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新しいキャンバス「不確実性の肯定生成の進化」

朴 袛慧

審査委員:
小林 正人 布施 英利 O JUN 篠田 太郎

 序論:新しいキャンバス・・・不確実性の肯定、生成の進化


研究目的及び内容


私は既存の伝統的な絵画の制作する方法、また、展示の仕方(私が今まで制作してきた正方形のキャンバスの中にオブジェを付けたり、様々な 種類の布を使いながら四角のフレームに貼ったり、または木で作られたフレームに絵を描いたり、各種オブジェをつけて、例えば、レザを買ってレザをカンバスの布に縫ったりより動物や、自然にある現実にあるものの表現をすることに対して近づいた表現をするために野外で大きい看板を自分なりに作って絵を描いた。葉っぱはただの 緑ではなく、光が反射されることに応じて様々な色に変化することを目と心と五感で感じ、油絵で絵を描いた。

 (油絵などで製作、描くこと)(絵がフレームの中にある、美術館の中の壁にかかっているという固定観念を完全に無くして伝統的な作品制作や展示会場など画一化された画像から脱皮)の枠組みを完全に破った衝動から始まる。

 そのような衝動は、私が野外で絵を描く時に、木から鳥の卵が落ちるのを見て、猫がそのことを食べることを見る。私はそのような自然環境に影響を受けて、驚いた私は、自分自身を絵に描いた。ある日は、台風が来る日だった。台風により絵が飛んで行けばどうかという恐怖と心配に眠ることができなかった。朝早く、その始発でバスに絵看板がある場所に移動し、ブルーシートとロープで絵を縛り付けておいて隣の守り台風からの絵の看板 の安全のために一日中見守りをした記憶がある。これらの経験は、私をより一層期待できない変化に関心を持って見守るようにした。そのような変化に影響を受ける作品の可能性を持つようになった。だから、私はわざわざ正方形のキャンバスを持って野外に出ていろいろな自然にある土や葉っぱと枝などをミディアムでキャンバスに付け、絵を描きながら、そのキャンバスを展示する場所に持って行った。移動時間 約5時間程度がかかったが、その移動時間の間に大きな虫が絵の中にあったようだ。展示室に到着して画像を壁にかける少しているが、絵から取引落ちる何かを見た。私の絵を描く時、(葉と複数の自然物を付ける時、一緒に追いついた大きな虫であった)私は絵の中で虫が落ちる光景を目撃し、さらに、絵が展示室になければならない理由があるか と考えた。絵は、屋外であっても、屋外で描かれてもいいと考え始めた。さらに現実的であり、自然で、様々な自然の反応や現象を受け入れ製作され、展示されている作品が現実と相対して戦うサバイバルのような作品だと思いました。

 私は実際に絵を描く前に、環境造形という造形芸術を勉強した経験がある。環境造形とは、陶器とガラスを利用して工芸や彫刻芸術に近い勉強である。粘土とガラスと呼ばれる二つの材料に制限を設けて、より専門的に彫刻や工芸を作っていく勉強だった。その作品は、人がよく通れるパブリックな場所や、家の中、ビルの中など造形物で見かけ上美しく、かっこよく展示されているという意味で作られる。私はそのような人々のための実用性を重視した研究と、違う、より自分自身オリジナリティーをより深く理解して表現しようとする考えが 油絵(ファインアート学科で)切り替えになったきっかけとなった。そのため、陶磁やガラスという限られた材料で表現の限界をさらに感じさせており、油絵に切り替えた後、私は様々な材料や、方法について恐怖はなかった。初めて、正方形のキャンバスに絵を描くときは、様々な材料で、私は表現できており、より自分自身を知って行って、表すためにあって、とても幸せだった。しかし、彫刻という平面ではなく、3D作品を勉強した経験は、私が絵を描くとき、伝統的な正方形のキャンバスにアートを作るという概念をさらに幅広く造形的空間で構成,解釈し、立体的な構造的な絵、または違う作り仕方で作りたかった。だから自分だけの独創的で新しい作品世界(作品はストーリーがある作品を様々な変化の中で製作し、限られた要素を脱し、すべての可能性を開いている、そのような絵画、彫刻芸術のような作品)を形成しようと新しい芸術制作、展示方法を渇望するようになった。

