Sculpture
彫刻の抵抗感 内的触覚によって切り出された風景
北山 翔一
本論文は、私の彫刻家を志す者としての造形の実践を通して得た視点をもとに、風景や作品に感得される「抵抗感」に着目し、彫刻というものの特質について研究したものである。ここでいう「抵抗感」とは、高村光太郎の言う「視覚によって経験する触覚」がもたらす「触覚のクオリア」であり、それは「内的触覚」と言い換えることもできる。
「内的触覚」は彫刻家の造形衝動を喚起する。私のそれは、忘れ難い風景との出会いによる「抵抗感」であり、その秘密を探究することで彫刻を思考し制作を進めてきた。加えて、私が用いている木彫という技法は、「切る」ことがその造形の主たる作業であり、彫刻されたかたちは「素材」、「私/内なる風景」から「切り出されたもの」であると言える。これらが意味するところを改めて問い直しながら、独自の彫刻表現を考察してみた。
本論の構成は以下である。
第1章《山と私》では、造形衝動を喚起する「風景」について考察した。私はある時見た、夕闇に溶け込んでいる北アルプスに「山の秘密」を見出した。それが風景の「抵抗感」との出会いであった。このことに触れることから始め、私が山に見た力と彫刻の関係を定義する。また、風景を見る視点と、彫刻を作る視点の差異を明らかにしながら、筆者の修士修了制作について記述し、その中でモチーフとなった岸田劉生の《切通之写生》とポール・セザンヌの多視点的絵画が喚起する「内的触覚」について考察した。その結果、「触覚のクオリア」が彫刻においても「完成」を司る要素であることを導き出す。さらに、風景の「抵抗感」が可視光として知覚できるものとした時、光に属しながら可視光とは異なる「内的な光」であると仮定するに至った。
第2章《彫刻は切り出される》は、彫刻が作られる上で彫刻と作者の間にある造形的な構造について再考した。ここでは、古代彫刻の「断片性」と彫刻の造形上の特性である、作りきれない背景とも言うべき「全体」の存在を指摘する。これについて、大英博物館のパルテノン破風彫刻とアンソニー・カロの制作、そして私の彫刻の原体験をもとに紐解く。また、私の木彫の継続的制作によって得られた実感をもとに、彫刻の断片性を強く物語る「木」の素材感について述べる。以上から導きされる「切り出す」という言葉をキーワードに、私の木彫が「内なる風景」の断面として現実の空間に、突出して現れたものであると結論づけた。
第3章《星空と私》では、第1章で言及した「抵抗感/内的な光」の考察をもとに、幼少の頃に見た「天の川の抵抗感」と「山の秘密」との関連を指摘し、「触覚の眼」で星空を見ることで、そこに「非接触の実在」があることを説明する。また「触覚」を喚起する作例を示し自作の展開を考察することで、造形の「抵抗感」が作者の「内なる風景」の実像とそれをつかもうとする造形意識によって生まれ、その「見えないものを見ようとする姿勢」が、かたちに内的な光を与えていることを明らかにした。そして、山の奥の見えない領域や、空、星空の抵抗感、それらを総括するモチーフが「天の川」にあることを導き出した。
第4章《抵抗感》では、彫刻に「内的な触覚」による造形によって生じる「彫刻の抵抗感」が具体的にどのようなものかを考察した。彫刻は作者の「触覚」と「内なる風景」が「内的触覚の風景=彫刻の秘密」を作り出し、それを鑑賞者が触覚的に身体で味わうことによって鑑賞される。ヨーゼフ・ボイスの作品における私の実体験をもとに、彫刻の「肉体的鑑賞」と「山の秘密」との対峙を結びつけ類似を指摘した。
それに加え、彫刻独自の「抵抗感」を担う要素として物体の「立ち上がり」を挙げる。それは、見る人が自身の「身体」を物体に投影することによって、そのものの物質感を感得することで生じる力である。そこに「触覚」を喚起する造形が作り出す、視線に反発する力が加わることで、空間を押し広げるボリュームが生まれる。この実践を、自作制作プロセスを用いて説明し、「彫刻の抵抗感」について結論づけた。それは彫刻に隠された「秘密」が「内的触覚とそのクオリア」を通じて視覚的ボリュームに変化することで、鑑賞者の内面に見出されるものである。そして私の「彫刻」の制作そのものは、風景や彫刻の抵抗感に内在する「私という実在」への驚きと、実感の確認を意味していることが明らかとなった。
最後に、《結び》では博士審査展提出作品の過程、内容と今後の展望を述べた。
以上のように本論文では、「風景」を触覚的に観察する事で生じた「彫刻」への問いと、それを通じた造形の見方によって「彫刻」の実体を導き出そうと試みた。
