Oil Painting
人工のパラダイス
ホーラク サブリナ ヘドイグ
私は2012年から「パラダイス」をテーマとして作品を作ってきた。その「パラダイス」というテーマへの関心は、私と日本との関係から生まれている。日本人とオーストリア人のハーフとしてオーストリアに生まれ育ってきたのために、日本に対して少し変わった見方をしているかもしれない。幼年期とティーンエイジャー時代を併せて4回しか訪日していなかったので、当時は日本語が出来ず、日本を観光客の目からでしか見ていなかったので、日本の良いところ、楽しいことしか経験しなかった。私にとっての日本は、素晴らしい秘密をたくさんもっている謎の国だった。そのために、私は日本に対して「パラダイス」のイメージを持っていた。そのイメージは日本の真の姿ではないと分かっているが、そういう「パラダイス」はどこかに存在している。自分の頭の中や思い出の中だけにでもあるだろう。
私のようにオーストリアで育ってきた人間には、「パラダイス」という言葉は強く夏と結び付く。なぜならば、オーストリアの冬は、東京周辺の冬と比べて、暗くて寒いので、「パラダイス」と言えば、「夏」「南国」などのような言葉が思い浮かぶ。夏でオーストリア人に人気がある好きなことは、家族や友達と一緒に室外プールに行って、水遊びをしたり、日向で寛ぐことだ。
よく指摘されることだが、自然のビーチではなくて、人工のプールの風景を描いている理由は二つある。一つ目はとってもシンプルな理由である。私も家族と日本に来た時に、ビーチではなくて、よくプールへ行ったから、「パラダイス」「夏」と「プール」が私の頭の中で強くつながっていて、自然のビーチに対して懐かしい思い出は持っていない。二つ目は、人工のプールを見ると、人間は「パラダイス」をどのように想像して創造しているかが分かることだ。
私の「パラダイス」をモチーフとしている作品は、すべて左右対称かそれに近い構図を持っている。意識して「対称性」のある構図を選んだわけではないのだが、描く時にいつも左右対称性の構図が「相応しい」と感じていた。他の作家が描いた「パラダイス」を研究してみると、対称性の構図がよく使われていることに気が付いた。「パラダイス」を描写するのに左右対称の構図が優れているかもしれないと思うようになった。今ではそれを意識するようになり、作品の構図で対称性と非対称性のバランスをよくとれば、「パラダイス」をもっと上手く表現できると思っている。
第1章では、まず、日本人のレジャー行動とレジャー施設について説明する。私の「パラダイス」を表している作品は、すべて私が「現代文化の中のパラダイス」だと主張している「レジャー施設」の室外プールを撮影したものなので、私が研究すべきテーマだと思っている。特に「スパリゾートハワイアンズ」と「オーシャンドーム」のような室内の大型スパリゾートは、室内で自然は人間の理想どおりに再現されているから、「人工のパラダイス」の代表例である。
第2章では、「パラダイス」を描写するために、「パラダイス」はいったいどのような所か定義する。そのために、「パラダイス」の概念の由来を調べた。西洋では、そのイメージはキリスト教に根差していると考えられる。東洋だと、浄土真宗の浄土という所もあり、常世の国やニライカナイという、「パラダイス」の特徴を持っている場所がある。世俗的な視点だと。トーマス・モアの「ユートピア」という有名な島国があるが、現代文化における「パラダイス」的な空間もある。1章で説明するプールや大型スパリゾート以外にも、遊園地や大型水族館が「パラダイス」の概念と共通する特徴を持っている。2章第3節では、それらにあらゆる共通する特徴と、自分なりの「パラダイス」の定義について説明する。
