Conservation Science
イスラーム陶器の材質技法に関する保存科学的研究エジプト・アル=フスタート遺跡出土陶器片を事例に
村上 夏希
審査委員
桐野文良 稲葉政満 塚田全彦 二宮修治
桐野文良 稲葉政満 塚田全彦 二宮修治
第1章 序論
アル=フスタートは、642年に建設されたエジプト最古のイスラーム都市である。創始期のアル=フスタートの生活は、イスラーム以前のコプト・ビザンツ的伝統文化を直接継承するものであったと考えられている。特に、ビザンツ時代の食卓器を代表する赤色光沢土器の存在は、生活文化の基層に前代文化が遺る、当時の社会状況を反映している。しかし、アル=フスタート建設から約100年後のアッバース朝統治期(750–868年)、赤色光沢土器の伝統の中から突如、「施釉陶器」が出現する。さらに、トゥールーン朝からイフシード朝期(868–969年)以降、施釉陶器はメソポタミアや中国からの影響を受け「イスラーム」的特徴を有する後続の施釉陶器へと展開していく。
従来のエジプト・イスラーム陶器の研究は、メソポタミアや中国との関わり合いに重点が置かれ、施釉技術の導入(開発)という窯業史上重要な側面を持つ最初期の施釉陶器について十分に議論されてこなかった。そこで本研究では、エジプト・アル=フスタート遺跡出土陶器片を事例に、保存科学的視点から赤色光沢土器、最初期の施釉陶器、後続の施釉陶器の比較検討を行う。各時代にアル=フスタートで消費されたやきものの材質技法について編年的特徴を明らかにし、その背後にある消費者層の生活や社会の変化との関連性を考察することで、やきものが変容していくプロセスについて検討した。
第2章 研究対象資料
研究対象資料は、アル=フスタート遺跡で発掘された出土資料62点である(早稲田大学所蔵資料57点、出光美術館所蔵資料5点)。発掘報告書を参考に装飾、器形、胎土質の観点から分析資料のタイプ分類を行った。
第3章 研究方法
研究手法は資料の制約や目的に応じ、ICP発光分光分析、蛍光X線分析、エネルギー分散型X線分析装置付設の走査型電子顕微鏡、X線回折装置、偏光顕微鏡を用いた。
第4–6章 分析結果と考察
本論では陶器を構成する主要な要素ごとに、「第4章 胎土」「第5章 釉薬と装飾」「第6章 焼成技術の検討」と章立てを行い分析結果について考察を行った。
第4章 胎土
最初期の施釉陶器の胎土は、赤色光沢土器と類似した可塑性の高い粘土が用いられており、赤色光沢土器と製作地が同一(おそらくはアスワーン)の可能性が高い。対する後続の施釉陶器の胎土は、ナイル沖積土にマールを混合していると推測される。以上、最初期の施釉陶器と後続の施融陶器では粘土の採取地、調合法いずれも異なり、両者の生産地は異なる可能性が高い。
第5章 釉薬と装飾
最初期の施釉陶器は35%以上の鉛を含む高鉛釉が主流なのに対し、後続の施釉陶器では鉛が10~35%含まれる鉛-アルカリ釉の割合が増えてくる。また、一部の着色剤(スズ酸鉛、酸化スズ、アンチモン酸鉛など)には、使用に編年的な傾向が認められる。こうした基礎釉や着色剤の変更が、最初期の施釉陶器(鮮やかな色調)と後続の施釉陶器(淡い色調)の印象の違いを生み出していると考えられる。
第6章 焼成技術の検討
最初期の施釉陶器の胎土は、大部分が800~1000℃で焼かれたと推測されるが、800℃以下や、逆に1000℃以上で焼成されたと思われる資料が存在し、温度にはばらつきがある傾向が認められる。対する後続の施釉陶器は、850~950℃の焼成温度が推定され、焼成温度に大きな差は認められない。以上、最初期の施釉陶器と後代の施釉陶器では、焼成温度の傾向が異なり、後者では安定した焼成が可能となった。
第7章 総括
本研究では、最初期の施釉陶器が赤色光沢土器と類似性が高い一方、後続の施釉陶器とは、胎土の原料・調合法、施釉技術、焼成技術、全てにおいて違いが認められる。最初期の施釉陶器の誕生が前代社会の枠組みの中で達成された第一の技術革新であったのに対し、後続の施釉陶器の登場は、メソポタミアや中国陶磁器の装飾・器形を模倣するといった表層の変化にとどまらない、第二の技術革新の時代であったことを示すものである。以上、最初期の施釉陶器から後続の施釉陶器へと移る時代は、当時のエジプト窯業が根底から変化する一大画期にあったことを、保存科学的視点から明らかにした。特に、最初期の施釉陶器と後続の施釉陶器で生産地が異なることは、この時期にアル=フスタートで流通する陶器の主要産地に変更があった可能性を示している。これは、第二の技術革新が展開していく現象を紐解く上で、重要な手掛かりになると思われる。今後は製作年代、器種、質(高級品や日用品)の異なる対象資料を増やし、どのような機縁で施釉陶器の開発が進行していったのか、そして各時代の施釉陶器がどのように展開していくのかという技術的系譜について明らかにしたい。
