東京藝術大学博士審査展公式サイト2015

WORKS

/ Sculpture

出現の光景:「場所」と「空間」をめぐる私の神話的往還

荒殿 優花

審査委員
●北郷悟(彫刻科教授)、◯布施英利(芸術学科准教授)、◎森淳一(彫刻科准教授)、原真一(彫刻科准教授)
 美術とは、物質的なものと精神的なものを統合することにより成される創造的活動である。
 第一章では、美術作品を成立させる物質と精神の両面について考察し、「生成」や「出現」の現象について述べる。それらに立ち会うことが私の作品制作の最も根源的な動機であると思えるからである。「生成」は、物質が変容することにより別のものがつくり出されることを意味し、「出現」は、それまで無かったものが突然に現れることを意味する。
 地球上の物質に関して、私たちは、すでに存在する何かが変容して別の何かになる「生成」についてのみ語ることができる。地球上に存在し、人間が五感によって触れることのできる「もの」は、宇宙を構成する物質が形を変えながら循環する過程のなかのひとつの相を示しているのであり、何かの消滅は別の何かの生成を意味するからだ。
 一方、人間を含む動物の生命や、意識や心といった精神的なものには、この「消滅=生成」の規則が当てはまらない。それらが消滅するときには、他の何かに変容するのではなく、ほんとうに消滅する。生命や意識や心は物質の集合から「発現」することで存在を開始する。私は、それらが宇宙のなかにかけがえのない一度きりの存在として現れるという事実を重要視する立場から、それらの「発現」を特に「出現」という言葉で表現したいと考える。
 そして、物質的な次元と精神的な次元の結合した美術作品の世界にも「出現」ということがあり得る。精神的な次元がそれを可能にするからである。作品が制作されるという出来事を物質的に見れば、それは何らかの物質が手を加えられて様態を変えられたことに過ぎないが、それと同時に精神的な次元において、それまでに存在しなかったなにかの「出現」が起こっている。かたちやイメージや感覚などが「出現」してくるのである。
 私自身の、作品の制作を通して新しい精神的価値を「出現」させようとする試みは、独自の神話的イメージを構築することにつながっている。それは宇宙に星座を描くことに似ている。星の配置を動物の姿などに見立てた星座は、人間の想像力の投影である。人間は、遠い星の光に動物や神話の登場人物などのイメージを重ね、測り知れない宇宙空間をいわば人間化することによって、ある種の心の力を得てきたのではないだろうか。宇宙はさまざまなものごとの関係性において成立しており、私は制作を通して、それぞれのものごとのありかたと、それらの関係性を探ろうとしてきた。作品が増えていくとともに、私の「宇宙の地図」が絶えず更新されてきたということができる。
 第二章・第三章・第四章では、私が作品を制作しながら形成してきた世界の見かたについて述べる。第二章では、人間にとっての世界が私の定義する「場所」と「空間」から成っているという考えについて述べる。本論で用いている「場所」と「空間」の用語は、筆者による特別な意味合いを込めたものである。「場所」はこの世に「出現」してやがて消滅していくものたちが存在し、その生の時間を展開させていく現実の時空を意味する。「空間」は人間が観念や想像の力でたどり着く、生身の生の限界を超えた次元を意味する。第三章では互いに分離された何かと何かを結びつけることで新しい次元を開こうとしてきた自身の制作の軌跡を振り返る。それは、地球から生まれた存在同士の分離が起こる以前の、より根源的な状態へと遡ろうとすることを意味している。第四章では、生命の存在の謎に向き合うことから出発し、個々の生命存在の「意識」や「心」についての考察に至った経緯を述べる。各章のテーマにおける探究は、それぞれ、博士審査展提出作品の《葉と光》・《精霊》・《邂逅(場所と空間)》につながっているため、各章の最後で、それぞれの作品に言及する。
 結びの部分では、私の制作が、私の定義する「場所」への志向性と「空間」への志向性を行き来することによって発展していくことを確認する。この両者は両極に位置するものでありながら、互いを排除するものではなく、同時に意識されることによって互いの輝きを強め合うものである。これらの概念を通して世界を見ることで、生きることはより鮮烈な体験として照らし出されることとなるだろう。

プリント

荒殿 優花
略歴
2005年3月 東京外国語大学外国語学部卒業
2011年3月 金沢美術工芸大学美術工芸学部卒業