人間の五感のうち、「見ること」「聴くこと」による情報伝達は、芸術の分野において、非常に重要である。本論文は、透過素材と音による表現が、「見え」と「聴こえ」に与える影響によって、どのように配置された環境に作用するのかを、先行事例をもと論ずるものである。その論考をもとに、顕在する意識と、潜在する意識によって本来目に見えることのない「暗黙知」と呼ばれる言語化できない知の表出をテーマに、顕在する意識として透過素材であるガラスと、潜在する意識と健在する意識の象徴としてして身体音を用いて制作を行った。
第1章では、近代以降、透過性素材による空間表現として用いられるようになった、ガラスによる万国博覧会の建築と、プレキシガラスによる構成主義作品による表現について論ずる。現在では当たり前のように都市に顕在するガラス素材を多用した建築は、「透明建築」とも言えるほど多くの光を取り込み、置かれた環境にも溶け込むように感ずる。また、建築内部空間を外側より目視できることで、デザイン性のみならず、建造物の大きさによる威圧感を感じさせないために、透過によって視覚による存在感を緩和し、環境と溶け込むことが可能となった。透過素材により、内部と外部が視覚的に貫通することで、視覚的な壁が取り払われることによって美術作品が崇拝する対象からより身近に感じ得る対象となりえたと推察される。
この透過素材を用いた建築は、バウハウスのガラス建築へと繋がり、立体構成による空間への作用へと変化していく。構成主義芸術家であるモホリ=ナジ・ラースローによる、ガラスによる透過素材を用いた表現は、光を透過させることによって、展示空間に構成主義絵画・写真の様な影を映し出した。鑑賞者は、空間そのものに映し出されたそれらを、身体的感覚としてより深く感じることが可能となった。日本における、透過素材をモチーフにした第1人者である多田美波による初期作品には、ロシア構成主義作品群を思い浮かべるものがあり、透過素材の使い方に、モホリ=ナジに見られる透過素材の用い方と非常に近く、抽象的なイメージを作り出している。透過彫刻の存在感は透過するガラスの向こう側に見える環境と同化し、「見えないこと」によってその存在感を強固なものにしている。
第2章では、潜在する意識の象徴としての音をモチーフとした表現が、鑑賞者の置かれた環境をどのように変容させるのかを知るために、「聴こえないこと」を根源的テーマとしたサウンド・アートについて論ずる。ジョン・ケージの作曲作品である《4分33秒》以降、観客や鑑賞者に置かれた環境を意識させるサウンドスケープへと繋がる表現が始まった。この作品は、鑑賞環境や空間を利用したアルビン・ルシエなどのサウンドアーティストや、インターメディアな立体表現を行う作家に受け継がれている。また、日本においても、小杉武久や藤本由紀夫といったサウンド・アート作家に影響を与えた。その結果、作品自体が置かれている環境へと溶け込み、作家の意図する新たな表現領域へと空間が変容してきた。つまり音には、潜在的な意識に直結することが可能な作用があると考えられる。それは、音楽を情緒的に捉えるような感情への作用ではなく、身体を触媒とした作用が空間に配置され、作品と鑑賞者という壁を取り去ることによっておこるサウンド・アートによる「聴こえ」となる。
第3章では、透過素材と音の組み合わせを用いた空間表現を取り上げた。素材と音の組み合わせによって、透過素材と音響による彫刻作品が空間に及ぼす作用を知覚させることにより、作品のもつ貫通性と同時性が鑑賞者自らの身体に置き換えることが可能となっている。素材の内部と外部との境界を透過素材等に置き換え、音による振動がガラス内部の水面を伝わって、視覚表現に変換される。透過素材と音による振動を用いることで、空間全体が音による「現象」となる。作品の内側と外側が入れ替わり、顕在する意識と、潜在する意識を重ね合わせることによって、透過によるによる「見え」と、聞こえない音による「聴こえ」が重なることによって、「意識と無意識の反転」という現象が起こりうると考えられる。この現象を「暗黙知」の表出として、ガラスと身体音響による制作を実践した。
第4章では、透過素材を用いた表現と、身体音響によるサウンド表現を重ねて、静寂により言葉や音を発しない「沈黙」や、身体器官のような複雑に入り組んだ形をしたガラスによる造形が、透過により素材自体が見えない様を、「暗黙(Tacit)」とういう状態におきかえ、自らの制作工程と共に論ずる。顕在的な意識には無音として聞こえていない身体音響である血流音を同時に用いることで、潜在的に常に流れている身体音響の発生を体験することにより、「意識と無意識の反転」を促すことを狙いとしている。それにより、言語化できない知の表出としての「暗黙知の彫刻」が、表現可能となる。
