Oil Painting
芸術における認知行動をめぐる物質文化の解釈的研究
久保田 沙耶
序章
本論文では、スティーブン・マイズンの「認知考古学上からみた『芸術・宗教・科学』の発現」の図を指標として、作品を「心の考古学」の側面から考察する。
先行研究として南方熊楠の『事の学』を取り上げつつ、これまでの著者の過去作品のうち4つの作品を選びとり成り立ちを分解して、「社会的知能」、「博物的知能」、「技術的知能」、「社会的知能と博物的知能と技術的知能」のそれぞれの知能のモジュールの中で一番検証しやすい領域に分類し、当てはめながら章立てて解釈的に紐解いてゆく。自分が作品創作にあたり、どのように物質文化と向き合ってきたのか、それらを踏まえた上でこれからの創作活動がどこに向かうのかということを少しでも客観的に明らかにできればと願う。
第1章 社会的知能の視点からの考察《ヒルネタリウム-惑星儀-》
第1章では、作品《ヒルネタリウム-惑星儀-》について振り返るとともに、作品の一要素である「共有夢」をキーワードに著者が行ってきた宮崎県高千穂の夜神楽や、ジャコメッティの記憶板を考察しながら、認知考古学における「社会的知能」からの解釈で紐解いていく。
個人を超えて、同じ構造の身体を共有するあらゆる人間たちが繋がる方法として、誰のものでもあり誰のものでもない共有夢や記憶を見ることができる手段とは一体なんなのか「神楽」の形式を検証しながら考察する。
第2章 博物的知能の視点からの考察《moon drawing》
第2章では、作品《moon drawing》について振り返るとともに、「かたち」に対して図像学的アプローチから考察を深め、認知考古学における「博物的知能」からの解釈で紐解いていく。
たとえ形骸化しても継続を担う形、そして形式の価値は膨大だ。形を扱い、形式を操って永続されてきた物事たちには内容以上の創造力を誘発する燃料を内包しているからである。それら記憶や経験をはらんだ物たちの集合、接合、レイアウトが作る多重な意味(新たな記憶)から、メディアにおける生産活動すべてに通じる根本的なレトリックを見出したい。
第3章 技術的知能の視点からの考察《Missing Trace》
第3章では、作品《Missing Trace》について振り返るとともに、「芸術と供儀」をキーワードに宮澤賢治の『よだかの星』、坂口安吾の『夜長姫と耳男』をとりあげる。これらの文学作品と《Missing Trace》に関連して、ダオメ共和国におけるレグバ神の土偶、著者が2011年にリサーチ調査に行った長野県諏訪大社御頭祭の生贄の事例をとりあげながら、芸術における暴力と鎮魂は一体なんなのか考察するとともに、認知考古学における「社会的知能」からの解釈で紐解いていく。
第4章 社会的知能と技術的知能と博物的知能の視点からの考察《漂流郵便局》
第4章では、アートプロジェクト《漂流郵便局》の構造について振り返るとともに、関連性の高い岩手県遠野市にある『オシラ堂』の成り立ちについて遠野市立博物館の協力のもとリサーチを行う。
アートプロジェクト《漂流郵便局》を続けていくにあたり、人間の文化は何か目に見える対象とコミュニケーションを深く取り合うことだけで生まれるわけではないと思うようになった。コミュニケーションの取れないものに対しても、止まない試行錯誤を繰り返すことこそが、文化の発生原理なのではないかと感じる。
終章
序章で述べたように、とくに旧石器時代は、資料的にもかなり限られている。本論で、それぞれの作品をスティーブン・マイズンの「認知考古学における心の進化の図」と照らし合わせながら考察するなかで、絶対的なひとつの真実、過去はこうであった、というような断定的な結論を下すのではなく、こうであったとすれば、というしなやかな仮説の構築をしていく考古学的アプローチの重要さを感じた。記憶と向き合いながら作品を作り始めるということは、個と全、そして過去と未来がシームレスにつなげていくきめ細やかな行為であり、いまとこれからの私たちの振る舞を考えることとまったくおなじことなのだ。
