分子生物学的手法を用いた担子菌による木造文化財の劣化評価に関する研究
杉山 智昭
担子菌類による木材腐朽は、菌糸侵入後の初期段階で急速に木材組織の分解を進行させる危険性がある。しかし、腐朽に対する検査・診断技術に関しては未だ目視、触診など感覚に依存する部分が大きく、腐朽被害がある程度進行した後でなければ担子菌の侵入を確認・判定することはできない。
一方、近年では菌類の検出、同定にDNAやタンパク質のアミノ酸配列などを指標とした分子生物学的な手法が用いられるようになってきている。分子生物学的手法の利点としては菌類の同定を短時間で行うことができることに加え、観察者の主観や恣意性を排除した客観的な同定が可能であることがあげられる。また、菌類に関する分子生物学の進展にともない技術的な選択肢も広がりつつあり、木造文化財を実際に取り扱う中小規模施設でも大きな初期投資を要さず実施可能な汎用性と簡便性をあわせもつ、菌類の検出システムの選択・構築も可能となってきている。
そこで本研究では、分子生物学的手法を用いて木材中に侵入した担子菌を初期段階で検出し、その生理活性の捕捉を比較的簡易に可能とする技術の開発と実地応用について検討した。
第1章では、序論として本研究が必要とされる背景、研究目的および全体の論文構成について概説した。
第2章においては、木造文化財に発生する担子菌の高感度検出について基礎調査を実施した。その結果、木造建築物に発生する代表的な担子菌11種についてrDNAのITS2領域に対して種特異的プライマーを設計し、PCR(Polymerase Chain Reaction)法を用いた分析を行ったところ、標的とした担子菌11種を選択的に検出・同定することが可能であった。また、Serpula lacrymans(ナミダタケ)菌糸より抽出されたDNAを鋳型としてPCR分析の検出感度の評価を実施したところ、設計した種特異的プライマーのセット、および担子菌特異的なプライマーのセットとも1pgのDNAを安定的に増幅できることが明らかとなった。さらに等温条件において標的遺伝子の増幅を短時間で可能とするLAMP(Loop-mediated isothermal amplification)法を用いて、諸条件における担子菌DNAの増幅を試みた結果、種特異的なプライマーのセット、および担子菌の18S rDNA領域に特異的なプライマーのセットを設計し、使用することによって、反応溶液に蛍光、あるいは濁度上昇を目視で認めることができた。これにより、電気泳動を行うことなく、増幅反応から検出までを含めた分析が60分以内に終了する、より簡易かつ迅速な検出系として本技術が応用可能であることが示された。本章の結果は、代表的な木材腐朽菌について種レベルでの安定した検出法を提供するものであるとともに、広く担子菌を特異的に検出する系との併用によって、現場の状況に応じた最適な劣化評価基準の提示に寄与するものと考えられる。
第3章においては、予防的保存概念にもとづく担子菌の生理活性モニタリングを行うため、RT(Reverse Transcription)- LAMP法を用いて、18S rRNAからのcDNAの合成とその増幅を試み、担子菌の遺伝子発現解析が可能であるか検討を行った。その結果、菌の活動状態に応じてcDNA増幅の有無が確認されたため、担子菌の活性モニタリングにRT-LAMP法を応用可能であることが示唆された。
第4章においては、実際の試料分析の際、菌糸以外に反応系への持ち込みが想定される木材成分および木材保存剤成分が核酸増幅反応に及ぼす影響について検証した。その結果、木材保存剤に関しては、反応系への直接添加量の増加にともないPCR法、LAMP法ともに増幅阻害効果が認められた。しかし、木材保存剤はDNA抽出操作によって試料中から除去され、実際の分析には影響を及ぼさないことが明らかとなった。
第5章では、分子生物学的手法の技術的実用性について検証するため、歴史的木造建築物について実際の調査を行った。重要文化財の旧開拓使工業局庁舎の補修工事にあたり、部材の一部をサンプルとして収集し、その劣化状態について各種調査を行った結果、明確な腐朽が認められた部位に加えて、光学顕微鏡、走査型電子顕微鏡を用いた組織観察で健全と判断された部位の一部についても、担子菌特異的なプライマーによって標的領域(rDNA)のPCR増幅が確認された。さらに、当麻神社の調査においては、腐朽被害を受けた木造建築物の同一領域部材から、環境改善工事の直後(1回目)とその6ヶ月後(2日目)に試料のサンプリングを行い、RT- LAMP法による担子菌の生理活性モニタリングを実施した。その結果、cDNA増幅が1回目と比較し、2回目の試料については、大幅に低下していることが明らかとなった。この結果は、環境改善による担子菌活動の抑制効果を客観的に示すもので、文化財の保存計画を構築する上で、RT- LAMP法が有益な情報を提供可能であることを示唆する。