今までに既に様々な新しいペイントが存在している。例えば、ストリートアート、グラフィティなど必ず正方形のフレームの中にある絵ではなく、ランダムに絵を壁や公共の建物に描いたりすることの作品。平面の芸術だけど2Dの概念で平面というより、材料として鉄と木や、スチロホーム、ボンド、缶、油絵だけでなく、様々な材料を混ぜてMIXMEDIAなど様々な作品が存在している。そのような既存の存在する芸術を超えて造形芸術で平面アート(美術、絵画)に切り替えて、私は正方形の枠から飛び出して出て衝動を感じ、以来、様々な空間の中に入って位置を活用したインスタレーション(インスタレーション)やビデオアート、サウンドアート、パフォーマンスなど、現存する様々なアートの試み。

1.インストレーションアート
近くにあるゴミ捨て場や、誰かが捨てた家電製品、缶、テレビ、誰かが作った芸術作品が捨てられたもの、それを使ってまた異なる作品の作り、工事現場の鉄コンクリート、島の落ちた葉っぱや、つぶれていく空き家のリサイクル材料(鉄、木、ドア、水道管)などを利用。

一つの倒れていく空き家を海の中に沈んいく状況を再現した(タイタニック)インストールした作品。
様々なドアリサイクル材料を用い、構造を作成し、土袋を人の顔に切り替えて、その上に塗装をする作業。そのようなインストール作業は、その中にストーリーがある。まるで私の絵を描いたとき、その中にストーリーがあるように。
人があまりない福岡にある島で一人でテントを立てて滞在し、雨の天気に引き続き落ちた葉っぱでどのような構造を作ろうとして(死んだ葉にどのような構造を作って再び生かそうとするインストール)、駅周辺工事場で鉄筋コンクリートを拾って2トントラックに載せて一つの空間を鉄筋コンクリートで倒れていく既に壊れたビルを再現して、その中に人(家族)を作ってインストールする。ホームセンターで様々なサイズ、大量の水道管を購入、地上にそのパイプ管を組み立てて地の下にある目に見えない汚れて流れているパイプ管の中にある水を地の外に引き出してインストール(目には見えませんが、様々な汚染された染めを外に引き出して目に見えるように製作したインストレーション)、また、蛇口、ペットボトルを周囲に設置し、ペイントで絵を描く作業。
鉄パイプ、エアマネキン、様々なサイズの孔を購入、展示室の一階と二階を利用した大規模なインストール作業。人間冷蔵庫を延長させた作業。ここで私はモーターという材料を使用して、自転車の車輪にモーターをつけて自転車の車輪が指定されたタイミングに動かす作品 。


 2.ビデオの作業。

 目に見えない心の中にある感情や、感じや考えは、主に生死、死んだらどこに行く。あるいは誕生したときに、私たちはどのようにどこから生まれるか、そのような生活の中でのエネルギーなどを作品に表現しようとするエネルギーを持つ。そんなときに私のボディの動きながらもっと私の中内在している感情を取り出したい気持ち、
 以前に演技の勉強をしたとき授業や練習にしていた体を使用し、踊り、体の動きに私の感情を表現しようとする作業を試みた。
裸による、海に行って 友達にお願い。ビデオで記録を残した。
潮風、海の波の音は、人間が弱いとき、寒さ、服で保護されていない屋外環境の中でどのように反応するか。また、人間が誕生する前にどのような姿にどのようなエネルギーを持って動くだろうか。どのような音を出そう。その誕生するまでどのような考えを持っているか。いろいろな考えで体を動かして、それをビデオに記録した。
また、裸で子供の頃の経験をもとに、家族とお風呂にする経験から良くなかった記憶をよみがえらせ、私の呼吸と、水音、体の動きと水という材料、浴室の明かりなど様々な物質的な要素、感情的な要素、経験などが混在して呼吸というタイトルのビデオドキュメンタリー。
自然の風が出す音にどのような話をしていることだろうという疑問から初めて木の枝に筆をぶら下げ、手紙と紙を持ってきて風が吹くまま木の枝が動く、その木の枝の動きを筆に絵の具をつけて、紙をそえて、木の枝の動きを記録する「風の手紙」というビデオ映像。
捨てられた自転車が、まるで私が失った家族を取り戻すかのように自転車が命を持っているという考えからはじめ自転車葬儀という映像。

