たらしこみの研究―尾形光琳筆「四季草花図巻」(個人蔵)の模写を通して―
林 樹里
たらしこみは江戸時代を通して琳派を中心に継承された日本独自の技法とされる。概して先に塗った水墨や絵の具が乾かないうちに、異なる濃度や色の水墨、絵の具を加える技法と定義づけられ、琳派の作品にみる様々な滲みを包括して指す。一方、「たらしこみ」は近代に生まれた語であり、江戸時代にはこれを意味する記述もないことがわかっている。本研究は尾形光琳筆「四季草花図巻」(個人蔵)の模写を中心とした実技的考察から、現在「たらしこみ」と呼ばれる技法の制作当初の本質を明らかにするものである。
第1章で、たらしこみに言及する資料を概観すると、近代以降琳派に特徴的な滲みを<たらしこむ>ことで生み出された表現行為として捉え、「たらしこみ」はこれを反映して成立した語であると考えられた。この背景には大正期の日本画界で個性や表現を重視する傾向があったことが関係すると言えた。
第2章では、たらしこみの代表的作例として尾形光琳筆「四季草花図巻」(個人蔵)を挙げ、先行研究を概観した。本作に対しては光琳が宗達画への理解を示しつつたらしこみを独自の芸術にまで高めたとする共通認識がある。それはしばしば宗達や伊年印の作に比べたらしこみが控えめで適所に施されるとされ、植物に対する写生的感覚とも関連付けてきた。しかし、それを実現した実技的工夫は明らかでなく、また師に直接的指導を受けない私淑において光琳が宗達からいかに滲みを解釈し継承したかは検討の余地があり、本研究で特に光琳の作品を取り上げることは私淑における技法継承のあり方にも言及できると考えられた。
そこで第3章では、様々な条件や素材を用いてたらしこみを実践的に考察した。すると、従来たらしこみと呼ばれてきた表現は決して<たらしこむ>行為から生まれるものばかりではないことが明らかになった。つまり、ドーサ引きで完全に水分の浸透を防いだ紙にたっぷりした水墨で描くだけで自然と滲みが表出することわかったのだ。
これを踏まえて第4章では、尾形光琳筆「四季草花図巻」(個人蔵)の模写を行い制作の追体験から本作の滲みについて考察した。すると、たらしこみの代表的作品とされる本作でさえも、光琳は<たらしこむ>行為を行わず、素材同士の兼ね合いを判断して習熟した筆致で描いた最後に、みずからの意図から離しておのずから生まれる滲みを活かしていたのであった。
最後に結論として、以上の考察を踏まえて「四季草花図巻」を中心に琳派の滲みの本来的な意義を述べた。従来一括りにされてきた琳派作品の滲みには<たらしこむ>行為が介在するものばかりではなく、ドーサ引きした紙にたっぷりとした水墨で描くことで自然と表出した「にじみ」が多分にあったことが明らかとなった。「四季草花図巻」はこの「にじみ」の偶然性を積極的に取り入れた作品だったのであり、明確な完成に向け一定の手順で描く従来の絵画とは一線を画す革新的なものだったと言える。
また、この「にじみ」の特徴は、紙の表面で起こるものであった。例えば「四季草花図巻」は中国明代文人画からの画題的影響が指摘されるが、一方両者を実技的に比較すると、そこには水墨の滲む方向性には差がある。明代文人の画巻は半加工紙が用いられたと考えられ、このように少しでも水分の侵入を許す基底材では水墨は作者が筆をおいた箇所から紙の繊維をつたい内側、外側へと拡がる。対して「四季草花図巻」のようなドーサ引紙では水と墨は筆致の範囲内で紙上に滞留することで、かえってその中で自由に動き、溜まりの差や乾燥速度の差から作者の意図を離れた滲みを生む。ここには水を表現媒体として捉える感覚が強く認められ、これは本作の彩色表現にも通じると言えた。
さらに、こうした「にじみ」の面白さは “型の中での変容”にあると言える。本研究では「四季草花図巻」の度重なる模写を行ったが、どれだけ同様の材料や条件で、そして同様の形で描いても、表出する「にじみ」の表情はすべて異なる。「四季草花図巻」を含む光琳の作品にはしばしば型の存在が指摘されるが、光琳が本作で見出したのは、括られた形の中で変容する一回性の「にじみ」だった。
そして、私淑の琳派における滲みは時代ごと絵師ごとの解釈で継承されたと言える。中世文化を引き継ぎつつ「かぶきもの」の新たな気運が漂う時代に生きた宗達は、工房制作の量産のなかにも偶然性と一回性を実現した。光琳の生きた元禄期は文化の形式化と変容、また文人文化の萌芽にみる自由で捉われのないものへの希求があった。さらに、光琳顕彰に尽力し現在の琳派観の礎を作った抱一は、絹本作品に<たらしこむ>行為で滲みを継承したと考えられた。
