障碍者の芸術活動における支援者のあり方 ―障碍者と支援者の啐啄の関係を通して―
福岡 龍太
筆者は、3年前より、障碍者と共に芸術活動をする実践を社会福祉事業所や障碍児保育施設など、主に5か所でおこなってきた。本論文はその実践から見えてきた、芸術活動、特に美術制作活動における支援者の支援のあり方について論じるものである。
筆者は、2015年5月に「楽画会(らくがかい)」と名付けた、障碍者とともに表現環境のすそ野を広げる実践活動の場を立ち上げた。同年10月から現在に至るまで、楽画会は障碍者福祉施設や障碍児学童施設において定期的に開催されている。
この実践活動の中で、筆者は支援者として、時には指導者として、自分自身を表現するのに消極的な多くの障碍者と対峙した。その際に、障碍者が豊かな生活を送るために必要なのは物だけではなく、心の支援のような無形のモノがなければならないという問題意識を持ち、その無形の支援を、描画行為を通して実践的に追究しようと着想したことが本研究の動機である。
いわば障碍者と支援者とが啐啄(そったく)の関係を構築することで、障碍者の真の表現ができうると考えるに至った。ここで言う啐啄の関係とは、障碍者と支援者が寄り添いながら表現活動を共有し、各々の表現を楽しむことを指している。また真の表現とは、他者から導かれて表現することではなく、支援者との関係から生まれる障碍者の自発的な表現を指し、障碍者がなかなか表現できない状態も、真の表現につながる貴重な時間だととらえる。
筆者が障碍者とおこなう表現活動は、積極的に表現することができる特定の障碍者のスキルアップを図るものでもなければ、障碍の特徴や程度に合わせて活動内容を変えるようなものでもない。真の表現を目指して、ほとんどの障碍者ができるであろう「描く」ということを楽しめる環境づくりの充実が企図されている。
本論文の中心は、そうした実践活動の記録である。記録にあたっては参与観察法を援用し、支援者の主観を排することなく、障碍者と支援者の相互的な関係から生成される場の状態を記述している。
管見の限り、障碍者の芸術活動支援に関する研究において、特定の障碍に対する芸術表現へのアプローチや方法論を示したものはあるが、障碍を区別しない芸術表現の支援を対象とした研究は見当たらない。本研究は、多様な障碍のある広範な世代の障碍者との芸術活動の取り組みに基づき、支援の在り方を提示しようとするところに独自性があり、現在の日本で推進されている障碍者の芸術活動における支援の課題を解決するための一助となり得るものである。そして、筆者は実践活動を継続することにより、障碍者と健常者の垣根を感じることがない社会の構築の実現のために、本研究の成果を活かしたいと考えている。
本論文の構成は以下の通りである。
第1章では、2章以下に実践記録を述べるための予備考察として、日本における障碍者の芸術活動の現状と、芸術活動の支援における課題を論じる。そして、筆者がおこなってきた活動や楽画会設立の趣旨と目的について述べる。
第2章では、言葉による意思疎通が不得手な障碍者との表現交流の実践から支援の在り方を探る。この実践は、重度障碍者共同生活介護施設Nにおける楽画会の活動によるもので、実践記録をもとに参加者と筆者との信頼関係の構築や真の表現の変遷について論じる。
第3章では、就労支援施設Kにおける余暇活動として取り入れた楽画会の実践を取り上げる。昼休みに開催する楽画会はわずかな時間ではあるが、定期的な活動として定着するにつれて観察された参加者の表現意欲や心の変化、日常生活における家族との関わり方について記録している。
第4章では、愛着障碍等の原因により犯罪行為に発展し得る可能性が高い障碍児とおこなった楽画会の実践について述べる。この実践で筆者は、地域生活定着支援センターGの参加者に対して犯罪抑止力につながる美術活動による関わりを探り、社会生活への適応を目指した。障碍児の心の声を安心して真の表現に変換できる環境をつくることで見えてきた心の成長の記録である。
研究を総括する結章では、楽画会から見えてきた表現活動の実態や、楽画会の意義と矛盾を明らかにする。そして啐啄の関係による支援活動の重要性を再認識し、楽画会の矛盾を克服するための試案を提示する。さらに今後の展望で障碍者の芸術活動における支援の在り方について考察し、結論とする。
究極的に、筆者は障碍者と健常者がともに垣根のない社会を目指している。そのためには、筆者の得意とする美術活動を用いて障碍者支援活動を続ける必要がある。多様な支援のかたちは障碍者を支えるようになりつつあるが、支援者一人ひとりが得意の分野を活かして継続した支援ができたならば、目指す社会は必ず近づいてくるにちがいない。