3.サウンドアート
 
私の感情を音で表し、直接ピアノとか楽器を演奏し、私の声を録音し、それを編集して、私が作ったビデオドキュメンタリーに挿入。

私は作業の続行方向を転換しようとして努力してきた。
これらの私の体を十分に動かしながら、現実という生活の中で影響を受けながら、既存の経験、子供の頃の経験、作品を作ってきた経験は、人々の間の関係に経験、そのようないろいろなことが継続して変化する。その中で 屋外で様々な自然現象と戦う、それに対処し、続いてその変化を見守る実験的な作業のために本格的に私の土地( "新しいキャンバス)という概念の地)を購入することになった。私は地を買って、その上に作品を作るのは初めて土地を掘ったり、その上にある木を切ったり、様々な疑問から動く。その中で絵を描いて、または絵を描いたりすることは、限られたキャンバスつまり、限られた地上で、まるで私が四角の枠キャンバスの中で塗料を塗ってオブジェをつけて再び覆い、布を変え、布裂けたり,縫ったり、葉っぱを付けたり、布を火で焼けたりなどのそのような行為などが土地の上で、実験と製作の連続となる芸術。
今までしてきた体を使用したり、インストールしたり、ビデオを撮って、音を作るそのような経験をもとに、その土地の上に起こる様々な状況、変化したり、変化させることができる作品のための実験的な挑戦。そのためのより詳細な方法だと思って土地を購入し、その上に芸術を製作する展示する。
これは単に、様々な空間に入ったり空間を利用し、または絵を描いたり、体を動かす行為などを残して、芸術という決められた概念を脱し(ランドアート)(パブリックアート)(彫刻)私の製作の観点は、その土地の上に広がる事件事故は、私の作品を作り始めてから終わるまでの時間が決まっていない、また、観客が決められた時間なしにいつでも来て見ており、その中で作品が続き変わっていくことを記録して、感じることができる作品。土地を掘るが農業用水が事故で出て池になる事件。作品制作を雨の水が乾燥するまでまで中断して待つことができる作品。製作中の枝が頭に落ち驚くなど、風に作られた作品が倒れ、他の作品で作品の切り替え、様々な環境的な影響と、天気予報、鳥の音、毒ヘビが行ったり来たりしながら、不安な感情を持ち、その不安感情の影響で製作に取り組む姿勢、カエルが泣き、地上で行ったり来たりし、またそれは自分が意図していない作品の視線を持つようにしてくれるの影響。切った木の上、自分が木になる行為、土地を覆うが、その地上で泥を発見し、人々を作る。切った木をまた植える行為、1年後の土地に戻って行ってみると、草で土地の姿が完全に消えて形を見つけることができないような土地を迎え、草刈りをしてまた地面を平地にする作業。これらの様々な実験的な作品制作が行われるところが、私の土地の上で製作をするキャンバスである。その地上で行われる様々な状況をオープンして見守るのが私の土地は私のキャンバスである。

 土地キャンバス上で絶えず続く作品制作と同時に、その作品が変化していくことを観察し、またその土地そのママの場所での展示も一緒に行われることである。私は考える。これらの様々な可能性を持ってオープンされた場所での変化に可能性を開いたまま、つまり、そのような変化がなければ、次の作品に繋がらない、むしろそのような様々な事件・事故や変化を待っている作品からこそ私が意図している創造作品ではないか。。。

  この作品がもし、美術館の中にピースで取り外しと再度そのまま作品を再現する場合、そのような土地の上にあるそのままの作品という意味があるのか...私の製作は、その土地の上に存在し、様々な状況の中に存在するので、意味がないだろうか、そのような変化を防ぎ、美術館や、ギャラリーで展示されると、作品のエネルギーを失うことはないかと思う。その作品は、ギャラリーに壁に展示されて虫が育ったり、落ちたりすることができる良い環境を持つことを停止した場合は、その作品が持っている力を防ぐことがないかと思う。
 

 この作品は、限られた土地の上で人間が創造する様々な作品が環境や自然現象、自然の中で変化しながら、様々なハプニングの中で絶えず続くことになるだろう。雨が降れば、時間を置いて、地は乾きを待っているタスク、ヘビがあれば、長靴を履いてヘビから対処する行為 、変化することをわざわざ待つか(草がいっぱいあるその形を失った土地の形すら認識できない、後で草を切る作業) このような作業はむで絵を描く前、キャンバスの枠を作成制作し、それ整え、再び塗料を覆い、オブジェを付けたりする様々な作業を私は私の体を動かしながら、その土地の上にある既存の自然材料を使用する、虫、植物、木、風、雨、台風、熱い太陽、周辺の人々、そのような環境の中で、絶え間ない創造を実験する。
そういう意味で私の土地、私のキャンバスが存在する。

