東京藝術大学博士審査展公式サイト2015

WORKS

/ Conservation

宝菩提院菩薩半跏像および道明寺十一面観音菩薩立像の作風表現および造像技法における唐の影響について ―両像の模刻制作を通して―

中村 恒克

審査委員
●籔内佐斗司(文化財保存学科教授)、◯松田誠一郎(芸術学科教授)、◎深井隆(彫刻科教授)、森淳一(彫刻准教授)
 京都市の宝菩提院願徳寺に安置される菩薩半跏像(以下、宝菩提院像と略称)および大阪府藤井寺市の道明寺に安置される十一面観音菩薩立像(以下、道明寺像と略称)は、共に平安時代初期に造像されたと考えられており、一材から像の大部分を彫出し、精緻な彫りくちをみせる素地仕上げの檀像彫刻である。黒目に別材を嵌入する表現や、風動表現と呼ばれる衣と肉身の美しさを主張する表現といった共通性がみられ、これらについて諸先学により唐の影響が指摘されてきた。
 両像は魅力的な像が多く造像された平安時代初期の中でも、特に優れた出来栄えをみせる像であると考える。それにも関わらず宝菩提院像は本来の尊名が不明であり、また両像の詳しい伝来は不明である。またこれまで両像に指摘されてきた唐の影響については、形式や作風に関するものが主であり、造像技法に関して述べられることはあまりなかった。
 本研究では、3次元の正確な形状を測定することが可能な3Dレーザースキャニング計測および熟覧調査をもとにした両像の模刻制作を通して、造像技法および構造について考察する。そこから得られた知見をもとに宝菩提院像が三尊像の右脇侍であった可能性を述べ、また同時代の日本の作例にはみられない両像の表現や構造を指摘する。また、宝菩提院像とその前後に造像されたとされる作例を比較することで、同時期における宝菩提院像の相対的な位置づけを考察する。
 宝菩提院像の特殊な表現については、蓮弁の葺き方が日本の作例にはみられず、唐の作例にみられるものであることを指摘する。また宝菩提院像は上半身をひねる姿勢であり、三尊像の右脇侍であった可能性を指摘する。日本における同時期の作例には上半身をひねる姿勢の脇侍像がみあたらないことから、宝菩提院像は日本においては特殊な作例であると考える。しかし唐においてはまっすぐ坐る姿勢や、首を本尊の方向にひねる作例もあり、日本で現在見られる脇侍像とは異なる姿勢の作例があったことがうかがえ、宝菩提院像が唐における脇侍像の形式から影響を受けている可能性を指摘する。
 技法面では両像の右前膊半より先の構造について、あえて彫りづらい構造が選択されていることをのべ、この構造が木彫ではあまりみられず、石彫にみられるものであることを指摘する。
 総括では、本論で述べた宝菩提院像の特徴をふまえ、宝菩提院像とその前後に造像されたとされる作例を比較することで、同時期における宝菩提院像の相対的な位置づけを考察する。宝菩提院像以前に造像された作例として、8世紀の第3四半期に造像されたとされる唐招提寺木彫群をあげる。また、宝菩提院像以後に造像されたとされる像として、法華寺十一面観音菩薩立像(以下、法華寺像と略称)をあげる。
 奈良時代後半から造られはじめる木彫の初期作例とされる唐招提寺木彫群は、当時日本に新しく伝わった唐様式が反映されている。またその表現について、木彫以外で造られた造形を木彫に移したような代替的なものであることが指摘されている。この唐招提寺木彫群や中国の小檀像の影響を受け木彫は広まっていったとされ、平安時代初期には多様な作風の造像がされるようになる。その後9世紀半ばに、それまでの表現をある程度統一した承和様式が生まれ、法華寺像のような衣文の稜を鋭くし、布端を薄く鋭く仕上げる木の材質をいかした表現が生まれる。このことから奈良時代に木彫が造られ始めたころの作例では、木彫以外で造られた造形を木に移したような表現がなされ、その後木彫が多く造られるにつれ、木の材質に対する理解が深まり、木彫技法が成熟していったことがうかがえる。
 宝菩提院像は作風表現に唐の影響が指摘さている。また、衣文を深く彫り込む粘りのある表現は、塑像のような自由な表現であり、必ずしも木彫でなくてもよい表現であると感じる。本論で指摘した右前膊の構造も木彫の利点を活かさないものであり、木の材質を活かした造形表現を行わないことは唐招提寺木彫群と同様の造像姿勢であると考える。このことから宝菩提院像は木彫が成立する初期の段階に位置する作例であることが推測される。しかし、宝菩提院像と唐招提寺木彫群の作風表現は全く異なるものであることから、唐彫刻の影響が重層的に日本に伝わり、それらの影響を受けることで平安初期の多様な作風表現の像が生まれたものと考える。

「京都府宝菩提院菩薩半跏像」模刻

「京都府宝菩提院菩薩半跏像」模刻

「道明寺十一面観音菩薩立像」模刻

「道明寺十一面観音菩薩立像」模刻

中村 恒克
略歴
2011年3月 東京藝術大学美術学部彫刻科卒業
2013年3月 東京藝術大学美術研究科文化財保存学専攻修了