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接着剤「まめのり」に関する研究

大橋 有佳

審査委員:
稲葉 政満 桐野 文良 塚田 全彦 荒井 経

 東洋絵画や書跡などの装こう文化財の中には、歴史学や保存修復の専門家によって「まめのり」と呼称される、特殊な接着剤が用いられていることがある。この接着剤は現代では使われていないが、鎌倉時代初期頃までの経典類などにおいて、巻子や冊子に装丁するための接着剤によくみられる。この「まめのり」は、色が茶色または茶褐色であるため、作品の鑑賞性を損ねる上、水に不溶で、文化財の修理において作品を傷つけずに除去することは難しい。そこで「まめのり」の情報を集積し、文化財修理に役立つ知見を提供することを目的として研究を行った。
第1章では、「まめのり」と呼称される接着剤についての既往の研究や報告をまとめた。そして、「まめのり」に関する研究課題として、①原料の種類、②製法、③「まめのり」の一つと推定される大豆糊の劣化による変化、特に大豆中の脂質量の減少、④経年劣化した大豆糊の溶解除去法を取り上げることとした。
第2章では、「まめのり」の科学的調査により原料の種類の特定を試みた。褐色であり水不溶性の接着剤を、専門家が「まめのり」と判断している。赤外分光分析による既報の成分調査ではタンパク質と糖質が検出され、過去に使用された接着剤の中では大豆の成分に近いが、その脂質が検出されないと報告があるため、原料が大豆ではない可能性もありえた。しかしながら、本研究では、「まめのり」と判断された、既報とは別の接着剤2点に対して、赤外分光分析により同様の結果を得るとともに、熱分解ガスクロマトグラフィー質量分析による詳細な検討を加えた結果、タンパク質や糖質、脂質由来の化合物の割合から、この2点の「まめのり」は原料に大豆を使った可能性が高く、脂質の分解物であるパルミチン酸、ステアリン酸などの飽和脂肪酸、オレイン酸などの不飽和脂肪酸を検出したことにより、従来の方法で脂質が検出されなかった理由は、経年により脂質が分解したためである可能性が高いことを明らかにした。
 第3章では、これまで未検討であった中世文書を調査・整理し、「まめのり」の一種と推定される、大豆を原料とする接着剤「大豆糊」の製法を検討した。歴史学的研究において、古代の日本における文献史料の記述から、紙を継ぐために大豆糊を製作する場合があったことが分かっている。しかし、中世に作られた装こう文化財にも「まめのり」の存在が報告される場合があることから、大豆糊に関する中世文書の記述も検討対象に含めた。その中で、少なくとも平安時代後期以降において大豆から糊を作る際には、古代の製法として考えられてきた豆乳を煮詰めて作った可能性のみでなく、大豆粉をそのまま用いる場合があった可能性を見出した。同じ大豆から作った糊でも、大豆粉から作製した糊と、豆乳を煮詰めて作った糊では、それぞれの成分に差異が生じる。布でろ過されて作られる豆乳には、水溶性の糖質などが多く含まれるが、大豆粉には、物理的に粉砕された水に溶けにくい多糖質成分が多く残留すると考えられる。第2章と第3章においては、この成分の違いを科学的にとらえて比較したことにより、奈良時代製作と伝わる作品に使用されている「まめのり」は豆乳から試作した接着剤の性状に近く、平安時代後期以降の「まめのり」は大豆粉から試作した接着剤のスペクトルと類似することを示した。これは、古代から中世にかけて、豆乳から大豆粉へと製法が変化した可能性を支持している。
第4章では、野生種の大豆(ツルマメ)からも脂質成分を検出できることを確認した。古代の大豆栽培種においても脂質が含まれていることを示すとともに、第2章で述べた、大豆糊の脂質は経年により分解した説を支持する結果となった。
第5章では、大豆糊のモデル試料を作製し、劣化処理によるその性状の変化を検討した。大豆糊モデル試料は高湿度下での加速劣化時間の経過とともに、黄色から茶褐色に変色し、脂質成分の分解が進む。この脂質の影響を調べるため、脱脂試料と未脱脂試料における、糊の性状(機械的強度、色)変化を比較すると、脂質の存在は黄変初期の反応速度に対しては影響を与えるが、褐変そのものや、接着剤の柔軟性には影響しない。
大豆糊の不溶性に関して明らかにするため、モデル試料の溶解性テストを行った。テストは溶解度パラメータの異なる15種の溶媒を滴下し、目視で溶解・膨潤性を評価することで行い、湿熱劣化処理後のモデル試料を膨潤できる最適な溶媒を検討した。劣化前の試料は水でも膨潤したが、湿熱劣化処理による糊の変性で水では膨潤しなくなった。また、脂質があることで劣化処理による大豆糊モデル試料の溶解・膨潤性の低下が加速することを明らかにし、湿熱劣化後のモデル試料の膨潤除去には、ホルムアミドやジメチルスルホキシドが最も適しており、これらの溶媒パラメータは水素結合力fh:分散力fd、双極子相互作用fp、=3:3:4付近であることを明らかにした。
以上のように、本研究では「まめのり」の成分について科学的分析を行い、一部の「まめのり」が大豆を原料としている可能性をより詳細に確認し、文献史料から得た新たな情報と併せて、その試作により、中世においては豆乳からでなく大豆粉から製造される場合があることを明かにした。また、大豆のみを原料とした大豆糊の強制劣化試験を行い、その物性変化を明かにした。この内、有機溶剤に対する溶解性に関する情報は、文化財の修理において大豆糊を除去する場合に必要となる基礎的な知見である。これらは「まめのり」の実像をより明かにし、「まめのり」が用いられている紙本文化財のよりよい修理に寄与する成果である。
保存科学

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大橋 有佳