キャンバスと呼ばれる制限された隔離された(土地のキャンバスは、キャンバスのように制限されているが、前述したように、様々な変化の可能性を持っている。)また、作られた作品は、まともな照明の下、様々な現象から保護される空間の中の時間の制限が美術館に展示されなければならないという概念を超え、人々が道を通りながら、いつでも参加して見ており、その変化する作品を、その時々月正しく見られる日常の空間の中で、観客と現実の中で直接触れることができる自然環境に置かれて、時間の流れに応じて変化する様々な可能性を開いている。土地は、キャンバスのような限られたスペースでの様々な表現とのスペースキャンバスみたいにを利用した新しいペイントの制作と展示の可能性の拡張を探検している。

*土地を買うまでの経路と内容;

 2016年12月日本の栃木にある土地を購入。 (事前インターネット調査、直接現場調査)
塩那不動産の小森さんから紹介を受ける
3箇所の土地をリサーチの中、日本の那須塩原の青木に土地を選ぶ。
11月2017年〜2月2018年
LA、カリフォルニア、アメリカ(事前インターネット調査、直接現場調査)
土地の個人所有者であるMILANを介して直接購入する。
8箇所の土地をリサーチの中、BARSTOW、CALIFORNIAの砂漠の土地を購入。
土地の個人所有者であるMILANを介して直接購入する。

 *その他の国の土地探し。
2016〜2017年にかけての土地調査
11月2016年インド、ペールの土地調査( 友達Davenを通じた調査) (購入不可)
ペールの友達Elvisに土地購入について聞く(購入不可)
4〜7月、2017年ドイツの土地調査。 (現場調査、インターネット調査、知人Ryan)を通じた調査、Weimar地域の管理オフィスを通じた調査)
土地を調べる目的で、ドイツに行く。(4ヶ月間調査した後、価格と土地のサイズが 合わなく購入できません)
9月2017年プラジルの土地調査
プラジルの友達Yudiに土地購入について聞く (購入不可)
10月2017年ベトナームの土地調査(知人;つよし)
知人の友人を通して 調査
12月2017年ネパールの土地調査(知人と知人の友人のを通じた調査)

ネパールの友達Zamuに土地購入について聞く(購入不可)

それぞれの国の自分の外国人の友人に聞いた後、外国人は買うことができないことだった。その中、ベトナームは、最大10年間レンタル可能。無人島は買えるという情報。しかし、手続きが複雑で、保留。
日本だけではなく、他の環境にある土地での実験するための土地の調査が購入不可能という結果を聞いた後、アメリカの土地の探しに進む(10月2017年)外国人は、購入が可能である情報を聞いて、直接行く。

 作品は構成された枠がないように見えるかもしれない、でも計画の中で製作が始まる。 まず、その中にはいろいろな経験の中から生み出したストーリーがあることと、人々の移動に応じて変化する視線と角度一つ一つの別の方法で見られる 。ますます見ることに関して異なって見られる作品を作ることを考えた。
また、一つの限られた場所で、その中に構造、すなわちロケーションを知りながら制作するアートは、まるで自然の中にかかった大きな絵のフレームのように見られる。しかし、これは継続して同じ形をしているわけではなく、絶えず変化の可能性を持っている。その様々な変化に対処しながら、他の形態に変貌したり、他の意味を持つ作品が再誕生。

美術館を設立することとは全く別の話である。作品は、今日あるが明日消えて見れないかもしれない。特に建物ではない、その作品は構造を持っていることができ、どのようなストーリーを持った絵 や構造物のような作品であるかもしれない。そのような作品を無人島や所有者がいない島の土地で創造の可能性をますます広げていこうとしている実験。

 このような考えで実験のために 購入したのが「私の土地、キャンバス」である。私は経済的に島を購入するぐらい余裕がない。
だからといってあちこちに土地を買うほど余裕もない。そのため、日本の栃木、アメリカのCaliforniaに小さな土地を先に試し購入して実験作品を始めるようになった。これらの小さなキャンバスを買って 、各土地の上に一つ一つの土地作品を制作、展示。以後、他の島や、無人島にはこのすべてが一つに合わせれるような可能性も持っている。




第1章:

