本論文は、アーティスト・コレクティブ(以下、コレクティブ)によるコラボレーションとアーカイブの意義を明らかにするものである。研究仮説は、コレクティブの持続的な実践により、新しい芸術創造が可能ではないかということである。ここではコラボレーションは芸術創造における共同制作を、コレクティブはコラボレーションを行うアーティスト・グループのことを指している。
第1章は、コレクティブの実践と密接に関係するキーワード「アイデンティティ」と「アーカイブ」について検討している。筆者は、2006年にドイツ人アーティストのアナ・ハイデンハインとエルマー・ヘアマンとともにコレクティブ「ニュアンス」を結成し、最近では12世紀のイブン・トファイルの小説『独学の哲学者』をもとにプロジェクト“HAYY ―独学のミュージカル(以下、HAYY)”を行った。このような実践を主要な対象にして、コラボレーションの可能性を考察している。
第2章は、コラボレーションの先行研究、および「記録」、「他者」、「変容」、「歴史・背景」の観点に留意してアーカイブの先行研究を考察している。匿名性と主体の二重性という役割を持つコレクティブをとおしてコラボレーションが実践されること、さらには共同制作によるプロジェクトが社会へ発信され、アーカイブへと展開することを具体的に解明している。
第3章では、プロジェクト“HAYY”のコンセプトについて記している。“HAYY”を通して、個人のアイデンティティが確立されてきた哲学の歴史をひも解き、コラボレーションのあり方を問うている。個人の人格形成の歴史を扱いながら、同時に、コラボレーションの理論と実践を取り上げている。主人公ハイは、誰もが自身の中で秘める「もう一人の自分」と「全てを知るもの」との対話の可能性を体現している。自己と他者、隠喩としての「島」と隣の「島」、個人と共同性としての「島」と「群島」について、様々な距離間を検討している。このなかでアーカイブが時空を超えて展開する場では、オルタナティブな創造へ導かれるものと位置づけている。
第4章では、コレクティブの実践とアーカイブについて分析している。プロジェクト“HAYY”は、複数人のハイの人格形成の時間軸を縦糸に、シチリア・イスタンブール・東京・デュッセルドルフ・ベルリンなどの空間軸を横糸にして、その展開の姿を描く。“HAYY”のアーカイブが、プロジェクトを通してどのように変化したのかを以下の順に記している。①対話と映像言語モンタージュ、②アーティストの日常生活、③渋谷の由緒ある神社とジョゼフ・コスースの作品への訪問者の理解、④人間以外の自然や動物との交感の各記録、⑤映像とアーティスト・ブックの編集、⑥様々な組み合わせの可能性の記録、⑦制作過程の記録の陳列、である。同じ登場人物や振り付けであるが、異なる場所で衣装や動作などが微妙に変化しながら現れてくるのである。
第5章では、コラボレーションとアーカイブの構造を分析している。考察の位置づけをいったん「ニュアンス」のプロジェクトから離れて検証するために、バリ島の祝祭儀礼におけるコラボレーションとアーカイブ、そして人間性を取り戻すための哲学的思索の視点を取り入れたヴィレム・フルッサーの出版物について考察する。また、レバノンに端を発したマイケル・H・シャンバーグの「タートル」プロジェクトからは、ネットワーク・システムを論じる。美術史の文脈だけではなく、属する社会の伝統の継承をコラボレーションやアーカイブのなかで再構築するために、現代社会での他者性の問題を検討し、議論を掘り下げている。
第6章では、研究仮説で挙げた創造の可能性について、①コラボレーションの芸術創造 ―複眼的思考で生み出される作品、②芸術創造主体としてのアーティスト・コレクティブ ―異質なものの協力で引き出される潜在能力、③芸術創造におけるアーカイブ ―未来に出会う他者との喜びの共有、を記し、論文の結論としている。開かれた場としてのアーカイブが記録として残り、後に個人とコレクティブ、あるいは個人とグループのコラボレーションの記憶を呼び起こすことが可能となる。それは、未来に出会う他者と喜びを共有する作品としての意味を持つ。消えていた感覚を再び知覚するだけではなく、鑑賞者自身の解釈によってアーカイブとの新しい関係性を築くことになる。最後に、そのようなアーカイブとのコミュニケーションをとおして生起する絶え間ない知覚の反復運動は、単なる反復ではなく、新しい芸術創造をもたらすと結論づけている。