第3章では、「人工のパラダイス」の視覚化について説明する。「パラダイス」を、これまで美術の歴史や現代美術でどのように視覚化してきたかについて述べる。美術の歴史から例として挙げる二つの作品は、ボスの「快楽の園」と「当麻曼荼羅」図である。両方の作品には、「パラダイス」的空間を表すために、対称性の絵画構図が使われている。ボスの「快楽の園」は三連祭壇画で、「エデンの園」と「肉体的なパラダイス」を表している左翼と、中央のパネルは対称性のある構図で表されている。しかし、地獄を表している右翼の構図は、非対称性の絵画構図を持っている。「パラダイス」と共通する特徴がある浄土を表している「当麻曼荼羅」図も対称性の絵画構図を持っている。対称性や非対称性それぞれが作品を見る人の頭の中にある感情を引き起こす。それを絵画構図で上手く利用できるように、その感情、関連語句は何か調べて、「ポジティブ」と「ネガティブ」なイメージに分けた。「左右対称性」に当てはまる言葉は、例えば、平和、バランスであるから、「パラダイス」を表すのに優れていると思っている。しかし、例えば、「左右対称性」には「固い」と「つまらない」という言葉も関連しているので、「左右対称性」の構図に「非対称性」も含まれるのが、表現方法として最も優れていると考えられる。しかし、第1章で説明するレジャー施設の建築構造は左右対称性ではない。人間が、「パラダイス」を実際に体験できるためには、視覚的に体験するのとは違う構図が必要となることに驚いた。室内のレジャー施設にまったく対称性がない自然の風景が再現されているのはその理由だからかもしれない。
第4章では、自分の作品の今までの発展と、「Mixed Race」という私の背景がこれまで作品にどのように影響したかについて説明する。数年間に、私は絵画構図や素材で実験できるように、昔の大型の、東京の群衆を表している作品から離れて、小さいスケールで作品を作り始めた。実験の中で新しい方向性を見つけたので、少しずつ大きい作品を作る予定ができた。新作の「Celestial」で久しぶりに少し大きめの作品を作ってみた。「パラダイス」というテーマを「パラダイスへの探求」というストリー性のある視点から表現したいと狙っている。人間が、憧れの「パラダイス」へ至るために、どのような犠牲を払っているのかというストリーが語られている。構図の研究で学んだことをもちろん適用して、この作品で、対称性の構図に非対称な要素を加味して作った。また、この作品は「上部」と「下部」に分かれている。「下部」には、「パラダイスへの探求」をしている主人公の「探求」の苦しみが、紺色の湖で表されている。「上部」には主人公が到着している「パラダイス」が鮮やかな色味で表されている。作品の絵画構図、色味や要素でそのような「Duality」(二重性)を表現したいと思っていた作品である。
私のようにオーストリアで育ってきた人間には、「パラダイス」という言葉は強く夏と結び付く。なぜならば、オーストリアの冬は、東京周辺の冬と比べて、暗くて寒いので、「パラダイス」と言えば、「夏」「南国」などのような言葉が思い浮かぶ。夏でオーストリア人に人気がある好きなことは、家族や友達と一緒に室外プールに行って、水遊びをしたり、日向で寛ぐことだ。
よく指摘されることだが、自然のビーチではなくて、人工のプールの風景を描いている理由は二つある。一つ目はとってもシンプルな理由である。私も家族と日本に来た時に、ビーチではなくて、よくプールへ行ったから、「パラダイス」「夏」と「プール」が私の頭の中で強くつながっていて、自然のビーチに対して懐かしい思い出は持っていない。二つ目は、人工のプールを見ると、人間は「パラダイス」をどのように想像して創造しているかが分かることだ。
私の「パラダイス」をモチーフとしている作品は、すべて左右対称かそれに近い構図を持っている。意識して「対称性」のある構図を選んだわけではないのだが、描く時にいつも左右対称性の構図が「相応しい」と感じていた。他の作家が描いた「パラダイス」を研究してみると、対称性の構図がよく使われていることに気が付いた。「パラダイス」を描写するのに左右対称の構図が優れているかもしれないと思うようになった。今ではそれを意識するようになり、作品の構図で対称性と非対称性のバランスをよくとれば、「パラダイス」をもっと上手く表現できると思っている。