私の彫刻は、眼と心によって得られる手触りをもとに、構成や造形上で「切り出すこと」を用いて作られ、そのような私の「内的触覚を通して視覚世界から切り出された風景」が、現実の空間に抵抗感を持ちながら「突出した断面」として現れたものなのである。
「内的触覚」は彫刻家の造形衝動を喚起する。私のそれは、忘れ難い風景との出会いによる「抵抗感」であり、その秘密を探究することで彫刻を思考し制作を進めてきた。加えて、私が用いている木彫という技法は、「切る」ことがその造形の主たる作業であり、彫刻されたかたちは「素材」、「私/内なる風景」から「切り出されたもの」であると言える。これらが意味するところを改めて問い直しながら、独自の彫刻表現を考察してみた。
本論の構成は以下である。
第1章《山と私》では、造形衝動を喚起する「風景」について考察した。私はある時見た、夕闇に溶け込んでいる北アルプスに「山の秘密」を見出した。それが風景の「抵抗感」との出会いであった。このことに触れることから始め、私が山に見た力と彫刻の関係を定義する。また、風景を見る視点と、彫刻を作る視点の差異を明らかにしながら、筆者の修士修了制作について記述し、その中でモチーフとなった岸田劉生の《切通之写生》とポール・セザンヌの多視点的絵画が喚起する「内的触覚」について考察した。その結果、「触覚のクオリア」が彫刻においても「完成」を司る要素であることを導き出す。さらに、風景の「抵抗感」が可視光として知覚できるものとした時、光に属しながら可視光とは異なる「内的な光」であると仮定するに至った。
第2章《彫刻は切り出される》は、彫刻が作られる上で彫刻と作者の間にある造形的な構造について再考した。ここでは、古代彫刻の「断片性」と彫刻の造形上の特性である、作りきれない背景とも言うべき「全体」の存在を指摘する。これについて、大英博物館のパルテノン破風彫刻とアンソニー・カロの制作、そして私の彫刻の原体験をもとに紐解く。また、私の木彫の継続的制作によって得られた実感をもとに、彫刻の断片性を強く物語る「木」の素材感について述べる。以上から導きされる「切り出す」という言葉をキーワードに、私の木彫が「内なる風景」の断面として現実の空間に、突出して現れたものであると結論づけた。
第3章《星空と私》では、第1章で言及した「抵抗感/内的な光」の考察をもとに、幼少の頃に見た「天の川の抵抗感」と「山の秘密」との関連を指摘し、「触覚の眼」で星空を見ることで、そこに「非接触の実在」があることを説明する。また「触覚」を喚起する作例を示し自作の展開を考察することで、造形の「抵抗感」が作者の「内なる風景」の実像とそれをつかもうとする造形意識によって生まれ、その「見えないものを見ようとする姿勢」が、かたちに内的な光を与えていることを明らかにした。そして、山の奥の見えない領域や、空、星空の抵抗感、それらを総括するモチーフが「天の川」にあることを導き出した。
第4章《抵抗感》では、彫刻に「内的な触覚」による造形によって生じる「彫刻の抵抗感」が具体的にどのようなものかを考察した。彫刻は作者の「触覚」と「内なる風景」が「内的触覚の風景=彫刻の秘密」を作り出し、それを鑑賞者が触覚的に身体で味わうことによって鑑賞される。ヨーゼフ・ボイスの作品における私の実体験をもとに、彫刻の「肉体的鑑賞」と「山の秘密」との対峙を結びつけ類似を指摘した。
それに加え、彫刻独自の「抵抗感」を担う要素として物体の「立ち上がり」を挙げる。それは、見る人が自身の「身体」を物体に投影することによって、そのものの物質感を感得することで生じる力である。そこに「触覚」を喚起する造形が作り出す、視線に反発する力が加わることで、空間を押し広げるボリュームが生まれる。この実践を、自作制作プロセスを用いて説明し、「彫刻の抵抗感」について結論づけた。それは彫刻に隠された「秘密」が「内的触覚とそのクオリア」を通じて視覚的ボリュームに変化することで、鑑賞者の内面に見出されるものである。そして私の「彫刻」の制作そのものは、風景や彫刻の抵抗感に内在する「私という実在」への驚きと、実感の確認を意味していることが明らかとなった。
最後に、《結び》では博士審査展提出作品の過程、内容と今後の展望を述べた。
以上のように本論文では、「風景」を触覚的に観察する事で生じた「彫刻」への問いと、それを通じた造形の見方によって「彫刻」の実体を導き出そうと試みた。
私の彫刻は、眼と心によって得られる手触りをもとに、構成や造形上で「切り出すこと」を用いて作られ、そのような私の「内的触覚を通して視覚世界から切り出された風景」が、現実の空間に抵抗感を持ちながら「突出した断面」として現れたものなのである。
審査委員
原真一 布施英利 深井隆 林武史
原真一 布施英利 深井隆 林武史