唐招提寺伝薬師如来立像模刻制作を通した木取りと台座構造に関する研究
宮木 菜月
本研究対象の唐招提寺伝薬師如来立像(以下、薬師像)は、頭頂から台座までをカヤの一木から彫出する、奈良時代末期の作とされる像である。同寺には他に、同様の木取り・構造をもつ伝獅子吼(ししく)菩薩立像(以下、獅子吼像)、伝衆宝王(しゅうほうおう)菩薩立像(以下、衆宝王像)といった木彫像が伝わる。乾漆や塑造といったモデリング技法が中心であった当代に、このような一木彫が出現した背景には、鑑真来朝に伴う大陸の技術・造形の影響が指摘されている。通史的にみたその意義は多くの先学に認められる一方、具体的な制作方法や制作背景は未だ明らかになっていない。本論は、木取りと台座構造に着目し、薬師像の模刻制作および3像の3Dデータによる比較検証をふまえながら、薬師像の造像技法と制作背景に論及するものである。
第1章では、薬師像に関する先行研究をまとめ、本研究に際して実施された薬師像の3D計測を含めた調査報告を行い、本研究の基本情報とする。
次に第2章では、模刻制作をふまえ、薬師像の木取りの意図について考察する。薬師像には、木芯を後方に外した半割材が用いられている。模刻像の経過観察の結果、その材が水分を多く含んだ生木の状態から彫刻作業が行われたことが推察された。さらに、3Dデータ上で薬師像の左前膊の別材部分を取り除いた頭体幹部の側面輪郭線を抽出し、獅子吼像・衆宝王像のものと比較すると、形状・比率ともに近似する箇所が多くみられた。
薬師像の木取りは、複数の像を造立する際に、像のおおまかなプロポーション・輪郭線を共有するために有効であったことが考えられる。また半割材の木裏を像の背面にすることで、重量のある生木を用いて彫刻する際、材を横にしたまま作業を行いやすい。さらに特筆すべきは、3像ともに像の最奥である背と蓮肉後端が垂直線上に位置することである。つまり薬師像・獅子吼像・衆宝王像の制作における半割材の使用は、干割れを軽減するためというよりも、むしろ材を横にした状態で彫り進めるという、制作上の利便性をふまえた上での選択であるといえる。加えて、正面を木表側にすることにより、前膊に大きく材を矧ぐ必要性が生じるが、木取りに用いられた側面輪郭線は、そもそも頭体幹部のみが示されたものであった可能性が高い。そしてこの工法が、乾漆や塑造といったモデリング技法とは異なる、カービング技法に精通した制作態度を窺わせる点に言及する。
続く第3章では、本体と同材で長い心棒を彫出する、薬師像の長大な台座構造に着目する。その構造は、等身像にもかかわらず、制作の際には高い足場が必要となるなど、彫刻作業において足枷となる場合が多い。模刻制作を通して、台座構造の意図と制作工程を検証したところ、制作初期の粗取りの段階ですでに心棒が彫出されていた可能性が高いという推論が得られた。また、薬師像の像身と台座部分の高さの比率は、奈良時代の乾漆像のものと近似することが想定された。
最後に第4章では、木取りと台座構造の考察をふまえ、大陸の石彫像などとの比較を通し、薬師像の系譜を考察する。唐代の石彫像では、抑揚のある正面の造形に比べ、背面が平板な作例は珍しくない。また、中国において多く開鑿(かいさく)された石窟においては、岩盤から像正面を彫出するため、背面の造形はもとより考慮されない。横にして彫り進める際に有用な木取りや、薬師像の角ばった造形に応じて衣文線が不自然に折れ曲がる点などは、制作者にとって背面の造形が重要視されず、正面から彫出していく工法が背景にあると推測した。また、同時代の作例にはみられない薬師像の台座構造は、大陸の石彫像に目を転じれば、通有の構造であったことが明らかである。しかしながら、蓮弁を挿す、糸巻き型の束を彫出する、心棒下端に溝を切るといった構造は、石彫の作例にはみられず、むしろ木という素材の中でこそ実現されうるものといえる。このことから、構造の類例は大陸の石彫に求められながら、その細部のつくりは、木材の性質を十分に生かしたものであると考えた。
