Oil Painting
心霊表象論―心霊イメージの変遷から読み解く「不気味な」表現の可能性―
冨安 由真
研究目的
本論文に於ける目的は、「心霊」を扱った芸術表現の可能性を探ることにある。具体的には、人が「心霊」を感じるメカニズムを心理学的な観点から研究すると同時に、我々が記号的に「心霊現象」と認識している事例、即ちポルターガイストや心霊写真などを「現象化する死」という観点から表象的に研究することで、それを芸術表現の方法論として確立することが目的となる。
「心霊」は、しばしばオカルトというジャンルの中で語られ、それは肯定的であれ否定的であれ、非論理的・非科学的で夢想的な事柄として捉えられがちである。それは近代以降の歴史の中で特に顕著であり、「心霊」が学問として研究の対象となることは殆ど無かったと言える。しかし一方で、心霊は古代より人の身近な存在であった。何故ならば、心霊は「死」と深く結びつくものだからである。多くの原始的な宗教や土着的な信仰と心霊は切り離せず、また多くの物語や芸術作品の中で心霊は語られてきた。
しかし近代以降に心霊が学問対象として嫌われてきたのと同時に、また芸術に於いても心霊は敬遠されてきたと言える。それは芸術が西洋の文脈に於いてまた「学問」であるからだ。(しかし一方で、「ハイ・アート」では無い表現領域、即ち映画や小説、漫画などの大衆娯楽に於いては好まれてきたという事実は興味深い。)
私が本論文に於いて、心霊を扱った芸術表現の可能性を探ることを目的とするのには、心霊表現が芸術分野に於いてもっと扱われて良いという思いがあるからである。心霊を見つめるという行為は、全ての人間にすべからく訪れる「死」を見つめる行為であるとも言える。また。「科学的に解明されていない」という意味で、不可解で曖昧である存在を扱うことは、芸術に於いて非常に意味深く、また自己を見つめる上で有用であると信じている。この論文に於いては、心霊という概念が我々の生活の中でどのような関わり方をしてきたか、文化面や思想面から考察していきたい。その結果として、心霊を我々が自己を見つめる上での一つの有効なアプローチと成り得ることを提示し、それを芸術表現に取り入れる価値を模索したい。
各章の構成
第1章ではフロイトの「不気味なもの」の概念と心霊表現の関係性を考察し、能や19世紀の心霊絵画、また現代に於ける心霊表現の再評価の気運などを、具体例をもって分析・考察する。第2章では小中理論を軸に、様々なホラー映画とその演出的・視覚的ロジックを分析する。特に観客に「怖がってよい映画」だと伝える為の技術的な演出や、映画『回転』などで見られる幽霊像の姿形、映画『チェンジリング』で見られる幽霊像が登場せずに表現される心霊表現、またホラー映画に於ける怖さの図像(アイコン)などについて考察する。第3章では日本の幽霊画、19世紀から現代までの心霊写真、ポルターガイスト現象の分析から、その時代その地域の文化・思想的背景がどのように心霊の表象に関わってきたかを分析する。第4章ではそれらを踏まえ、現代に於いてどのような心霊表現がリアリティを持って鑑賞者に訴えられるか、自身の博士審査展出品作品を例にとりながら、「アトモスフィア(雰囲気)の生成」「虚構と現実が入り交じる不気味さ」「気配の創出」という3点をキーに模索する。
結論
本論文を通して見えてきたことは、様々な心霊表現と「不気味なもの」で語られたことの一致である。それらは実生活の中で「その存在が本当はあるのではないか」という疑念を想起させる「リアリティ」や、知的不確かさを備えている。更に、姿を見せる心霊と見せない心霊の表現の違いを見てきたことも重要な考察となった。
初めに述べたように、本論文の目的は、心霊を表象的観点から分析―即ち我々は知覚に於いてどのような現象を心霊と感じるのかを文化的・思想的背景から研究―し、心霊を扱った芸術表現の新しい可能性を模索することだった。その結果として、心霊を我々が自己を見つめる上での有効なアプローチと成り得ることを提示し、それを芸術表現に取り入れる価値を模索する目的があった。
本論文の考察によって分かったことは、心霊に触れる行為は、自分が現実だと信じてきた基盤を揺らがせるものだと言うことだ。心霊というものは、虚構と現実の境目に位置する。心霊を考えることは、人が生と死に関わってきた歴史を見る行為でもあるが、同時に自己(内在したイメージ)と外界(客観)の境界を探る行為でもある。心霊を芸術表現に取り入れることは、鑑賞者に自己と外界(虚構と現実)の境目を問い直す経験をさせる。そしてそれは、世界と自分を見つめ直す為の重要なアプローチの一つに成り得ると、私は確信している。
曖昧さに目を向け、自分が現実だと信じてきた基盤が如何に不安定なものであるか鑑賞者に気付かせることは、この物質社会に於いて意義深いことだ。私は今後の作品で、より多くの人にその不安定な基盤に目を向かせ、世界と自分を見つめ直すきっかけを与えていきたい。その為には更なる研究が必要となるだろう。心霊を一つのきっかけとした上で、虚構と現実の境目を見る試みは、今後精神分析学の方面にも研究を広げていけると感じている。