第1章は、コレクティブの実践と密接に関係するキーワード「アイデンティティ」と「アーカイブ」について検討している。筆者は、2006年にドイツ人アーティストのアナ・ハイデンハインとエルマー・ヘアマンとともにコレクティブ「ニュアンス」を結成し、最近では12世紀のイブン・トファイルの小説『独学の哲学者』をもとにプロジェクト“HAYY ―独学のミュージカル(以下、HAYY)”を行った。このような実践を主要な対象にして、コラボレーションの可能性を考察している。
第2章は、コラボレーションの先行研究、および「記録」、「他者」、「変容」、「歴史・背景」の観点に留意してアーカイブの先行研究を考察している。匿名性と主体の二重性という役割を持つコレクティブをとおしてコラボレーションが実践されること、さらには共同制作によるプロジェクトが社会へ発信され、アーカイブへと展開することを具体的に解明している。
第3章では、プロジェクト“HAYY”のコンセプトについて記している。“HAYY”を通して、個人のアイデンティティが確立されてきた哲学の歴史をひも解き、コラボレーションのあり方を問うている。個人の人格形成の歴史を扱いながら、同時に、コラボレーションの理論と実践を取り上げている。主人公ハイは、誰もが自身の中で秘める「もう一人の自分」と「全てを知るもの」との対話の可能性を体現している。自己と他者、隠喩としての「島」と隣の「島」、個人と共同性としての「島」と「群島」について、様々な距離間を検討している。このなかでアーカイブが時空を超えて展開する場では、オルタナティブな創造へ導かれるものと位置づけている。
第4章では、コレクティブの実践とアーカイブについて分析している。プロジェクト“HAYY”は、複数人のハイの人格形成の時間軸を縦糸に、シチリア・イスタンブール・東京・デュッセルドルフ・ベルリンなどの空間軸を横糸にして、その展開の姿を描く。“HAYY”のアーカイブが、プロジェクトを通してどのように変化したのかを以下の順に記している。①対話と映像言語モンタージュ、②アーティストの日常生活、③渋谷の由緒ある神社とジョゼフ・コスースの作品への訪問者の理解、④人間以外の自然や動物との交感の各記録、⑤映像とアーティスト・ブックの編集、⑥様々な組み合わせの可能性の記録、⑦制作過程の記録の陳列、である。同じ登場人物や振り付けであるが、異なる場所で衣装や動作などが微妙に変化しながら現れてくるのである。
第5章では、コラボレーションとアーカイブの構造を分析している。考察の位置づけをいったん「ニュアンス」のプロジェクトから離れて検証するために、バリ島の祝祭儀礼におけるコラボレーションとアーカイブ、そして人間性を取り戻すための哲学的思索の視点を取り入れたヴィレム・フルッサーの出版物について考察する。また、レバノンに端を発したマイケル・H・シャンバーグの「タートル」プロジェクトからは、ネットワーク・システムを論じる。美術史の文脈だけではなく、属する社会の伝統の継承をコラボレーションやアーカイブのなかで再構築するために、現代社会での他者性の問題を検討し、議論を掘り下げている。
第6章では、研究仮説で挙げた創造の可能性について、①コラボレーションの芸術創造 ―複眼的思考で生み出される作品、②芸術創造主体としてのアーティスト・コレクティブ ―異質なものの協力で引き出される潜在能力、③芸術創造におけるアーカイブ ―未来に出会う他者との喜びの共有、を記し、論文の結論としている。開かれた場としてのアーカイブが記録として残り、後に個人とコレクティブ、あるいは個人とグループのコラボレーションの記憶を呼び起こすことが可能となる。それは、未来に出会う他者と喜びを共有する作品としての意味を持つ。消えていた感覚を再び知覚するだけではなく、鑑賞者自身の解釈によってアーカイブとの新しい関係性を築くことになる。最後に、そのようなアーカイブとのコミュニケーションをとおして生起する絶え間ない知覚の反復運動は、単なる反復ではなく、新しい芸術創造をもたらすと結論づけている。