Japanese Painting
「標識色」と「隠蔽色」蠢惑と警戒のテリトリー
松村 侑紀
本論文では、私が無意識のうちに選別し画面に配置しているモチーフが、生物の持つ警戒心と深い関係があることについて考察する。描くモチーフは、画面の奥に広がる自身のテリトリーに足を踏み入れられるまでの障壁(柵)として、自身を護る鎧となる。
生物は皆、それぞれに色を纏う。捕食者の目から逃れるための保護色や、有毒な針や牙、不快な臭いや味と結びついた色彩や模様の警戒色。それらは大きく分けると「標識色」と「隠蔽色」に二分される。具体的な色に例えると、前者は黄色や赤色、青色など比較的目立ちやすい色が多く、後者は灰色や茶色、肌色など地味な色が多いように見えるが、生物の生息環境によって何色が目立つかは様々である。さらに「標識色」には、幼虫や蛾に見られる眼状紋等も含まれる。絵画制作では、私は「標識色」の中でも警戒色や威嚇色を持つ生物に魅力を感じており、中でも眼状紋やその連続に蠢惑されている。
私の生活する首都東京は、世界的にも人口密度が高いことで知られる。他人との近すぎる距離に不快感と警戒心を抱き、日常的にその異常さに直面する。膨大な人間が往来する中で、どこかで見かけた見ず知らずの他人を再び見かけるたびに、不快感が高まり戦慄が走った。そうした感情は、地方の生活では感じることのなかった恐怖を伴いながら、私に定着していった。結果、より強い警戒心を生むこととなり、私は他者との距離を保つ事に苦慮する。
私的空間とは、無防備なままのテリトリーであり、好き勝手に遊べる庭である。その前に構える障壁(柵)は、生物が持つ防御本能と同じく、相手に対する警戒や威嚇の表れである。また私は、障壁となるモチーフを柵(又は鎧)と考え、色よりその形状を重視している。生物が持つ警戒色・威嚇色の形状を借り、作品の中だけに存在する自身のテリトリーを護る障壁とすることで、理想的な、より居心地の良い内側を造りあげているのだ。
人が色や形に嫌悪感や警戒心を抱く理由は様々であるが、そこには人類の進化によって習得された生存本能が深く関係すると考えられる。本論文では、私の絵画制作も他の生物と同様、鑑賞者を引きつけるための斑紋作りであると同時に、それを遠くで把握しながら潜む自身の隠蔽であること。とくに自作品が、蠢惑の表れである「標識色」と、警戒心の表れである「隠蔽色」が複雑に絡み合った、自身が携えることの出来なかった体色であることを論証する。
本論文の構成は、以下の通りである。
第1章「標識色」と「隠蔽色」
〈第1節 標識色と隠蔽色〉では、生物が生き抜くために携えた色や模様が、様々な自然の摂理から、タイトルとした「標識色」と「隠蔽色」に二分されていることについて述べる。
〈第2節 標識色としての警戒色と威嚇色〉では、先述の「標識色」の中でも、蛾やヒョウモンダコ、連続する珊瑚、眼状紋(メデュサの神話)、人面(バンジー)など、生物が相手を警戒・威嚇するために持つ模様や形を、制作モチーフとして扱っていることについて、自身がそれらに惹かれる理由と、人々がそれらに対して描くイメージを検証する。
〈第3節 標識色としての眼状紋と連続性〉では、幼い頃に訪れた山中で見た植物(ムサシアブミ)や、自分で育てた植物(ヤブレガサ、ミツバアケビ)、それに付く虫(アケビコノハ)などから影響を受け魅了されている心理を追う。
また、人類全体の16%が嫌悪感を覚えるというトライボフォビアの症状を誘発する、リング模様の空間連続性と高いコントラストについて、草間彌生の作品を用いてその不気味な連続模様を描く心理を解説する。
〈第4節 様々な擬態〉では、生物が攻撃や自衛のため、体色や形を周囲のものや動植物に似せることについて分析する。二重の擬態戦略(ベイツ型擬態)で生き延びている生物の例として、ハナグモをとりあげ、分析する。
第2章 蠢惑と警戒のテリトリー
〈第1節 蠢惑〉では、相手を警戒しつつも観察していたい、しかし必要以上に近寄って欲しくないという心理について分析する。
目立つ色彩を用い、魅惑的だが毒々しさを併せ持つ点で自作品と類似する、蜷川実花の作品について検証する。ここでは、他の類似作家(日本画家)にも言及する。
〈第2節 警戒〉では、自身が生まれ育った静岡県の環境と、東京での人口密度の違いから生じた警戒心で、他者との距離を意識するようになった状況を考察する。
また同様の警戒を、京町家の中からは見えるが外からは見えない特徴的な格子や、絵巻物での肩の骨の隙間から覗き見る使い方から検証する。
〈第3節 蠢惑と警戒〉では、それを色と形の両面から、自作品を例にあげ解説する。
第3章 提出作品
〈第1節 「変わりゆく迷路」〉では、本論で論じてきた「標識色」と「隠蔽色」の割合を、作品と共に解説する。
〈第2節 提出作品〉
終章