第1章では、近代以降、透過性素材による空間表現として用いられるようになった、ガラスによる万国博覧会の建築と、プレキシガラスによる構成主義作品による表現について論ずる。現在では当たり前のように都市に顕在するガラス素材を多用した建築は、「透明建築」とも言えるほど多くの光を取り込み、置かれた環境にも溶け込むように感ずる。また、建築内部空間を外側より目視できることで、デザイン性のみならず、建造物の大きさによる威圧感を感じさせないために、透過によって視覚による存在感を緩和し、環境と溶け込むことが可能となった。透過素材により、内部と外部が視覚的に貫通することで、視覚的な壁が取り払われることによって美術作品が崇拝する対象からより身近に感じ得る対象となりえたと推察される。
この透過素材を用いた建築は、バウハウスのガラス建築へと繋がり、立体構成による空間への作用へと変化していく。構成主義芸術家であるモホリ=ナジ・ラースローによる、ガラスによる透過素材を用いた表現は、光を透過させることによって、展示空間に構成主義絵画・写真の様な影を映し出した。鑑賞者は、空間そのものに映し出されたそれらを、身体的感覚としてより深く感じることが可能となった。日本における、透過素材をモチーフにした第1人者である多田美波による初期作品には、ロシア構成主義作品群を思い浮かべるものがあり、透過素材の使い方に、モホリ=ナジに見られる透過素材の用い方と非常に近く、抽象的なイメージを作り出している。透過彫刻の存在感は透過するガラスの向こう側に見える環境と同化し、「見えないこと」によってその存在感を強固なものにしている。
第2章では、潜在する意識の象徴としての音をモチーフとした表現が、鑑賞者の置かれた環境をどのように変容させるのかを知るために、「聴こえないこと」を根源的テーマとしたサウンド・アートについて論ずる。ジョン・ケージの作曲作品である《4分33秒》以降、観客や鑑賞者に置かれた環境を意識させるサウンドスケープへと繋がる表現が始まった。この作品は、鑑賞環境や空間を利用したアルビン・ルシエなどのサウンドアーティストや、インターメディアな立体表現を行う作家に受け継がれている。また、日本においても、小杉武久や藤本由紀夫といったサウンド・アート作家に影響を与えた。その結果、作品自体が置かれている環境へと溶け込み、作家の意図する新たな表現領域へと空間が変容してきた。つまり音には、潜在的な意識に直結することが可能な作用があると考えられる。それは、音楽を情緒的に捉えるような感情への作用ではなく、身体を触媒とした作用が空間に配置され、作品と鑑賞者という壁を取り去ることによっておこるサウンド・アートによる「聴こえ」となる。
第3章では、透過素材と音の組み合わせを用いた空間表現を取り上げた。素材と音の組み合わせによって、透過素材と音響による彫刻作品が空間に及ぼす作用を知覚させることにより、作品のもつ貫通性と同時性が鑑賞者自らの身体に置き換えることが可能となっている。素材の内部と外部との境界を透過素材等に置き換え、音による振動がガラス内部の水面を伝わって、視覚表現に変換される。透過素材と音による振動を用いることで、空間全体が音による「現象」となる。作品の内側と外側が入れ替わり、顕在する意識と、潜在する意識を重ね合わせることによって、透過によるによる「見え」と、聞こえない音による「聴こえ」が重なることによって、「意識と無意識の反転」という現象が起こりうると考えられる。この現象を「暗黙知」の表出として、ガラスと身体音響による制作を実践した。
第4章では、透過素材を用いた表現と、身体音響によるサウンド表現を重ねて、静寂により言葉や音を発しない「沈黙」や、身体器官のような複雑に入り組んだ形をしたガラスによる造形が、透過により素材自体が見えない様を、「暗黙(Tacit)」とういう状態におきかえ、自らの制作工程と共に論ずる。顕在的な意識には無音として聞こえていない身体音響である血流音を同時に用いることで、潜在的に常に流れている身体音響の発生を体験することにより、「意識と無意識の反転」を促すことを狙いとしている。それにより、言語化できない知の表出としての「暗黙知の彫刻」が、表現可能となる。