第1章では、まず、日本人のレジャー行動とレジャー施設について説明する。私の「パラダイス」を表している作品は、すべて私が「現代文化の中のパラダイス」だと主張している「レジャー施設」の室外プールを撮影したものなので、私が研究すべきテーマだと思っている。特に「スパリゾートハワイアンズ」と「オーシャンドーム」のような室内の大型スパリゾートは、室内で自然は人間の理想どおりに再現されているから、「人工のパラダイス」の代表例である。
第2章では、「パラダイス」を描写するために、「パラダイス」はいったいどのような所か定義する。そのために、「パラダイス」の概念の由来を調べた。西洋では、そのイメージはキリスト教に根差していると考えられる。東洋だと、浄土真宗の浄土という所もあり、常世の国やニライカナイという、「パラダイス」の特徴を持っている場所がある。世俗的な視点だと。トーマス・モアの「ユートピア」という有名な島国があるが、現代文化における「パラダイス」的な空間もある。1章で説明するプールや大型スパリゾート以外にも、遊園地や大型水族館が「パラダイス」の概念と共通する特徴を持っている。2章第3節では、それらにあらゆる共通する特徴と、自分なりの「パラダイス」の定義について説明する。
第3章では、「人工のパラダイス」の視覚化について説明する。「パラダイス」を、これまで美術の歴史や現代美術でどのように視覚化してきたかについて述べる。美術の歴史から例として挙げる二つの作品は、ボスの「快楽の園」と「当麻曼荼羅」図である。両方の作品には、「パラダイス」的空間を表すために、対称性の絵画構図が使われている。ボスの「快楽の園」は三連祭壇画で、「エデンの園」と「肉体的なパラダイス」を表している左翼と、中央のパネルは対称性のある構図で表されている。しかし、地獄を表している右翼の構図は、非対称性の絵画構図を持っている。「パラダイス」と共通する特徴がある浄土を表している「当麻曼荼羅」図も対称性の絵画構図を持っている。対称性や非対称性それぞれが作品を見る人の頭の中にある感情を引き起こす。それを絵画構図で上手く利用できるように、その感情、関連語句は何か調べて、「ポジティブ」と「ネガティブ」なイメージに分けた。「左右対称性」に当てはまる言葉は、例えば、平和、バランスであるから、「パラダイス」を表すのに優れていると思っている。しかし、例えば、「左右対称性」には「固い」と「つまらない」という言葉も関連しているので、「左右対称性」の構図に「非対称性」も含まれるのが、表現方法として最も優れていると考えられる。しかし、第1章で説明するレジャー施設の建築構造は左右対称性ではない。人間が、「パラダイス」を実際に体験できるためには、視覚的に体験するのとは違う構図が必要となることに驚いた。室内のレジャー施設にまったく対称性がない自然の風景が再現されているのはその理由だからかもしれない。
第4章では、自分の作品の今までの発展と、「Mixed Race」という私の背景がこれまで作品にどのように影響したかについて説明する。数年間に、私は絵画構図や素材で実験できるように、昔の大型の、東京の群衆を表している作品から離れて、小さいスケールで作品を作り始めた。実験の中で新しい方向性を見つけたので、少しずつ大きい作品を作る予定ができた。新作の「Celestial」で久しぶりに少し大きめの作品を作ってみた。「パラダイス」というテーマを「パラダイスへの探求」というストリー性のある視点から表現したいと狙っている。人間が、憧れの「パラダイス」へ至るために、どのような犠牲を払っているのかというストリーが語られている。構図の研究で学んだことをもちろん適用して、この作品で、対称性の構図に非対称な要素を加味して作った。また、この作品は「上部」と「下部」に分かれている。「下部」には、「パラダイスへの探求」をしている主人公の「探求」の苦しみが、紺色の湖で表されている。「上部」には主人公が到着している「パラダイス」が鮮やかな色味で表されている。作品の絵画構図、色味や要素でそのような「Duality」(二重性)を表現したいと思っていた作品である。
審査委員
OJUN 佐藤道信 三井田盛一郎 シュナイダーミヒャエル
OJUN 佐藤道信 三井田盛一郎 シュナイダーミヒャエル