本論文に於ける目的は、「心霊」を扱った芸術表現の可能性を探ることにある。具体的には、人が「心霊」を感じるメカニズムを心理学的な観点から研究すると同時に、我々が記号的に「心霊現象」と認識している事例、即ちポルターガイストや心霊写真などを「現象化する死」という観点から表象的に研究することで、それを芸術表現の方法論として確立することが目的となる。
「心霊」は、しばしばオカルトというジャンルの中で語られ、それは肯定的であれ否定的であれ、非論理的・非科学的で夢想的な事柄として捉えられがちである。それは近代以降の歴史の中で特に顕著であり、「心霊」が学問として研究の対象となることは殆ど無かったと言える。しかし一方で、心霊は古代より人の身近な存在であった。何故ならば、心霊は「死」と深く結びつくものだからである。多くの原始的な宗教や土着的な信仰と心霊は切り離せず、また多くの物語や芸術作品の中で心霊は語られてきた。
しかし近代以降に心霊が学問対象として嫌われてきたのと同時に、また芸術に於いても心霊は敬遠されてきたと言える。それは芸術が西洋の文脈に於いてまた「学問」であるからだ。(しかし一方で、「ハイ・アート」では無い表現領域、即ち映画や小説、漫画などの大衆娯楽に於いては好まれてきたという事実は興味深い。)
私が本論文に於いて、心霊を扱った芸術表現の可能性を探ることを目的とするのには、心霊表現が芸術分野に於いてもっと扱われて良いという思いがあるからである。心霊を見つめるという行為は、全ての人間にすべからく訪れる「死」を見つめる行為であるとも言える。また。「科学的に解明されていない」という意味で、不可解で曖昧である存在を扱うことは、芸術に於いて非常に意味深く、また自己を見つめる上で有用であると信じている。この論文に於いては、心霊という概念が我々の生活の中でどのような関わり方をしてきたか、文化面や思想面から考察していきたい。その結果として、心霊を我々が自己を見つめる上での一つの有効なアプローチと成り得ることを提示し、それを芸術表現に取り入れる価値を模索したい。
各章の構成
第1章ではフロイトの「不気味なもの」の概念と心霊表現の関係性を考察し、能や19世紀の心霊絵画、また現代に於ける心霊表現の再評価の気運などを、具体例をもって分析・考察する。第2章では小中理論を軸に、様々なホラー映画とその演出的・視覚的ロジックを分析する。特に観客に「怖がってよい映画」だと伝える為の技術的な演出や、映画『回転』などで見られる幽霊像の姿形、映画『チェンジリング』で見られる幽霊像が登場せずに表現される心霊表現、またホラー映画に於ける怖さの図像(アイコン)などについて考察する。第3章では日本の幽霊画、19世紀から現代までの心霊写真、ポルターガイスト現象の分析から、その時代その地域の文化・思想的背景がどのように心霊の表象に関わってきたかを分析する。第4章ではそれらを踏まえ、現代に於いてどのような心霊表現がリアリティを持って鑑賞者に訴えられるか、自身の博士審査展出品作品を例にとりながら、「アトモスフィア(雰囲気)の生成」「虚構と現実が入り交じる不気味さ」「気配の創出」という3点をキーに模索する。
結論
本論文を通して見えてきたことは、様々な心霊表現と「不気味なもの」で語られたことの一致である。それらは実生活の中で「その存在が本当はあるのではないか」という疑念を想起させる「リアリティ」や、知的不確かさを備えている。更に、姿を見せる心霊と見せない心霊の表現の違いを見てきたことも重要な考察となった。
初めに述べたように、本論文の目的は、心霊を表象的観点から分析―即ち我々は知覚に於いてどのような現象を心霊と感じるのかを文化的・思想的背景から研究―し、心霊を扱った芸術表現の新しい可能性を模索することだった。その結果として、心霊を我々が自己を見つめる上での有効なアプローチと成り得ることを提示し、それを芸術表現に取り入れる価値を模索する目的があった。
本論文の考察によって分かったことは、心霊に触れる行為は、自分が現実だと信じてきた基盤を揺らがせるものだと言うことだ。心霊というものは、虚構と現実の境目に位置する。心霊を考えることは、人が生と死に関わってきた歴史を見る行為でもあるが、同時に自己(内在したイメージ)と外界(客観)の境界を探る行為でもある。心霊を芸術表現に取り入れることは、鑑賞者に自己と外界(虚構と現実)の境目を問い直す経験をさせる。そしてそれは、世界と自分を見つめ直す為の重要なアプローチの一つに成り得ると、私は確信している。
曖昧さに目を向け、自分が現実だと信じてきた基盤が如何に不安定なものであるか鑑賞者に気付かせることは、この物質社会に於いて意義深いことだ。私は今後の作品で、より多くの人にその不安定な基盤に目を向かせ、世界と自分を見つめ直すきっかけを与えていきたい。その為には更なる研究が必要となるだろう。心霊を一つのきっかけとした上で、虚構と現実の境目を見る試みは、今後精神分析学の方面にも研究を広げていけると感じている。
審査委員
齋藤芽生 伊藤俊治 杉戸洋 小山穂太郎
齋藤芽生 伊藤俊治 杉戸洋 小山穂太郎