第6章では、本研究を総括し、分子生物学的手法を用いた木造文化財の担子菌による劣化評価の文化財保存科学上の意義についてまとめた。
一方、近年では菌類の検出、同定にDNAやタンパク質のアミノ酸配列などを指標とした分子生物学的な手法が用いられるようになってきている。分子生物学的手法の利点としては菌類の同定を短時間で行うことができることに加え、観察者の主観や恣意性を排除した客観的な同定が可能であることがあげられる。また、菌類に関する分子生物学の進展にともない技術的な選択肢も広がりつつあり、木造文化財を実際に取り扱う中小規模施設でも大きな初期投資を要さず実施可能な汎用性と簡便性をあわせもつ、菌類の検出システムの選択・構築も可能となってきている。
そこで本研究では、分子生物学的手法を用いて木材中に侵入した担子菌を初期段階で検出し、その生理活性の捕捉を比較的簡易に可能とする技術の開発と実地応用について検討した。
第1章では、序論として本研究が必要とされる背景、研究目的および全体の論文構成について概説した。
第2章においては、木造文化財に発生する担子菌の高感度検出について基礎調査を実施した。その結果、木造建築物に発生する代表的な担子菌11種についてrDNAのITS2領域に対して種特異的プライマーを設計し、PCR(Polymerase Chain Reaction)法を用いた分析を行ったところ、標的とした担子菌11種を選択的に検出・同定することが可能であった。また、Serpula lacrymans(ナミダタケ)菌糸より抽出されたDNAを鋳型としてPCR分析の検出感度の評価を実施したところ、設計した種特異的プライマーのセット、および担子菌特異的なプライマーのセットとも1pgのDNAを安定的に増幅できることが明らかとなった。さらに等温条件において標的遺伝子の増幅を短時間で可能とするLAMP(Loop-mediated isothermal amplification)法を用いて、諸条件における担子菌DNAの増幅を試みた結果、種特異的なプライマーのセット、および担子菌の18S rDNA領域に特異的なプライマーのセットを設計し、使用することによって、反応溶液に蛍光、あるいは濁度上昇を目視で認めることができた。これにより、電気泳動を行うことなく、増幅反応から検出までを含めた分析が60分以内に終了する、より簡易かつ迅速な検出系として本技術が応用可能であることが示された。本章の結果は、代表的な木材腐朽菌について種レベルでの安定した検出法を提供するものであるとともに、広く担子菌を特異的に検出する系との併用によって、現場の状況に応じた最適な劣化評価基準の提示に寄与するものと考えられる。
第3章においては、予防的保存概念にもとづく担子菌の生理活性モニタリングを行うため、RT(Reverse Transcription)- LAMP法を用いて、18S rRNAからのcDNAの合成とその増幅を試み、担子菌の遺伝子発現解析が可能であるか検討を行った。その結果、菌の活動状態に応じてcDNA増幅の有無が確認されたため、担子菌の活性モニタリングにRT-LAMP法を応用可能であることが示唆された。
第4章においては、実際の試料分析の際、菌糸以外に反応系への持ち込みが想定される木材成分および木材保存剤成分が核酸増幅反応に及ぼす影響について検証した。その結果、木材保存剤に関しては、反応系への直接添加量の増加にともないPCR法、LAMP法ともに増幅阻害効果が認められた。しかし、木材保存剤はDNA抽出操作によって試料中から除去され、実際の分析には影響を及ぼさないことが明らかとなった。
第5章では、分子生物学的手法の技術的実用性について検証するため、歴史的木造建築物について実際の調査を行った。重要文化財の旧開拓使工業局庁舎の補修工事にあたり、部材の一部をサンプルとして収集し、その劣化状態について各種調査を行った結果、明確な腐朽が認められた部位に加えて、光学顕微鏡、走査型電子顕微鏡を用いた組織観察で健全と判断された部位の一部についても、担子菌特異的なプライマーによって標的領域(rDNA)のPCR増幅が確認された。さらに、当麻神社の調査においては、腐朽被害を受けた木造建築物の同一領域部材から、環境改善工事の直後(1回目)とその6ヶ月後(2日目)に試料のサンプリングを行い、RT- LAMP法による担子菌の生理活性モニタリングを実施した。その結果、cDNA増幅が1回目と比較し、2回目の試料については、大幅に低下していることが明らかとなった。この結果は、環境改善による担子菌活動の抑制効果を客観的に示すもので、文化財の保存計画を構築する上で、RT- LAMP法が有益な情報を提供可能であることを示唆する。
第6章では、本研究を総括し、分子生物学的手法を用いた木造文化財の担子菌による劣化評価の文化財保存科学上の意義についてまとめた。
- 審査委員
- 稲葉政満 桐野文良 塚田全彦 佐藤嘉則
分子生物学的手法を用いた担子菌による木造文化財の劣化評価に関する研究
Conservation Science