筆者は、2015年5月に「楽画会(らくがかい)」と名付けた、障碍者とともに表現環境のすそ野を広げる実践活動の場を立ち上げた。同年10月から現在に至るまで、楽画会は障碍者福祉施設や障碍児学童施設において定期的に開催されている。
この実践活動の中で、筆者は支援者として、時には指導者として、自分自身を表現するのに消極的な多くの障碍者と対峙した。その際に、障碍者が豊かな生活を送るために必要なのは物だけではなく、心の支援のような無形のモノがなければならないという問題意識を持ち、その無形の支援を、描画行為を通して実践的に追究しようと着想したことが本研究の動機である。
いわば障碍者と支援者とが啐啄(そったく)の関係を構築することで、障碍者の真の表現ができうると考えるに至った。ここで言う啐啄の関係とは、障碍者と支援者が寄り添いながら表現活動を共有し、各々の表現を楽しむことを指している。また真の表現とは、他者から導かれて表現することではなく、支援者との関係から生まれる障碍者の自発的な表現を指し、障碍者がなかなか表現できない状態も、真の表現につながる貴重な時間だととらえる。
筆者が障碍者とおこなう表現活動は、積極的に表現することができる特定の障碍者のスキルアップを図るものでもなければ、障碍の特徴や程度に合わせて活動内容を変えるようなものでもない。真の表現を目指して、ほとんどの障碍者ができるであろう「描く」ということを楽しめる環境づくりの充実が企図されている。
本論文の中心は、そうした実践活動の記録である。記録にあたっては参与観察法を援用し、支援者の主観を排することなく、障碍者と支援者の相互的な関係から生成される場の状態を記述している。
管見の限り、障碍者の芸術活動支援に関する研究において、特定の障碍に対する芸術表現へのアプローチや方法論を示したものはあるが、障碍を区別しない芸術表現の支援を対象とした研究は見当たらない。本研究は、多様な障碍のある広範な世代の障碍者との芸術活動の取り組みに基づき、支援の在り方を提示しようとするところに独自性があり、現在の日本で推進されている障碍者の芸術活動における支援の課題を解決するための一助となり得るものである。そして、筆者は実践活動を継続することにより、障碍者と健常者の垣根を感じることがない社会の構築の実現のために、本研究の成果を活かしたいと考えている。
本論文の構成は以下の通りである。
第1章では、2章以下に実践記録を述べるための予備考察として、日本における障碍者の芸術活動の現状と、芸術活動の支援における課題を論じる。そして、筆者がおこなってきた活動や楽画会設立の趣旨と目的について述べる。
第2章では、言葉による意思疎通が不得手な障碍者との表現交流の実践から支援の在り方を探る。この実践は、重度障碍者共同生活介護施設Nにおける楽画会の活動によるもので、実践記録をもとに参加者と筆者との信頼関係の構築や真の表現の変遷について論じる。
第3章では、就労支援施設Kにおける余暇活動として取り入れた楽画会の実践を取り上げる。昼休みに開催する楽画会はわずかな時間ではあるが、定期的な活動として定着するにつれて観察された参加者の表現意欲や心の変化、日常生活における家族との関わり方について記録している。
第4章では、愛着障碍等の原因により犯罪行為に発展し得る可能性が高い障碍児とおこなった楽画会の実践について述べる。この実践で筆者は、地域生活定着支援センターGの参加者に対して犯罪抑止力につながる美術活動による関わりを探り、社会生活への適応を目指した。障碍児の心の声を安心して真の表現に変換できる環境をつくることで見えてきた心の成長の記録である。
研究を総括する結章では、楽画会から見えてきた表現活動の実態や、楽画会の意義と矛盾を明らかにする。そして啐啄の関係による支援活動の重要性を再認識し、楽画会の矛盾を克服するための試案を提示する。さらに今後の展望で障碍者の芸術活動における支援の在り方について考察し、結論とする。
究極的に、筆者は障碍者と健常者がともに垣根のない社会を目指している。そのためには、筆者の得意とする美術活動を用いて障碍者支援活動を続ける必要がある。多様な支援のかたちは障碍者を支えるようになりつつあるが、支援者一人ひとりが得意の分野を活かして継続した支援ができたならば、目指す社会は必ず近づいてくるにちがいない。
- 審査委員
- 本郷寛 石川千佳子 木津文哉 豊福誠 竹澤大史
障碍者の芸術活動における支援者のあり方 ―障碍者と支援者の啐啄の関係を通して―
Art and Education