Conservation

浅草寺所蔵「水月観音像」の復元研究―月光の表現について―

金 慧印

本研究は、浅草寺蔵「水月観音図」(以下、浅草寺本)において月光を感じさせる表現に着目し、そこにいかなる彩色方法が用いられているのかを実技的な見地から検証し、復元模写による実証を試みるものである。
本研究の対象作品である浅草寺本は縦141.6×横61.6cmで一鋪の絵絹に描かれた絹本著色一幅の作品である。大きな緑色の舟形光背に包まれた浅草寺本の水月観音は、水月観音諸本の中にあって「立像」であることと「舟形光背」を負う点が特異であるため、他の水月観音図にない特異性と芸術性の高さから特別な評価を得ている。
しかし、筆者は、浅草寺本の魅力は独特な図様だけではなく、「月光」を感じさせる彩色技法にもあると考える。そもそも、水月観音図という名称からわかるように「水」と「月」は水月観音図において欠かすことのできない重要な造形要素であるが、水月観音図の中で、直接的に「月」が描かれた作品はきわめて少ない。浅草寺本も「月」が描かれていない作品の一つである。ただし、水月観音図において「月」が間接的に表現されている作例はある。それらには「月」そのものを描かず、水月観音が坐っている岩が水面に近いほど金泥が多用され、水面から遠くなるほど金泥を少なくすることで月光の反射をより具体的に表現し、月の存在を間接的に表している。
ところが、浅草寺本を見てみると、直接的に「月」が描かれていないだけでなく、間接的に「月光」の反射を受け止めるために必要な岩などのモチーフさえ描かれていない。水月観音図であるからには、なんらかの方法で「月」が表現されているはずである。具体的な図様として表現されていないとすれば、浅草寺本のおける「月」はどこに表現されているのか。そこで、「月光」を感じさせる彩色表現によって実現されているという仮説を立てる。この仮説の立証には、先行研究における図様を中心とした考察に加えて、制作当初の彩色表現に関する実技的な復元研究が必要であると考える。
 浅草寺本の「月光」を感じさせる彩色表現において他の水月観音図と大きな相違点である「白色の多用によるハイライト」と「反射光によるグラデーション」注目したい。まず、集合像の中に描かれた水月観音と独尊坐像の水月観音は、図様形式が大きく異なるものの、彩色においてはほぼ一致しているが、浅草寺本には当てはまらない。なぜなら、浅草寺本の裙とヴェール、顔貌の部分などには、他の水月観音図と違って白色が多用されたからである。そして、その独自な彩色表現は、水月観音図の全体の印象を大きく変える重要な役割でありながら、「月光」を表現するためのハイライト効果を狙っていたのである。
そして、「月」の反射光を表現するために必要な岩などのモチーフが省略された浅草寺本には、水面に照らされた月の反射光が上空に向かって暗くなっていく実景の空にみられるようなグラデーションを用いて「月光」を表現したのである。
 以上のように、浅草寺本には、「白色の多用によるハイライト」と「反射光によるグラデーション」いう彩色技法によって、月夜の闇と「月光」が感じさせる表現が行われていたものと結論付けた。加えて、月光に照らされる水月観音の裙やヴェール、顔にハイライト的な白色彩色を多用する点と並べ、着衣の写実的な文様表現によって、暗褐色の背景の中に独尊図の水月観音像を浮び上がらせ、立体感を持たせている点についても注目すべきであった。そのような描き方は、浅草寺本の作者の意図による独自の造形的工夫であると考える。
筆者は、浅草寺本の特異性は時代に共通する表現を越えた特定の絵師の創意によって生み出されたものであったと考える。浅草寺本が数百年の時代を越えた私たちの情感に訴えるのは、浅草寺本に絵師の個性が現れているからなのであろう。
また、浅草寺本の銘記によって絵師の名が知られるところだが、脇侍の水月観音を抜き出し、独尊図として緑色の船形光背を負わせ、通例にない写実性をもった彩色技法を絵師に駆使させた背景には、どのような発願者がいたのであろうか。本研究が行った彩色技法の解明が、浅草寺本もしくは高麗仏画研究の進展に寄与していくことを願う。
審査委員
宮迴正明 有賀祥隆 荒井経 藪内佐斗司 京都絵美 鈴木晴彦

金 慧印

浅草寺所蔵「水月観音像」の復元研究―月光の表現について―


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