Inter-Media Art

書籍が建築になること−ル・コルビュジエのタイポグラフィ

飯沼 珠実

ル・コルビュジエの書籍作品『モデュロール1』(1950)にあらわれた新しい建築、それが「タイポグラフィ」である。
彼はそれまでにもさまざまな場で建築を定義してきているが、『モデュロール1』ではあらたに「タイポグラフィ」が建築に含まれたことに、筆者は注意をひかれた。
なぜタイポグラフィが建築なのか、なにがタイポグラフィを建築にしたのか、どのようにタイポグラフィは建築になったのか、タイポグラフィが建築であるとはどういうことか。本論文はこのようなル・コルビュジエへの問いかけに、アーティストである筆者がその回答をみつけてゆく試みである。
そもそもタイポグラフィとはなにか。この語からひろがるランドスケープは、そのひとのタイポグラフィの経験によって多様なひろがりをみせる。あるひとにとっては活字そのものであり、写植作業、活版印刷、その工房の風景であるかもしれない。またグラフィックデザイン、エディトリアルデザイン、ブックデザイン、そして印刷や製本といった書籍制作を包括した概念や態度をもタイポグラフィと想像するひともいるだろう。
筆者は都市景観や建造物を写真を介して取り扱い、その様相をプリントや書籍という空間に表現しようとするアーティストである。筆者のタイポグラフィの原風景は2008年から1年半を過ごしたドイツ・ライプツィヒ視覚芸術アカデミーにある。このアカデミーは絵画、写真にならびタイポグラフィ(ドイツ語読みでは「ティポグラフィ」)という専門課程が設置された、ドイツ国内でも珍しい学校だ。写真を学ぶ学生が、通称“ティポ”の学生と書籍をつくるということが、まるで当たり前のことのようにおこなわれていたが、それまで本づくりの経験がなかった筆者にとっては目新しい出来事であった。
書籍と人間の活動を包括した筆者のタイポグラフィの風景に、あらたな切り口をもたらしたのがカトリーヌ・ドゥ・スメの著書『書籍の建築をめざして ル・コルビュジエ:版とレイアウト1912−1965』である。ドゥ・スメはル・コルビュジエを「書籍の建築家」と捉え、彼の書籍作品に関する研究成果を纏めている。筆者がこの研究を知ったのは2012年頃のことであり、本論文で参照する詳細な情報はこの研究に拠るところも多い。

ではタイポグラフィがどのように建築として姿をあらわしたのかを明示するため、『モデュロール1』における建築の4つの定義を列記する。

「建築」という語はここでは次の意味をさす:
① 家屋、宮殿ないし社寺、船舶、車輛、飛行機などを築く術。
② 家庭または生産または交換に関する設備をすること。
③ 新聞、雑誌または書籍の印刷の術。
④ 「機械」なる語の中で、人間の存在およびそれを包む空間に直接に結びつく器機の製作に関するもの。その器機の完成のため、伸張展延または熔融して作られた部材に寸法を与えるときに、任意とか概略とかの代りに、理由ある選択基準をもってすることを意味する。

『モデュロール1』でタイポグラフィが建築になった、と筆者が指摘するのは、この項目③を受けてのことである。注意するべき点は、訳者・吉阪隆正が「印刷の術」とした語は、フランス語原文では「L’art typographique」である。「印刷の術」という対訳に間違いは無い。しかしながら、ル・コルビュジエのタイポグラフィのランドスケープは、そこからはるかな広がりをみせている。本論文ではタイポグラフィという語を印刷技術のみには限定せず、印刷物の制作から流通までをその範囲として定義したい。本論文の構成は以下のとおりである。

第一章:世界の最小単位としての書籍
「この世界は一冊の書物に到達するために存在する」このシュテファヌ・マラルメのことばには、タイポグラフィの詩学が凝縮されている。一冊の書籍に縮減された世界、その書籍をふたたび世界に還元させることは可能なのか。

第二章:書籍の空間
文字とイメージということばを造形して版にする、これによって情報ははじめて印刷可能な状態になる。情報が版になり紙に刷りだされ束ねられた書籍、タイポグラフィという建築は自由な空間だ。第二章では、タイポグラフィの組成を綿密に検証した上で、情報を版にすること、世界をフラットニングすること、対象を分類し、あらたな単位を生み出すこと、イメージが版になるときに起こるこのような現象について考える。

第三章:動く建築、動かない建築
戦時中「意気消沈の状態です。何もなし。まったく何もできなかったのです」と嘆くル・コルビュジエであるが、この建造物を制作できなかった時代は、彼のタイポグラフィが建築になった重要な時代である。動く建築として書籍、動かない建築として建造物をとらえ、その相関と差異を検証する。また彼が生涯で戦時中にのみ没頭した壁画について、動く絵画としてのタブローに対し、動かない絵画としてフレスコという関係性から、絵画の建築性と比較し、書籍が建築になることの新たな手がかりを探す。

第四章:書籍が建築になること−タイプライターからユニテ・ダビタシオン・マルセイユへ
ル・コルビュジエにとって、そのペンネームの由来でもある大鴉への憧憬とはなんだったのか。それは俯瞰するまなざしであり、機械時代を象徴する飛行機のメタファーでもあったのかもしれない。書籍が建築になることを、タイプライターからマルセイユのユニテ・ダビタシオンという範囲に置き換え、彼が書籍作品で使用した図版を中心にヴィジュアル資料を多用し、そのシークエンスを追体験する。

結:建築の経験
結びの章では「建築の経験」を手がかりに、多木浩二の写真作品『未完の家』と著作『生きられた家』を参照しながら、書籍が建築であることを写真の建築性に照射する。最後に筆者の修了作品『建築の建築』の解説を添え、本論文を閉じる。ル・コルビュジエのタイポグラフィは、その詩学として、あるいは経験として建築である。このようなことへの理解が、これからのデザイン、建築、芸術分野に、あらたな可能性をあたえることを期待する。
審査委員
伊藤俊治 飯田志保子 鈴木理策 古川聖

飯沼 珠実

書籍が建築になること−ル・コルビュジエのタイポグラフィ


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