conservation

重要文化財 上杉神社蔵『紫綾金泥両界曼荼羅図』の作画技法に関する研究

鄭 慧善

審査委員:
荒井 経 塚本 麿充 國司 華子 木島 隆康 有賀 祥隆

 本研究では、綾地金泥両界曼荼羅図の中で、上杉神社蔵『紫綾金泥両界曼荼羅図』(以下上杉本)を研究対象作品として選定し、他の綾地金泥両界曼荼羅図の美術史的な比較考察を踏まえた想定復元模写によって、上杉本の作画技法を検証した研究である。
日本では金銀表現と彩色表現に分かれて両界曼荼羅図が制作されたが、いつから分枯れたのかについては明らかでない。しかし、仏像の表現技法において彩色仏と金銅仏に分かれて表現されているように、絵画も彩度の高い原色で描かれた彩色画と、金の揺らぎによる神秘的な効果を利用した金泥画に分かれ、それぞれ独立した技法として制作されていたのではないのかと思われる。平安末期(12c)に制作された重要文化財の上杉本は金泥で表現された作品で、高雄両界曼荼羅図(以下高雄本)、子島両界曼荼羅図(以下子島本)と共に日本の代表的な綾地金泥両界曼荼羅図である。これらの曼荼羅図の共通点は綾織りの絹を基底材として用い、暗い地色の上に金線で表現したことで、現存する彩色両界曼荼羅図と異なる独特な雰囲気を演出する。
綾織りの絹とは、繊維が斜めに交差する衣服用の織物で、綾絹を基底材として用いた絵画は日本のみ見られるものである。奈良時代末期から平安時代までは、綾に制作された両界曼荼羅図が見えるが、鎌倉時代からでは綾ではなく絵絹(平織り)や紙を基底材として使用した作品が大方である。絵画の基底材として綾がいつから使用された由来は明確でないが、高雄本、子島本、上杉本に絵絹(平織り)ではなく綾が使用された理由は、絵画の技法的な表現効果を高めるためではなく、綾織りそのものが持っている意味や価値を重視したためではないのかと思われる。地色(背景色)に関しては、現存する金泥両界曼荼羅図が経年劣化によって退色しているために本来の地色を正確には判断しにくい。また、金泥画の地色について詳しく記録された文献も残されてない。しかし、金泥両界曼荼羅は宗教画としてより華やかで鮮やかな印象を演出するために地色を暗く表現し、金泥線の視覚効果を高めたものと考えられる。特に上杉本の地色に関しては、名称が「紫綾金泥両界曼荼羅図」に指定されたこと以外に記録がなく、科学的な調査も行われてない状態であるため、地色に関する考察は、経年劣化による変退色の可能性と平安時代に使用された染料と色名の文献を手掛かりにして想定していかねばならない。上杉本から得られる情報をもとに当初の地色を想定し、その色が持つ意味を考えながら各表現技法と 制作の手順について研究成果をまとめる。
研究方法に対し筆者は、美術史的な考察や学術的な調査、同一な表現作品の比較等を通して多角的に検討し、実技的な検証を行うことで、先行研究の学術的な考察を加えて、上杉本の復元模写から得られた一つの見解を提示し、上杉本の綾に関して先行研究で論じられた内容を新たに改定して明らかにする。
以上の通り想定復元模写において上杉本の制作手順と各工程の表現技法を 解明し、基底材として綾と地色の意味や、その素材がもたらす表現効果を明らかに提示する。
保存修復

重要文化財 上杉神社蔵『紫綾金泥両界曼荼羅図』の作画技法に関する研究

鄭 慧善