1研究内容
米国の砂漠の土地[BARSTOW、住所無し]
私の実際の生活の経験をもとに作られた砂漠の作品を作りながら起こる予測不可能な事件、事故。
1.新しいアートスタイル
*ジェームズ・タレルと私のアートの違い。
 
光と空間の芸術家と称賛されるジェームズ·タレル、そして安藤忠雄やレンゾ・ピアノ
同じく空間の力を信じ、利用して作品を構築し、外の空間に創造するアーティストと違うところは、タレルという作家は外の砂漠を購入、作品を空間を利用して作品を作るという点において私の作品との類似性を持っている。彼はその空間における光の持つ意味を作品に反映している。彼はその空間の中に太陽の光というその中にある意味と広くて青い空が作品として必要だったからという意味での空間が必要であった。私のアートは彼とは違う土地と作家の間の対話としての時間をかけて作る作品の作品製作の中で自然に起きる変化や事故などに大した作家のサバイバルすること。続いて作品を作ることに目的が違う。

*メキシコ地下美術館。
 
イギリスの作家ジェイソン・テイラーは水深14mの場所に400を超える彫刻作品を展示した彫刻家であり、環境保護活動家である。彼の趣旨は自然と人間が共存して生きていくとはどのような姿なのか、また人間により被害を受ける海の生物たちを保護するための作品を作ったアーティストである。自然と人間が共存するという点においては共通する部分があり、作品を自然の中に置くという点においても同じ目的を持つが、私が言う新しいアートとは。私のアート空間、すなわち地上に存在する動植物が包含され、その中でどのように作品とともに変化し、共存し、存在するのか、自然の摂理に従って共に変化していくということに焦点を置いている。作家が自然に触れながら作品上で共に呼吸しながら作品の主人公になること。観客も共に主人公になることができ、変わることができる。



2相違と反復
反復は複写ではない。反復とは創造である。反復はまた別の創造であって、同等ではありえないものである。
相違と反復
作品を大前思ったのが全く異なる現象を持ってきて、そのような考えと実際現象の「違い」の繰り返されて表示される。その繰り返しは、「新しい作成」を持っています。
2.非確実性から良い生成と癒し
世界は同じものはなく生成のみが行われる。」の生成が永遠に繰り返される"は、同じ脈絡の新しい生成の繰り返しの永遠性
自然の理に基づいて植物、風、すべてが再生され、その中で作品の変化は絶え間なく続いていく。
たとえ本来の形態は、失うか分からなくても、自然と混ざって継続して変化していく。
(継続して癒されていく)消えていく。癒されていく。
1)エネルギーの永遠に続く変化の法則(意図的創造)
2)生命の過程(創造的持続)
3)生成反復の永遠性
4)ある程度の良い緊張感と刺激は創造の原動力。

3私の作品に見られる特徴の分析
1.創造的進化
2.生成は永遠に続く繰り返し
3.非自発的な事件。
4。私と言う人になる
5.創造と生成
6自然の理に従い継続変化する作品としての価値性

第2章

日本の土地 ( 那須塩原市青木字輪地原1176番42の土地)
2017年1月5日に購入。
2016年12月。
日本の土地
3本の木と一本の折れ死んだ木。私の家族を連想させる。
土地を購入。
私の名前で山の土地の上には、人間が治癒する過程で生じる変化。
破壊し、再びそれを直すことを記録する。おおむね私の葛藤と恐れを持っ木を切り、再その木を再植える。また、木の枝がされている抽象ジェスチャー、それ映像、写真、などの記録。
自分の病気の思い出と考えをきれいにし、新たにする。

*作品製作過程中
*土地選び。(リサーチャー)
1人間の本性と表現
2破壊美術とは異なる文脈の作品
3 自然の再生
4.変化する状況の中での快楽

1人間の治癒表現
2自分自身を新しくする(草刈り )
3作品の価値、繰り返し、再生そして復活
4人間の本性と表現

「まとめ」及び「作品について」





結論


この世の全ての事物は変わりゆく。人間は自然と同化し、自然の一部分として生きている。自然の理致をさえぎることはできず、どこかで死があれば、また別の何かとして復活すると信じられている。私の実験は、地面の上で、これまでに述べたような様々な実験によって、今もこれからも絶え間なく変化する作品に絶えず新たな関心を持って作品を制作し、創造すると同時に、地面の上で展示し続けるというものだ。これまでに述べた様々な理由と、それらに伴う可能性を十分に開いてみたい。
油画

新しいキャンバス「不確実性の肯定生成の進化」

朴 袛慧