博士課程の3年間の制作では、「標識色」と「隠蔽色」というテーマで制作を行ってきた。警戒し、身を隠すことが「護る」に繋がっていることも、本論文で論考してきたが、その上で現時点での今後の課題と展望について述べる。
生物は皆、それぞれに色を纏う。捕食者の目から逃れるための保護色や、有毒な針や牙、不快な臭いや味と結びついた色彩や模様の警戒色。それらは大きく分けると「標識色」と「隠蔽色」に二分される。具体的な色に例えると、前者は黄色や赤色、青色など比較的目立ちやすい色が多く、後者は灰色や茶色、肌色など地味な色が多いように見えるが、生物の生息環境によって何色が目立つかは様々である。さらに「標識色」には、幼虫や蛾に見られる眼状紋等も含まれる。絵画制作では、私は「標識色」の中でも警戒色や威嚇色を持つ生物に魅力を感じており、中でも眼状紋やその連続に蠢惑されている。
私の生活する首都東京は、世界的にも人口密度が高いことで知られる。他人との近すぎる距離に不快感と警戒心を抱き、日常的にその異常さに直面する。膨大な人間が往来する中で、どこかで見かけた見ず知らずの他人を再び見かけるたびに、不快感が高まり戦慄が走った。そうした感情は、地方の生活では感じることのなかった恐怖を伴いながら、私に定着していった。結果、より強い警戒心を生むこととなり、私は他者との距離を保つ事に苦慮する。
私的空間とは、無防備なままのテリトリーであり、好き勝手に遊べる庭である。その前に構える障壁(柵)は、生物が持つ防御本能と同じく、相手に対する警戒や威嚇の表れである。また私は、障壁となるモチーフを柵(又は鎧)と考え、色よりその形状を重視している。生物が持つ警戒色・威嚇色の形状を借り、作品の中だけに存在する自身のテリトリーを護る障壁とすることで、理想的な、より居心地の良い内側を造りあげているのだ。
人が色や形に嫌悪感や警戒心を抱く理由は様々であるが、そこには人類の進化によって習得された生存本能が深く関係すると考えられる。本論文では、私の絵画制作も他の生物と同様、鑑賞者を引きつけるための斑紋作りであると同時に、それを遠くで把握しながら潜む自身の隠蔽であること。とくに自作品が、蠢惑の表れである「標識色」と、警戒心の表れである「隠蔽色」が複雑に絡み合った、自身が携えることの出来なかった体色であることを論証する。
本論文の構成は、以下の通りである。
第1章「標識色」と「隠蔽色」
〈第1節 標識色と隠蔽色〉では、生物が生き抜くために携えた色や模様が、様々な自然の摂理から、タイトルとした「標識色」と「隠蔽色」に二分されていることについて述べる。
〈第2節 標識色としての警戒色と威嚇色〉では、先述の「標識色」の中でも、蛾やヒョウモンダコ、連続する珊瑚、眼状紋(メデュサの神話)、人面(バンジー)など、生物が相手を警戒・威嚇するために持つ模様や形を、制作モチーフとして扱っていることについて、自身がそれらに惹かれる理由と、人々がそれらに対して描くイメージを検証する。
〈第3節 標識色としての眼状紋と連続性〉では、幼い頃に訪れた山中で見た植物(ムサシアブミ)や、自分で育てた植物(ヤブレガサ、ミツバアケビ)、それに付く虫(アケビコノハ)などから影響を受け魅了されている心理を追う。
また、人類全体の16%が嫌悪感を覚えるというトライボフォビアの症状を誘発する、リング模様の空間連続性と高いコントラストについて、草間彌生の作品を用いてその不気味な連続模様を描く心理を解説する。
〈第4節 様々な擬態〉では、生物が攻撃や自衛のため、体色や形を周囲のものや動植物に似せることについて分析する。二重の擬態戦略(ベイツ型擬態)で生き延びている生物の例として、ハナグモをとりあげ、分析する。
第2章 蠢惑と警戒のテリトリー
〈第1節 蠢惑〉では、相手を警戒しつつも観察していたい、しかし必要以上に近寄って欲しくないという心理について分析する。
目立つ色彩を用い、魅惑的だが毒々しさを併せ持つ点で自作品と類似する、蜷川実花の作品について検証する。ここでは、他の類似作家(日本画家)にも言及する。
〈第2節 警戒〉では、自身が生まれ育った静岡県の環境と、東京での人口密度の違いから生じた警戒心で、他者との距離を意識するようになった状況を考察する。
また同様の警戒を、京町家の中からは見えるが外からは見えない特徴的な格子や、絵巻物での肩の骨の隙間から覗き見る使い方から検証する。
〈第3節 蠢惑と警戒〉では、それを色と形の両面から、自作品を例にあげ解説する。
第3章 提出作品
〈第1節 「変わりゆく迷路」〉では、本論で論じてきた「標識色」と「隠蔽色」の割合を、作品と共に解説する。
〈第2節 提出作品〉
終章
博士課程の3年間の制作では、「標識色」と「隠蔽色」というテーマで制作を行ってきた。警戒し、身を隠すことが「護る」に繋がっていることも、本論文で論考してきたが、その上で現時点での今後の課題と展望について述べる。
審査委員
手塚雄二 佐藤道信 吉村誠司 梅原幸雄
手塚雄二 佐藤道信 吉村誠司 梅原幸雄