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ロトスコープとは何か ―20世紀美術とロトスコープ、あるいは拡張する運動―

岩﨑 宏俊

審査委員:
伊藤 俊治 鈴木 雅雄 小谷 元彦 八谷 和彦 山村 浩二

  本論は、これまで一貫してロトスコープというアニメーションの技法を用いて映像表現を行ってきた筆者の経験を踏まえながら、ロトスコープの表現の可能性について研究した論考である。
 ロトスコープをあえて「技法」と言いきることから始めたが、もともとロトスコープとは1915年にマックス・フライシャーによって発明された、既成の実写映像をベースにしてアニメーションを作成するというアニメーターの作画補助ツールであり、技法というよりは生産効率を高める装置であった。
 だが、それを技法として再考するとき、ロトスコープは数あるアニメーションの技法とは本質的に異なるものであることが分かる。従来のアニメーションは、運動をゼロから創出することが念頭に置かれており、その技法は作画の際に使用されるマチエールによって差別化されていた。これに対し、ロトスコープは創るべき運動が既に存在しており、既成の映像をマテリアルとし、その中の運動を描き写すことで新たな運動を創出している。つまり、従来のアニメーションが運動をゼロから創出するという唯一性に重きを置いていたとするならば、ロトスコープとは逆の複製性や運動イメージの編集性に重きを置く技法であったと言えるだろう。今こうして振り返るならば、これはアニメーションというジャンルの拡張でもあったはずである。だが、考案当初の目的からは逸脱するものであったため、伝統的なアニメーションという枠組みの中では、むしろある種の異物を生み出す装置として批判と共にアニメーションの歴史に刻まれることになった。
 だが、近年のロトスコープを用いたアニメーションの表現には、上記したアニメーターの作画補助ツールとしてだけではなく、運動を描き写し再編集するという「運動の再コンテクスト化」としてのロトスコープの活用を多く見出すことができる。筆者が注目するのはこうしたロトスコープの新たな流れであり、ロトスコープの表現技法としての本質は、この「運動の再コンテクスト化」にあると仮定して、懐かしい手法としてあったロトスコープを新たな動的ダイナミズムを持つ「技法」として再発見したいと考えている。また、その際ロトスコープが伝統的な平面アニメーションの中では異物化してしまう以上、この研究は従来のアニメーション研究という閉じた領域の中だけでなく、広く美学的に捉え直す必要性があると言えるだろう。
 そこで、例えばロトスコープのプロセスを「マテリアルとする既成の実写映像という文脈(時間)に属する運動イメージを別の文脈(時間)へと移動し、形態的にも意味的にも元の素材から変容した新たな運動(時間)を創造するという置換と変容のプロセス」と考えて20世紀美術史の中で照らし合わせるならば、ロトスコープは、見出されたオブジェを再コンテクスト化し、美的価値を付与させるファウンド・オブジェの文脈として考えることができるのではないだろうか。もしそうであれば、ロトスコープはその発明と同時期に展開したダダやシュルレアリスムといった20世紀の前衛芸術運動における制作実践から、既存の映像作品の全体または一部を使い回すことで作品をつくるファウンド・フッテージ、そして既存のイメージを流用、剽窃させるシミュレーショニズムまでを射程とする美術動向との連続性を見ることができるだろう。
 以上をまとめると、本論は、「これまでアニメーターの作画補助ツールとしてアニメーション史に埋もれていたロトスコープには、表現技法として別の可能性があるのではないか」という問題提起のもと、ロトスコープを20世紀美術史の中に据え直して考察し、「ロトスコープをひとつの表現技法として体系立てること」を目的としたロトスコープの比較美術論である。

 第1章では、まず論文全体の基礎となるロトスコープについて、その歴史や主要作品を振り返る。次に、これまでロトスコープに向けられてきた批判について考察し、それらの批判が慣習化したアニメーションの受容とロトスコープの特徴(表現技法としての可能性)との間でおこる齟齬であることを整理する。そして、ロトスコープを20世紀美術史のなかでもファウンド・オブジェの文脈に据え、その文脈と共鳴するロトスコープの特徴を以下4つに項目化する。(1)非完結的な継起するイメージ (2)コラージュの方法論 (3)分裂するリアリティ、不気味なもの (4)シミュレーショニズム
 第2章では、ファウンド・オブジェの文脈と共鳴するロトスコープの特徴である「非完結的な継起するイメージ」に焦点を当てる。これは、ロトスコープすることで生成されるハイブリッドな運動を基底するイメージの二重化を指すものであり、そうした統一されることのないイメージを見ることによって起こる引き裂かれる経験を、シュルレアリスムの痙攣的な美や、エイゼンシュテインがディズニーアニメーションに見出した「原形質性」という概念と比較し、「非完結的な継起するイメージ」がいかに機能するかを考察する。
 第3章では、ロトスコープの特徴のうち「コラージュの方法論」と「分裂するリアリティ、不気味なもの」に焦点を当てる。「コラージュの方法論」では、まずはシュルレアリスムそのものについて概略をまとめ、シュルレアリスムの理念とコラージュの関係を歴史的側面から捉えたあと、ロトスコープとの比較研究を行う。次に、「分裂するリアリティ、不気味なもの」では、不気味なもののアニミズム的側面について考察を行い、不気味なものがロトスコープされた運動においていかに機能するかを考察する。
 第4章では、これまでのシュルレアリスムを基調とした考察をベースとしつつ、ロトスコープの剽窃性に目を向ける。そして、ファウンド・フッテージや4つに項目化した最後の「シミュレーショニズム」との共鳴にまで射程を広げて考察を行い、筆者自身の作品へと接続させて作品の解説を行う。
 終章では、これまでの比較研究を総括しながらロトスコープの表現技法としての体系化、および拡張する運動の可能性についてのまとめを行う。
先端芸術表現

ロトスコープとは何か ―20世紀美術とロトスコープ、あるいは拡張する運動―

岩﨑 宏俊