Conservation
南宋仏画の光耀表現に関する研究永保寺蔵 重要文化財「千手観音像」の想定復元模写を通じて
松原 亜実
本研究は、岐阜・虎渓山永保寺蔵重要文化財「千手観音像」(以下、永保寺本または原本)の技法解明を通して、南宋時代の中国仏画における光耀表現による視覚効果および表現技法を実技的な見地から検証し、想定復元模写という形で実証する。さらに日本に数多く舶載され伝来した宋元仏画の一例をとして、永保寺本に用いられた造形表現と技法材料との関連性を提示する。
永保寺本は、南宋時代を代表する仏画の優品として名高く、国の重要文化財に指定されている。画面下辺から涌出する白雲中に青みを帯びた踏割る蓮華に足先を広げ佇立する白衣の千手観音が描かれた図様である。観音の形姿は、十四面四十二臀の図様となっており、緻密な描写や暈しにより表される肉身の立体表現、尊像のまとう白衣の美しさ、華やかな金泥・彩色紋様が目を引く作品である。千手観音像として類似例のない特徴的な作風であり、現存する作例の少ない南宋仏画の中でも極めて秀逸で、最高傑作の一つである。
しかしながら、現在の画面の状態は経年変化によって制作当時とは視覚的に大きく異なっていると考えられる。特に彩色においては白衣に白と金の細やかな文様線が良く残る尊像に対して、舟形光背の彩色は大部分が褪色しており、制作された当時の面影を残していない。舟形光背下部より明るめの群青のような色材が確認できるが、尊像は薄く塗り重ねられた暈しの彩色で立体的・空間的に表されていることより、尊像を覆うように描かれた光背部も平面的に彩色が施されるのではなく、浮かび上がるような光の表現で制作されていたと推察される。こうした仏教絵画における仏の放つ光が輝く様は光耀、光輝と称され表現技法は便宜的に「光耀表現」「光輝表現」と呼ばれる。その表現技法については時代や地域ごとの特色を反映しているが解明されていない部分が多い。その理由としては光耀表現というものが具体的な技法を指すものではなく、平面の絵画において光を放っているように見えるという視覚上の効果を指すものであり、経年変化による画面の変質で制作時点での視覚上の効果が確認しがたいためである。また南宋仏画の独自の光耀表現を指向したと考えられる遺例はきわめて少なく、同じ南宋仏画では、十二世紀後半の清浄華院蔵 国宝 「阿弥陀三尊像」(以下、清浄華院本)において光耀表現の一例を知ることができるのみである。光の表現に関しては日本の仏画に作例を求めると、尊像の金色身による彩色、截金などが特徴に挙げられるが、平面的、装飾的な荘厳という側面が強く見られる。それに対して中国絵画には空間に対するより強い希求が根底にある。それは中央の彫像を囲む壁画の影響を受けた中国の北宋・南宋時代の仏画が、あくまで中央の尊像を引き立たせるためのものと考えられていたためであり、装飾も絵画の平面性を強調するものではなく、あくまで絵画の中空間の秩序に則って施されるものである。この平面における空間把握の違いが光の表現に対する表現手法の差異も生み出し、現存する作品こそ少ないものの、南宋仏画の表現が技術的な習熟における最高峰に達したのではないかと考えられている。永保寺本では一見すれば白にしか見えない色面に、微妙に色調を変化させながら、さらに白と金で文様を描き加える繊細な技法などが見られ、絹という支持体の性質を活かした復雑な視覚的構造を作りながら色調の階層を生み出すことで光の表現に至ると考えられている。これまでの先行研究の中で永保寺本には本尊の光耀表現が特に顕著に見いだせると考えられてきたが、具体的な制作技法や制作当初の彩色に関しては実技的な見地で触れられることがなかった。作品の寄託先である東京国立博物館において熟覧調査、また赤外線撮影などの光学調査を行い、使用されていた色材や技法を明らかにする。また光背から虚空にかけての褪色が著しい部分については、染料の使用も検討しながら使用された色材を確認することによって、得られた知見をもとにサンプルを制作し、顔料の濃度や色味などを比較することで、制作当初の画面全体の色調などを検討する。
実際に想定復元模写を制作することにより、その表現効果について視覚的に実証する本研究の持つ意義は大きい。特に南宋仏画はそれ以前の壁画を継承し、それ以後の中国絵画の発展にもつながる要素を多く内包するため、美術史的な側面からはもちろん、絵画技法史の面から見ても重要である。本研究では仮説の検証をもとに実際に想定復元模写を制作することにより、しばしば問題とされる彫像とのかかわりや描かれた目的、制作年代についても今後の研究のための新しい考察を提示したい。
