法隆寺金堂壁画の作画技法に関する研究

第二号壁画・第五号壁画「半跏形菩薩像」の転写技法について

「第二号壁画」の線描図 ∕ 「第二号壁画」の点刻法による想定転写図
「第二号壁画」の転写工程

本研究は、法隆寺金堂壁画第二号壁画・第五号壁画「菩薩半跏像」の研究対象について、一連の制作工程の中で[転写]の作画技法に関して実技的な見地から考察し、復元模写という形で実証するものである。
本作品は、7世紀末の作品でアジアの古代仏教絵画を代表する作品であるが、昭和24年焼損され、図像の記録する目的でたびたび模写されてきた。しかし、彩色前の形に残らない技法や工程について実技からの研究はなされておらず、未開のままになっている点が多い。
先学では、金堂壁画内陣「飛天図」に凹みの痕跡が見られることから、金堂壁画は念紙法で転写された可能性が指摘されて来た。また、外陣12面には‘笹状の斑紋’と言った痕跡が見られ、これらは図像の転写時に下図を壁面に直接貼り付けた接着剤の痕跡として理解されている。さらに、金堂壁画の配置や画面構成においても左右対称が厳守されており、外陣小壁の向かい合う第二号壁画と第五号壁画及び第三号壁画と第四号壁画の図像が全く同寸同型で反転画像であることが明らかになっている。反転図像が作成されたということは、念紙法で大下図が裏返して使用することによって、複数の壁画制作が可能であることが示唆されている。複数の図像の壁画制作は五重塔の壁画にも適用され、金堂外陣小壁と全く同寸同型の図像が描かれ、五重塔の壁画に金堂の外陣小壁と同じものが描かれていることから、外陣小壁と同一の大下図が使用されたという研究がなされている。
これに対し筆者はまず、何故、外陣12面の壁画から見られる‘笹状の斑紋’という痕跡が内陣の「飛天図」には見られないかという事に疑問を感じた。次に、金堂の外陣小壁に反転画像が使用し、複数の壁画制作をするとしたら、転写のため大下図を尖筆でなぞる際にちぎれやすい念紙を用いた方法より、小孔をあけた下図を用いて転写(以下、点刻法と称する)した方が複数の壁画制作に有効であり、分担作業する壁画制作の流れの上、作業性として効率的ではないかと想定し、美術史的な考察を加え、実技的検証を行う。実技的な観点から作画方法を実証することにより、転写という制作過程を分かりやすく視覚的に明示することができる。また、これまでの研究ではされてこなかった実技的な観点からの検証は、作品制作を基盤とした独自の研究であると思われる。
本研究では金堂壁画の転写法を実技的な観点からの検討を行うことに当たり、金堂壁画の画面構成の特徴を利用し、反転図像である第二号壁画と第五号壁画を取り上げ、線描比較を行うことから、両壁画の下描き線について考察を試み、その検証結果から考えられる転写法を推定する。また、検証結果を基に想定大下図を作成し、作成された大下図を基に第二号壁画と第五号壁画の転写を再現する。
先学研究では、壁面に反転図像が用いられていることの検証において縮小された図を用いた。しかし、本研究では、縮小された図像を伸ばした際に生じるズレの可能性を考慮し、原寸大モノクロコロタイプ写真から線描を抽出し、両壁画の線描比較を行った。その結果、全体の大まかな図像の位置はだいたい一致しながらも、第二号壁画に比べ第五号壁の方が描かれている菩薩の肩の部分から画面の下部につれて少しずつ下がっていることにより、両壁画の図像の位置にズレがあるということが明らかになった。図像の位置にズレがあることは、大下図が分割されて作成されたため転写する過程で出来たズレである、もしくは、両壁画が同一の大下図を裏返して使用してないことであるという二つの可能性が考えられる。このことをふまえて、部分的に図像の線描が一致するかに重点を置きながら線描比較を行った結果、ズレの基点であろうと考えられるところを見つけ出すことが出来た。そこで、分割されたと考えられる基点に合わせ、両壁画の線描を重ね合わせると、全体の図像の位置がほぼ一致していた。また、その検証過程から反転されたとされる2つの壁画の線描にズレがある一方で、両壁画の線描に形を形成する線の基点と終点に交点があり、筆の入口と出口を通ることを見出した。その交点は形を描く際に重要な基点となる部分に生じていることから、両壁画の大下図は同一のものから描かれている可能性が考えられる。

「第二号壁画」と「第五号壁画」の線描比較による検証(部分) ∕ 「第二号壁画」と「第五号壁画」の線描比較を通した交点(部分)

そこで、本研究ではこの状況から研究対象の作品のように反転図像が使用されている壁画の転写法として大下図を裏返して使用し、点刻法で転写されたことの可能性について指摘する。また、一定の距離を置いた孔をあけた大下図を用い、点刻法で転写された点と点同士をフリーハンドで描くことにより、反転図像の単調な表現に不規則性が加わり、画面にわずかな変化が生まれることで印象は大きく変化する。これにより、空間に描かれる壁画の構造的な特徴と点刻法という画法が組合わさったことにより、絵画として単調にならない空間性を感じさせたものと結論付ける。