本論文では、スティーブン・マイズンの「認知考古学上からみた『芸術・宗教・科学』の発現」の図を指標として、作品を「心の考古学」の側面から考察する。
先行研究として南方熊楠の『事の学』を取り上げつつ、これまでの著者の過去作品のうち4つの作品を選びとり成り立ちを分解して、「社会的知能」、「博物的知能」、「技術的知能」、「社会的知能と博物的知能と技術的知能」のそれぞれの知能のモジュールの中で一番検証しやすい領域に分類し、当てはめながら章立てて解釈的に紐解いてゆく。自分が作品創作にあたり、どのように物質文化と向き合ってきたのか、それらを踏まえた上でこれからの創作活動がどこに向かうのかということを少しでも客観的に明らかにできればと願う。
第1章 社会的知能の視点からの考察《ヒルネタリウム-惑星儀-》
第1章では、作品《ヒルネタリウム-惑星儀-》について振り返るとともに、作品の一要素である「共有夢」をキーワードに著者が行ってきた宮崎県高千穂の夜神楽や、ジャコメッティの記憶板を考察しながら、認知考古学における「社会的知能」からの解釈で紐解いていく。
個人を超えて、同じ構造の身体を共有するあらゆる人間たちが繋がる方法として、誰のものでもあり誰のものでもない共有夢や記憶を見ることができる手段とは一体なんなのか「神楽」の形式を検証しながら考察する。
第2章 博物的知能の視点からの考察《moon drawing》
第2章では、作品《moon drawing》について振り返るとともに、「かたち」に対して図像学的アプローチから考察を深め、認知考古学における「博物的知能」からの解釈で紐解いていく。
たとえ形骸化しても継続を担う形、そして形式の価値は膨大だ。形を扱い、形式を操って永続されてきた物事たちには内容以上の創造力を誘発する燃料を内包しているからである。それら記憶や経験をはらんだ物たちの集合、接合、レイアウトが作る多重な意味(新たな記憶)から、メディアにおける生産活動すべてに通じる根本的なレトリックを見出したい。
第3章 技術的知能の視点からの考察《Missing Trace》
第3章では、作品《Missing Trace》について振り返るとともに、「芸術と供儀」をキーワードに宮澤賢治の『よだかの星』、坂口安吾の『夜長姫と耳男』をとりあげる。これらの文学作品と《Missing Trace》に関連して、ダオメ共和国におけるレグバ神の土偶、著者が2011年にリサーチ調査に行った長野県諏訪大社御頭祭の生贄の事例をとりあげながら、芸術における暴力と鎮魂は一体なんなのか考察するとともに、認知考古学における「社会的知能」からの解釈で紐解いていく。
第4章 社会的知能と技術的知能と博物的知能の視点からの考察《漂流郵便局》
第4章では、アートプロジェクト《漂流郵便局》の構造について振り返るとともに、関連性の高い岩手県遠野市にある『オシラ堂』の成り立ちについて遠野市立博物館の協力のもとリサーチを行う。
アートプロジェクト《漂流郵便局》を続けていくにあたり、人間の文化は何か目に見える対象とコミュニケーションを深く取り合うことだけで生まれるわけではないと思うようになった。コミュニケーションの取れないものに対しても、止まない試行錯誤を繰り返すことこそが、文化の発生原理なのではないかと感じる。
終章
序章で述べたように、とくに旧石器時代は、資料的にもかなり限られている。本論で、それぞれの作品をスティーブン・マイズンの「認知考古学における心の進化の図」と照らし合わせながら考察するなかで、絶対的なひとつの真実、過去はこうであった、というような断定的な結論を下すのではなく、こうであったとすれば、というしなやかな仮説の構築をしていく考古学的アプローチの重要さを感じた。記憶と向き合いながら作品を作り始めるということは、個と全、そして過去と未来がシームレスにつなげていくきめ細やかな行為であり、いまとこれからの私たちの振る舞を考えることとまったくおなじことなのだ。
審査委員
坂口寛敏 布施英利 小谷元彦 シュナイダーミヒャエル ミヤケマイ
坂口寛敏 布施英利 小谷元彦 シュナイダーミヒャエル ミヤケマイ