東京藝術大学博士審査展公式サイト2015

WORKS

/ Japanese Painting

越境の時空-暗示と想起の形-

澁澤 星

審査委員
●梅原幸雄(日本画科教授)、◯佐藤道信(芸術学科教授)、◎関出(日本画科教授)、手塚雄二(日本画科教授)、齋藤典彦(日本画科教授)
 私にとって絵画は、現実でありながら幻想であることが許される媒体としてあり、そのことへの関心から制作活動をおこなってきた。そして私は絵画に、現実と幻想、客観性と主観、時間や実感、感動など客観的に提示する事の難しい様々な事柄を複合させることで、一つの世界として形象化することができると考えており、そのような多様性を魅力と捉え表現しようと試みてきた。
 物事に限界のある現実の世界に対して、制約のない開かれた理想の世界、つまり自由な精神世界を表現しようとしてきた。私にとっての理想の空間とは、桃源郷のような人智を越えた遠い存在ではない。それは日々を過ごす中で実感として刻まれた感動を凝縮し形象化した、現実と近似していながらも特別性を持つ空間である。思想と白昼夢の狭間のような、現実と幻想の共存であり、その境目を探しながら描いている。
 本論文では、現実と非現実が実際にはボーダーレスであることを確認した上で、万人に共通する客観性(=リアル)より主観的リアリティを、絵画という媒体を通して表現し、周囲とそれを共有することの意味を考察した。加えて、祭事や宗教美術などにも、リアルとリアリティの表現の仕方に絵画との類似性があることを比較、検証した。
 実際に筆者が画面上で表現する際には、人物や動植物、静物等のモチーフによる写実表現と、マチエールによる抽象表現を混在させながら制作している。殆どの場合、人物はメインの位置に配置される。しかしその人物像を描くことが目的ではなく、あくまでも空間の語り部として、表現したい世界を示唆する役割である。その上で、虚構だが当人にとっては真実であるリアリティと、現実との微妙な境目が、どのように表現可能なのかを考察した。
 
 本論文は三章で構成される。
 第一章「越境するイメージ」では、客観性(リアル)より、主観的リアリティを、絵画という媒体を通して表現し、周囲と共有することの意味を考察した。第一節では、原風景であり発想の起点となっている幼少期に接した長崎県の山村の土地と気質、市街地の歴史的背景、様々な国の多様な文化と日本文化の混在と、共存、それらが自身の絵画に与えた影響について述べた。第二節では、時間認識について、進化生物学のサンプルが内包する現実の時間と、ヴァーチャルリアリティによる時間感覚のズレについて比較し、絵画における時間表現の可能性を論じた。そして第三節では、中東・アフリカ・ヨーロッパなど、言葉の通じない異文化の地を訪れた経験から、コミュニケーションや記録としての絵画の可能性について論述した。
 第二章「リアルとリアリティ」では、現実と幻想の境界を曖昧にし、精神の旅のような印象を引き起こす事例として、トルコの宗教美術を挙げた。それは、信仰という切実な真実の一方、全ての人間に共通する客観的な正解があるわけではない点が、リアルとリアリティが共存する絵画と酷似している。特にトルコの宗教美術には、ヒッタイト、ビザンティン、オスマンなどの様々な文化が、混在し共存する。それらが、一つの宗教を超えた意味を生み出してきた様子を、同様に様々な要素を受け入れて変容してきた日本文化と比較した。
 第三章「越境と認識のプロセス」では、イメージの越境を絵画で表現する際、具体的に何をどのように描くのか、発想から表現へのプロセスを、自らの作品で考察した。第一節「モチーフとマチエール(現象と構造)」では、マチエールや図像を複雑に混在させる事で、描く対象を抽象化しなくても現実と非現実の境を朧げにし、想像を喚起しうることを検証した。事例として、オディロン・ルドン、エゴン・シーレ、室生寺の板光背などを挙げた。第二節「暗示と想起の形」では、暗示によって鑑賞者にイメージを想起させる表現方法について考察した。具象表現を想像のきっかけとしながら、暗示に留め、あえて反芻と展開の余地を残すことで、次の想像へのきっかけとする方法論である。第三節「人の形」では、筆者が絵の主役として配置する人の形について考察した。近代にもたらされた対象を立体的に再現する西洋の彫刻的人体と、それ以前の仕草や表情などによる日本の人物描写を比較しながら、現代に生きる自分自身の表現に言及した。
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澁澤 星
略歴
2011年3月 東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業専攻
012年3月 東京藝術大学美術研究科絵画専攻日本画研究分野修了