アル=フスタートは、642年に建設されたエジプト最古のイスラーム都市である。創始期のアル=フスタートの生活は、イスラーム以前のコプト・ビザンツ的伝統文化を直接継承するものであったと考えられている。特に、ビザンツ時代の食卓器を代表する赤色光沢土器の存在は、生活文化の基層に前代文化が遺る、当時の社会状況を反映している。しかし、アル=フスタート建設から約100年後のアッバース朝統治期(750–868年)、赤色光沢土器の伝統の中から突如、「施釉陶器」が出現する。さらに、トゥールーン朝からイフシード朝期(868–969年)以降、施釉陶器はメソポタミアや中国からの影響を受け「イスラーム」的特徴を有する後続の施釉陶器へと展開していく。
従来のエジプト・イスラーム陶器の研究は、メソポタミアや中国との関わり合いに重点が置かれ、施釉技術の導入(開発)という窯業史上重要な側面を持つ最初期の施釉陶器について十分に議論されてこなかった。そこで本研究では、エジプト・アル=フスタート遺跡出土陶器片を事例に、保存科学的視点から赤色光沢土器、最初期の施釉陶器、後続の施釉陶器の比較検討を行う。各時代にアル=フスタートで消費されたやきものの材質技法について編年的特徴を明らかにし、その背後にある消費者層の生活や社会の変化との関連性を考察することで、やきものが変容していくプロセスについて検討した。
第2章 研究対象資料
研究対象資料は、アル=フスタート遺跡で発掘された出土資料62点である(早稲田大学所蔵資料57点、出光美術館所蔵資料5点)。発掘報告書を参考に装飾、器形、胎土質の観点から分析資料のタイプ分類を行った。
第3章 研究方法
研究手法は資料の制約や目的に応じ、ICP発光分光分析、蛍光X線分析、エネルギー分散型X線分析装置付設の走査型電子顕微鏡、X線回折装置、偏光顕微鏡を用いた。
第4–6章 分析結果と考察
本論では陶器を構成する主要な要素ごとに、「第4章 胎土」「第5章 釉薬と装飾」「第6章 焼成技術の検討」と章立てを行い分析結果について考察を行った。
第4章 胎土
最初期の施釉陶器の胎土は、赤色光沢土器と類似した可塑性の高い粘土が用いられており、赤色光沢土器と製作地が同一(おそらくはアスワーン)の可能性が高い。対する後続の施釉陶器の胎土は、ナイル沖積土にマールを混合していると推測される。以上、最初期の施釉陶器と後続の施融陶器では粘土の採取地、調合法いずれも異なり、両者の生産地は異なる可能性が高い。
第5章 釉薬と装飾
最初期の施釉陶器は35%以上の鉛を含む高鉛釉が主流なのに対し、後続の施釉陶器では鉛が10~35%含まれる鉛-アルカリ釉の割合が増えてくる。また、一部の着色剤(スズ酸鉛、酸化スズ、アンチモン酸鉛など)には、使用に編年的な傾向が認められる。こうした基礎釉や着色剤の変更が、最初期の施釉陶器(鮮やかな色調)と後続の施釉陶器(淡い色調)の印象の違いを生み出していると考えられる。
第6章 焼成技術の検討
最初期の施釉陶器の胎土は、大部分が800~1000℃で焼かれたと推測されるが、800℃以下や、逆に1000℃以上で焼成されたと思われる資料が存在し、温度にはばらつきがある傾向が認められる。対する後続の施釉陶器は、850~950℃の焼成温度が推定され、焼成温度に大きな差は認められない。以上、最初期の施釉陶器と後代の施釉陶器では、焼成温度の傾向が異なり、後者では安定した焼成が可能となった。
第7章 総括
本研究では、最初期の施釉陶器が赤色光沢土器と類似性が高い一方、後続の施釉陶器とは、胎土の原料・調合法、施釉技術、焼成技術、全てにおいて違いが認められる。最初期の施釉陶器の誕生が前代社会の枠組みの中で達成された第一の技術革新であったのに対し、後続の施釉陶器の登場は、メソポタミアや中国陶磁器の装飾・器形を模倣するといった表層の変化にとどまらない、第二の技術革新の時代であったことを示すものである。以上、最初期の施釉陶器から後続の施釉陶器へと移る時代は、当時のエジプト窯業が根底から変化する一大画期にあったことを、保存科学的視点から明らかにした。特に、最初期の施釉陶器と後続の施釉陶器で生産地が異なることは、この時期にアル=フスタートで流通する陶器の主要産地に変更があった可能性を示している。これは、第二の技術革新が展開していく現象を紐解く上で、重要な手掛かりになると思われる。今後は製作年代、器種、質(高級品や日用品)の異なる対象資料を増やし、どのような機縁で施釉陶器の開発が進行していったのか、そして各時代の施釉陶器がどのように展開していくのかという技術的系譜について明らかにしたい。