以上のような観点から、永保寺本を南宋仏画における代表的な光耀表現と位置づけ、その表現がいかなるものであったかという実証を通して絵画技法史の観点から永保寺本の再評価を試みる。
永保寺本は、南宋時代を代表する仏画の優品として名高く、国の重要文化財に指定されている。画面下辺から涌出する白雲中に青みを帯びた踏割る蓮華に足先を広げ佇立する白衣の千手観音が描かれた図様である。観音の形姿は、十四面四十二臀の図様となっており、緻密な描写や暈しにより表される肉身の立体表現、尊像のまとう白衣の美しさ、華やかな金泥・彩色紋様が目を引く作品である。千手観音像として類似例のない特徴的な作風であり、現存する作例の少ない南宋仏画の中でも極めて秀逸で、最高傑作の一つである。
しかしながら、現在の画面の状態は経年変化によって制作当時とは視覚的に大きく異なっていると考えられる。特に彩色においては白衣に白と金の細やかな文様線が良く残る尊像に対して、舟形光背の彩色は大部分が褪色しており、制作された当時の面影を残していない。舟形光背下部より明るめの群青のような色材が確認できるが、尊像は薄く塗り重ねられた暈しの彩色で立体的・空間的に表されていることより、尊像を覆うように描かれた光背部も平面的に彩色が施されるのではなく、浮かび上がるような光の表現で制作されていたと推察される。こうした仏教絵画における仏の放つ光が輝く様は光耀、光輝と称され表現技法は便宜的に「光耀表現」「光輝表現」と呼ばれる。その表現技法については時代や地域ごとの特色を反映しているが解明されていない部分が多い。その理由としては光耀表現というものが具体的な技法を指すものではなく、平面の絵画において光を放っているように見えるという視覚上の効果を指すものであり、経年変化による画面の変質で制作時点での視覚上の効果が確認しがたいためである。また南宋仏画の独自の光耀表現を指向したと考えられる遺例はきわめて少なく、同じ南宋仏画では、十二世紀後半の清浄華院蔵 国宝 「阿弥陀三尊像」(以下、清浄華院本)において光耀表現の一例を知ることができるのみである。光の表現に関しては日本の仏画に作例を求めると、尊像の金色身による彩色、截金などが特徴に挙げられるが、平面的、装飾的な荘厳という側面が強く見られる。それに対して中国絵画には空間に対するより強い希求が根底にある。それは中央の彫像を囲む壁画の影響を受けた中国の北宋・南宋時代の仏画が、あくまで中央の尊像を引き立たせるためのものと考えられていたためであり、装飾も絵画の平面性を強調するものではなく、あくまで絵画の中空間の秩序に則って施されるものである。この平面における空間把握の違いが光の表現に対する表現手法の差異も生み出し、現存する作品こそ少ないものの、南宋仏画の表現が技術的な習熟における最高峰に達したのではないかと考えられている。永保寺本では一見すれば白にしか見えない色面に、微妙に色調を変化させながら、さらに白と金で文様を描き加える繊細な技法などが見られ、絹という支持体の性質を活かした復雑な視覚的構造を作りながら色調の階層を生み出すことで光の表現に至ると考えられている。これまでの先行研究の中で永保寺本には本尊の光耀表現が特に顕著に見いだせると考えられてきたが、具体的な制作技法や制作当初の彩色に関しては実技的な見地で触れられることがなかった。作品の寄託先である東京国立博物館において熟覧調査、また赤外線撮影などの光学調査を行い、使用されていた色材や技法を明らかにする。また光背から虚空にかけての褪色が著しい部分については、染料の使用も検討しながら使用された色材を確認することによって、得られた知見をもとにサンプルを制作し、顔料の濃度や色味などを比較することで、制作当初の画面全体の色調などを検討する。
実際に想定復元模写を制作することにより、その表現効果について視覚的に実証する本研究の持つ意義は大きい。特に南宋仏画はそれ以前の壁画を継承し、それ以後の中国絵画の発展にもつながる要素を多く内包するため、美術史的な側面からはもちろん、絵画技法史の面から見ても重要である。本研究では仮説の検証をもとに実際に想定復元模写を制作することにより、しばしば問題とされる彫像とのかかわりや描かれた目的、制作年代についても今後の研究のための新しい考察を提示したい。
以上のような観点から、永保寺本を南宋仏画における代表的な光耀表現と位置づけ、その表現がいかなるものであったかという実証を通して絵画技法史の観点から永保寺本の再評価を試みる。
審査委員
荒井経 有賀祥隆 宮廻正明 藪内佐斗司 大竹卓民 京都絵美
荒井経 有賀祥隆 宮廻正明 藪内佐斗司 大竹卓民 京都絵美