本研究の結論は、実技的な見地を踏まえることで、たらしこみという語で漠然と一括りにされてきた現状を打開し絵師や作品ごとの特質へ目を向ける重要性を示唆するものであり、今後の研究に新たな視点を与えると期待する。
第1章で、たらしこみに言及する資料を概観すると、近代以降琳派に特徴的な滲みを<たらしこむ>ことで生み出された表現行為として捉え、「たらしこみ」はこれを反映して成立した語であると考えられた。この背景には大正期の日本画界で個性や表現を重視する傾向があったことが関係すると言えた。
第2章では、たらしこみの代表的作例として尾形光琳筆「四季草花図巻」(個人蔵)を挙げ、先行研究を概観した。本作に対しては光琳が宗達画への理解を示しつつたらしこみを独自の芸術にまで高めたとする共通認識がある。それはしばしば宗達や伊年印の作に比べたらしこみが控えめで適所に施されるとされ、植物に対する写生的感覚とも関連付けてきた。しかし、それを実現した実技的工夫は明らかでなく、また師に直接的指導を受けない私淑において光琳が宗達からいかに滲みを解釈し継承したかは検討の余地があり、本研究で特に光琳の作品を取り上げることは私淑における技法継承のあり方にも言及できると考えられた。
そこで第3章では、様々な条件や素材を用いてたらしこみを実践的に考察した。すると、従来たらしこみと呼ばれてきた表現は決して<たらしこむ>行為から生まれるものばかりではないことが明らかになった。つまり、ドーサ引きで完全に水分の浸透を防いだ紙にたっぷりした水墨で描くだけで自然と滲みが表出することわかったのだ。
これを踏まえて第4章では、尾形光琳筆「四季草花図巻」(個人蔵)の模写を行い制作の追体験から本作の滲みについて考察した。すると、たらしこみの代表的作品とされる本作でさえも、光琳は<たらしこむ>行為を行わず、素材同士の兼ね合いを判断して習熟した筆致で描いた最後に、みずからの意図から離しておのずから生まれる滲みを活かしていたのであった。
最後に結論として、以上の考察を踏まえて「四季草花図巻」を中心に琳派の滲みの本来的な意義を述べた。従来一括りにされてきた琳派作品の滲みには<たらしこむ>行為が介在するものばかりではなく、ドーサ引きした紙にたっぷりとした水墨で描くことで自然と表出した「にじみ」が多分にあったことが明らかとなった。「四季草花図巻」はこの「にじみ」の偶然性を積極的に取り入れた作品だったのであり、明確な完成に向け一定の手順で描く従来の絵画とは一線を画す革新的なものだったと言える。
また、この「にじみ」の特徴は、紙の表面で起こるものであった。例えば「四季草花図巻」は中国明代文人画からの画題的影響が指摘されるが、一方両者を実技的に比較すると、そこには水墨の滲む方向性には差がある。明代文人の画巻は半加工紙が用いられたと考えられ、このように少しでも水分の侵入を許す基底材では水墨は作者が筆をおいた箇所から紙の繊維をつたい内側、外側へと拡がる。対して「四季草花図巻」のようなドーサ引紙では水と墨は筆致の範囲内で紙上に滞留することで、かえってその中で自由に動き、溜まりの差や乾燥速度の差から作者の意図を離れた滲みを生む。ここには水を表現媒体として捉える感覚が強く認められ、これは本作の彩色表現にも通じると言えた。
さらに、こうした「にじみ」の面白さは “型の中での変容”にあると言える。本研究では「四季草花図巻」の度重なる模写を行ったが、どれだけ同様の材料や条件で、そして同様の形で描いても、表出する「にじみ」の表情はすべて異なる。「四季草花図巻」を含む光琳の作品にはしばしば型の存在が指摘されるが、光琳が本作で見出したのは、括られた形の中で変容する一回性の「にじみ」だった。
そして、私淑の琳派における滲みは時代ごと絵師ごとの解釈で継承されたと言える。中世文化を引き継ぎつつ「かぶきもの」の新たな気運が漂う時代に生きた宗達は、工房制作の量産のなかにも偶然性と一回性を実現した。光琳の生きた元禄期は文化の形式化と変容、また文人文化の萌芽にみる自由で捉われのないものへの希求があった。さらに、光琳顕彰に尽力し現在の琳派観の礎を作った抱一は、絹本作品に<たらしこむ>行為で滲みを継承したと考えられた。
本研究の結論は、実技的な見地を踏まえることで、たらしこみという語で漠然と一括りにされてきた現状を打開し絵師や作品ごとの特質へ目を向ける重要性を示唆するものであり、今後の研究に新たな視点を与えると期待する。
- 審査委員
- 宮迴正明 有賀祥隆 荒井経 木島隆康 國司華
たらしこみの研究―尾形光琳筆「四季草花図巻」(個人蔵)の模写を通して―
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