まえて制作した作品を「痛みに沈黙する絵画」として解説する。