この論文では、1983年生まれの私が、戦中から現代の戦争を巡って作り出されたイメ ージについて、戦争の表象が各時代の風潮や人々のニーズにどのように呼応したのか、また 社会にどのような影響を与えたかを考えた。特に美術における戦争の表象である戦争画、ア ニメのなかの戦争であるロボットアニメ、テレビゲームのなかの戦争を中心に取りあげ、最 後に、変容する戦争像に対して現代アートは何を表現し得るのかを考察した。
最初に、日中戦争から太平洋戦争期(1937年~1945年)に、画家達が軍の委嘱を 受けて描いた公式絵画の作戦記録画を中心に検証した。作戦記録画を描いた作家のなかで も藤田嗣治は、戦争画や作戦記録画との関わりが深い。藤田の作戦記録画のなかでも、19 43年9月の「国民総力決戦美術展」に出品された《アッツ島玉砕》を重点的にとりあげ、 描かれたモチーフが示す意味を分析した。
次に絵画に描かれた兵器を中心に、戦中のプロパガンダの中での兵器と、元特攻兵の兵器 に関する証言を比較した。理想化して描かれたフィクションとしての戦中兵器像は、戦後の サブカルチャーに受け継がれ、そこでの戦争は、完全に空想の世界に住処を移していた。こ こでも特攻兵の体験談と、同じく若者が戦闘機に乗り込むシーンが描かれたロボットアニ メを比較した。さらに戦争をインタラクティブに擬似体験できるテレビゲームを取りあげ、 戦争と人々の接点の変化を追った。最後に現代アートは、現代の戦争をどのように表象して きたのかに注目した。
戦争画は、戦後約30年間美術史から追いやられたが、各時代の戦争観を映し出す表現で もある。日本では近年、サブカルチャーを経由した戦争の表象がみられるが、空想の戦争と 現実の戦争の境界が薄れつつある現代において、改めてどのような表現が可能なのかを考 察した。
本論文の章構成は、以下の通りである。
「はじめに」では、導入として自分の立ち位置について、戦争体験者の証言による戦争像 と、テレビアニメやテレビゲームの戦争像が、同居しながら乖離していた1990年代を振 り返った。
第一章では藤田嗣治の《アッツ島玉砕》を中心に、戦争画への評価が戦中・戦後でどのよ うに変わってきたのかについて、研究者や作家、批評家の言葉を比較検討した。戦争画への 評価は、各時代の世相を素直に反映している。次に、作品そのものの分析として戦争画を成
り立たせている要素を概観した上で、戦争画を当時の文脈上に見る場合と、作品単体で見る 場合の見え方との違いを検証した。
第二章では、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》に描かれたモチーフを、詳細に検証した。戦争 画は絵空事でありながら、戦いの記録でもあった。アッツ島玉砕事件の戦史とも比較して、 絵画に描かれた兵士の軍装が、どの程度正確に描かれているかを検証し、絵画の嘘と本当の ボーダーラインについて考察した。描かれたモチーフのなかでも、地面に描かれた「紫色の 花」は、《アッツ島玉砕》の厭戦、反戦、追悼といった評価を左右している。
作戦記録画が芸術かプロパガンダか、どちらか一方に絞る判別は困難であるだが、雑誌
『機械化』は、紛れも無くプロパガンダとして生み出された。理想化された兵器が描かれた
『機械化』と、まさに同時期にベニヤ板の特攻兵器に搭乗する場面に遭遇した祖父の体験談 を比較してみると、前者兵器の理想化から、実際にはこぼれ落ちた後者の生身の人間が受け る苦痛や、材料不足による理想の破綻は、プロパガンダには描かれていないことが分かる。 第三章では、戦後、戦争の表象がサブカルチャーに居場所を移し、空想上の兵器は益々理 想化されていた様子を追った。戦争画という絵画の中に幽閉された「死」の表現は、アニメ
では省略され、さらにテレビゲームでは「死なない」戦争像が描かれていることを確認した。 そして戦後、イマジナリーに表現された戦争表現に対して、現代アートがどのように呼応 しているのか。さらに現代の戦争で用いられるプロパガンダをも表現に取り込み客観視を うながしている現代アートの作例をとりあげ、どのような状況においても表現者が意思表
示の自由を確保するための方法について、考えを述べた。 また、自作品の解説および実践的な検証の一つとして、戦争画とのゆかりが最も深い東京