以上をふまえ、薬師像の制作方法は、重たい材を用いたカービング作業に手慣れた制作者を想起させるものであり、さらには群像制作における優れた計画性を示すものであると結論づけた。しかしながら、側面輪郭線や木裏面の活用は、制作に携わった者のみが知り得ることであり、台座構造は別製の台座に組み込まれれば鑑賞者からは見えない箇所となる。そのため、薬師像は奈良時代末期に制作された先駆的な木彫像として、用材の選択、造形などは継承されたものの、その合理的な工法や構造は継承されえなかった。ここに、薬師像の通史的な意義と特異性を再確認するのである。
第1章では、薬師像に関する先行研究をまとめ、本研究に際して実施された薬師像の3D計測を含めた調査報告を行い、本研究の基本情報とする。
次に第2章では、模刻制作をふまえ、薬師像の木取りの意図について考察する。薬師像には、木芯を後方に外した半割材が用いられている。模刻像の経過観察の結果、その材が水分を多く含んだ生木の状態から彫刻作業が行われたことが推察された。さらに、3Dデータ上で薬師像の左前膊の別材部分を取り除いた頭体幹部の側面輪郭線を抽出し、獅子吼像・衆宝王像のものと比較すると、形状・比率ともに近似する箇所が多くみられた。
薬師像の木取りは、複数の像を造立する際に、像のおおまかなプロポーション・輪郭線を共有するために有効であったことが考えられる。また半割材の木裏を像の背面にすることで、重量のある生木を用いて彫刻する際、材を横にしたまま作業を行いやすい。さらに特筆すべきは、3像ともに像の最奥である背と蓮肉後端が垂直線上に位置することである。つまり薬師像・獅子吼像・衆宝王像の制作における半割材の使用は、干割れを軽減するためというよりも、むしろ材を横にした状態で彫り進めるという、制作上の利便性をふまえた上での選択であるといえる。加えて、正面を木表側にすることにより、前膊に大きく材を矧ぐ必要性が生じるが、木取りに用いられた側面輪郭線は、そもそも頭体幹部のみが示されたものであった可能性が高い。そしてこの工法が、乾漆や塑造といったモデリング技法とは異なる、カービング技法に精通した制作態度を窺わせる点に言及する。
続く第3章では、本体と同材で長い心棒を彫出する、薬師像の長大な台座構造に着目する。その構造は、等身像にもかかわらず、制作の際には高い足場が必要となるなど、彫刻作業において足枷となる場合が多い。模刻制作を通して、台座構造の意図と制作工程を検証したところ、制作初期の粗取りの段階ですでに心棒が彫出されていた可能性が高いという推論が得られた。また、薬師像の像身と台座部分の高さの比率は、奈良時代の乾漆像のものと近似することが想定された。
最後に第4章では、木取りと台座構造の考察をふまえ、大陸の石彫像などとの比較を通し、薬師像の系譜を考察する。唐代の石彫像では、抑揚のある正面の造形に比べ、背面が平板な作例は珍しくない。また、中国において多く開鑿(かいさく)された石窟においては、岩盤から像正面を彫出するため、背面の造形はもとより考慮されない。横にして彫り進める際に有用な木取りや、薬師像の角ばった造形に応じて衣文線が不自然に折れ曲がる点などは、制作者にとって背面の造形が重要視されず、正面から彫出していく工法が背景にあると推測した。また、同時代の作例にはみられない薬師像の台座構造は、大陸の石彫像に目を転じれば、通有の構造であったことが明らかである。しかしながら、蓮弁を挿す、糸巻き型の束を彫出する、心棒下端に溝を切るといった構造は、石彫の作例にはみられず、むしろ木という素材の中でこそ実現されうるものといえる。このことから、構造の類例は大陸の石彫に求められながら、その細部のつくりは、木材の性質を十分に生かしたものであると考えた。
以上をふまえ、薬師像の制作方法は、重たい材を用いたカービング作業に手慣れた制作者を想起させるものであり、さらには群像制作における優れた計画性を示すものであると結論づけた。しかしながら、側面輪郭線や木裏面の活用は、制作に携わった者のみが知り得ることであり、台座構造は別製の台座に組み込まれれば鑑賞者からは見えない箇所となる。そのため、薬師像は奈良時代末期に制作された先駆的な木彫像として、用材の選択、造形などは継承されたものの、その合理的な工法や構造は継承されえなかった。ここに、薬師像の通史的な意義と特異性を再確認するのである。
- 審査委員
- 藪内佐斗司 松田誠一郎 深井隆 森淳一 山田修
唐招提寺伝薬師如来立像模刻制作を通した木取りと台座構造に関する研究
Conservation