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制約の中から生まれる美 ‐「ふたかた(二型)」技法による染色表現‐

山田 麻緒

審査委員:
上原 利丸 片山 まび 橋本 圭也 藤原 信幸

  本論文は、約80年前に消失した幻の染色作品・高砂染に見られる「ふたかた(二型)」の染色技法と、技法を踏襲した型染による自作品を制作し、自我を映す女性像の変容と解体と再編の過程を辿る内容とする。
 本論文の研究目的は、消失した染色文化の蘇生と、蘇生した技法を自作品における芸術表現として組み込むことで、従来の型染技法では不可能のうちにあった表現を実証し、消失した伝統の染色文化と個人の創作が交差する中で生まれる表現としての可能性を見出すことである。
 染織作品は布をはじめとした繊維質のものであり、その材質は時間的、環境的要因への耐久性に乏しく脆弱である。残存することが難しい染織作品の中には、今日では物質とともに消失した染織技法がある。染織史において消失の危機に見舞われた技法は多く、今日では代表的な型染技法の一つとして一般に広く知られる沖縄県の「紅型」も政治的背景により過去に二度の消失の危機があった。本論文の研究対象とした「ふたかた(二型)」も、かつては繁栄したものの経済的、環境的な理由で自然消滅した「高砂染」にみられる染色技法である。消失した二型技法を、芸術表現としての一面を噛めるものへと転換する。型染技法は日本国内での発生から数えて約一千年の歴史を持つ。鎌倉時代末頃にはすでに完成していたと考えられており、日本の長い染織史の中で洗練された技と美を誇る、そうした日本の型染文化の中で、一作家に未踏の表現領域が残されているとは考え難い。以前より私は、自作品にオリジナリティを求めて異なる図柄を二枚の型紙を分け、布上で合成し、かたちの積層を表出するといった手法に取り組み、それを「多重染」と自称していた。しかし、研究調査を進めるうちに、この手法はまさに現存する高砂染に確認できる伝統的な染色技法に類似するものであったということが分かった。慶長6年ごろにはすでに姫路地域内で発生し、その後一部の藩で繁栄した後、昭和初期に消失した高砂染の歴史を辿ると、日本の土壌で育まれた染色文化が現代まで正確性を持って継続してきたこと自体が奇跡的であり、価値があるという考えに至った。本論文では高砂染に確認できる伝統的な二型技法が、自作品のコンセプトを表現するに最も適した技法であり、芸術表現として捉えていることを詳述する。
 本論文の構成は、はじめに、第一章、第二章、第三章、第四章(博士審査展提出作品について)、おわりに、参考文献等の項目に分け、それぞれの文頭に明示する。章立ては型染について技法的観点から詳述する章と、自作品のテーマを語る個人性の強い章で構成・展開するものとなる。
 第一章では、女性(自我)の変容と解体と再編を「複合(Complex)」というキーワードに基づいて、イメージの起源を詳述する。私が女性をモチーフとした染色作品の制作を重ねてきた根幹には、「女性=乱調な幻影」という女性観がある。経験の中で醸成された女性像が一連の表現行為を通してどのように表出されているか、過去作品を振り返りながら詳述する。
 第二章では、日本の染織史における型染の起源と発展、技法的特色を述べ、姫路地方に伝わる「高砂染」を例に挙げ、本論文の研究技法である二型技法の特殊性と、現代に蘇生した高砂染の芸術的価値についての見解を述べる。
 第三章では、自作品の制作プロセスにおける行為の意味についてを、自作の型染作品の一連の工程順に沿って詳述し、一章で詳述した個人的な女性観と、二型の染色技法との関連性を詳述する。
 第四章では、博士審査展提出作品のコンセプト、作品概要、制作工程、展示についてを詳述する。博士審査展提出作品の主なモチーフであるオリジナルの半獣人「Acinonyx」は、個人性に満ちた生命体の姿態である。名称の由来となった「Acinonyx Jubatus」とはチーターの学名であり、直訳すると「引っ込められない爪を持つ者」の意味である。チーターの身体的特徴を示唆するこの学名の由来は、私の女性観の主観にある両価的な混沌性に結びつくものと解釈する。私個人の女性像「Acinonyx」の外観はほとんど人間の女性像と区別はないが、自我という観念的なものを擬人化したものである。
 おわりに、の章では各章の考察をもとに、二型の染色技法を用いた自作品の独自性の在処を述べて本論文のまとめとする。
工芸

制約の中から生まれる美 ‐「ふたかた(二型)」技法による染色表現‐

山田 麻緒