都美術館で「戦争画 STUDIES 展」を開催し、現代において過去の戦争画から何を読み取 り、現代アートでどのように反応を返しうるのかを例示した。
最後に、今後の展開と目標を述べて終わりとした。
最初に、日中戦争から太平洋戦争期(1937年~1945年)に、画家達が軍の委嘱を 受けて描いた公式絵画の作戦記録画を中心に検証した。作戦記録画を描いた作家のなかで も藤田嗣治は、戦争画や作戦記録画との関わりが深い。藤田の作戦記録画のなかでも、19 43年9月の「国民総力決戦美術展」に出品された《アッツ島玉砕》を重点的にとりあげ、 描かれたモチーフが示す意味を分析した。
次に絵画に描かれた兵器を中心に、戦中のプロパガンダの中での兵器と、元特攻兵の兵器 に関する証言を比較した。理想化して描かれたフィクションとしての戦中兵器像は、戦後の サブカルチャーに受け継がれ、そこでの戦争は、完全に空想の世界に住処を移していた。こ こでも特攻兵の体験談と、同じく若者が戦闘機に乗り込むシーンが描かれたロボットアニ メを比較した。さらに戦争をインタラクティブに擬似体験できるテレビゲームを取りあげ、 戦争と人々の接点の変化を追った。最後に現代アートは、現代の戦争をどのように表象して きたのかに注目した。
戦争画は、戦後約30年間美術史から追いやられたが、各時代の戦争観を映し出す表現で もある。日本では近年、サブカルチャーを経由した戦争の表象がみられるが、空想の戦争と 現実の戦争の境界が薄れつつある現代において、改めてどのような表現が可能なのかを考 察した。
本論文の章構成は、以下の通りである。
「はじめに」では、導入として自分の立ち位置について、戦争体験者の証言による戦争像 と、テレビアニメやテレビゲームの戦争像が、同居しながら乖離していた1990年代を振 り返った。
第一章では藤田嗣治の《アッツ島玉砕》を中心に、戦争画への評価が戦中・戦後でどのよ うに変わってきたのかについて、研究者や作家、批評家の言葉を比較検討した。戦争画への 評価は、各時代の世相を素直に反映している。次に、作品そのものの分析として戦争画を成
り立たせている要素を概観した上で、戦争画を当時の文脈上に見る場合と、作品単体で見る 場合の見え方との違いを検証した。
第二章では、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》に描かれたモチーフを、詳細に検証した。戦争 画は絵空事でありながら、戦いの記録でもあった。アッツ島玉砕事件の戦史とも比較して、 絵画に描かれた兵士の軍装が、どの程度正確に描かれているかを検証し、絵画の嘘と本当の ボーダーラインについて考察した。描かれたモチーフのなかでも、地面に描かれた「紫色の 花」は、《アッツ島玉砕》の厭戦、反戦、追悼といった評価を左右している。
作戦記録画が芸術かプロパガンダか、どちらか一方に絞る判別は困難であるだが、雑誌
『機械化』は、紛れも無くプロパガンダとして生み出された。理想化された兵器が描かれた
『機械化』と、まさに同時期にベニヤ板の特攻兵器に搭乗する場面に遭遇した祖父の体験談 を比較してみると、前者兵器の理想化から、実際にはこぼれ落ちた後者の生身の人間が受け る苦痛や、材料不足による理想の破綻は、プロパガンダには描かれていないことが分かる。 第三章では、戦後、戦争の表象がサブカルチャーに居場所を移し、空想上の兵器は益々理 想化されていた様子を追った。戦争画という絵画の中に幽閉された「死」の表現は、アニメ
では省略され、さらにテレビゲームでは「死なない」戦争像が描かれていることを確認した。 そして戦後、イマジナリーに表現された戦争表現に対して、現代アートがどのように呼応 しているのか。さらに現代の戦争で用いられるプロパガンダをも表現に取り込み客観視を うながしている現代アートの作例をとりあげ、どのような状況においても表現者が意思表
示の自由を確保するための方法について、考えを述べた。 また、自作品の解説および実践的な検証の一つとして、戦争画とのゆかりが最も深い東京
都美術館で「戦争画 STUDIES 展」を開催し、現代において過去の戦争画から何を読み取 り、現代アートでどのように反応を返しうるのかを例示した。
最後に、今後の展開と目標を述べて終わりとした。