境壁を越える対話の可能性

−疎外の痛みとともに−

カウザルギー 2014年

私には先天性の聴覚の障害[1]がある。そのため、わずかな音と、目の前の人の口元や身振りを見て、言葉について考えるのが日常である。健聴者の世界で、大人になるまで手話を使うことなく育ったため、他者と交流することや情報を取得することが困難であった。その上、言葉を理解し、話せるようになるのに時間がかかったため、他者と十分にコミュニケーションをすることが、人生の夢であり、希望であった。したがって、人々の間を隔てている“境壁”[2]を乗り越えた対話の可能性を模索することが、主要な関心事である。また、同時に「生と死」という不可解な命題への問いかけは、個人的体験の発露をこえた、巨大な水脈へ導くものであると考えてきた。この生死の世界を掘り下げることが、他者との壁を乗り越える手段であり、無音の世界を探ることにも繋がっていった。

私にとって、人との対話の困難さがもたらす疎外の痛みは、外の世界に向けられるばかりでなく、内の世界にもその痕跡を残してきた。静寂の日々、無意識下に潜在していった内との対話は、神話上の存在や霧のような形となって紡ぎ出されていった。神話の世界を用いて制作していたことは、幼いころから身近な場所にあった聖書と無縁ではない。私が、疎外の痛みを絵画に表現するようになったのは、光を表現するために闇を描く行為と同様に、それが生を表現するために死を描くことでもあるからだ。では、相反する世界を融合し、共存させることは可能なのか。

人間の営みには、様々な物ごとに統一性を持たせつつも、差異を認め合うことで多様性を確保しようとする生理的な本能が備わっている。私にとって、この衝突から生じる疎外の痛みが、死のように感じられてきた。だが、他者との境界線は、どのような方法をもってしても越え難いものである。この境界を越え、大きな視点で自らのアイデンティティを律するために、私は多様な民族の国家であり、かつADA法[3]を持つアメリカに留学した。そして異国から見た視点で、日本の根幹を理解しつつ、自らの立ち位置を考えたことが、本論にも大きく影響している。

第1章では、「聴覚と視覚の情報処理」について考察した。私は、聴覚が空間と色彩認識に影響を与えているのではないかと考えた。外からの情報は、多数の感覚野が脳の中で統合されてから意味と内容が理解される。特に視覚と聴覚は密接に影響し合っており、通常の発達においては、総合された感覚機能があって初めて発話の発達が可能になり、高度で抽象的な種類の認知が形成されるからである[4]。この言語と思考の発達は、安定した聴覚と視覚の結びつきに依存している[5]。一方で、聴覚障害者の脳機能は、科学的に健聴者との差が見出されてきており、脳の機能配置が異なる[6]。私が、人工内耳で幾らかの聴覚を取り戻したことで、聴覚と視覚の統合によって知ることができた空間や色彩認識の変化について、認知学の視点、そして作家の言説を通して分析した。また、聴覚障害による二次的な障害を招いたと思われる言語コンプレックスについて取り上げた。

第2章では、「疎外の痛み」について述べた。心の痛みは、永久的に私的な知覚体験であるため、共感することが容易ではない。しかし、最先端の医学では、心の痛みと外傷の痛みを感じる場所が、同じであることが分かってきている。では、何故この世に障害や民族の差別が遍在するのか、こうした人々の間にある垣根を乗り越えることは可能なのか。また、アメリカでは、障害者達がどのようにして各々の痛みを越えて共生しているのかを探った。

第3章では、「無意識世界」について分析した。全ての人間にある共通の記憶は、無意識集合体に還元され、それが自身の制作に関連していると考えるためである。手掛かりとして、幼い時に接した神話や、箱庭療法について言及し、神話、心理学を通して、人間とは何かを考えた。

第4章では、「博士課程で制作した作品」について解説した。内側の世界と外側の世界を結びつける表現を目指しつつ、疎外の痛みについての問題提起をした。また、他者との壁を越えるための新しい方法の思索を、今後の課題とした。

 


[1]近年、障がい、障碍という新しい呼び名があるが、本論では以前から使われている障害を用いる。「障害者」とは、社会において阻害となる明らかな特徴を持ち、生活に著しい支障をきたしている人を指している。

[2]「境界」に「壁」があるようにも感じたため、“境壁”として捉えた執筆者の造語である。

[3]アメリカには、障害者に対する差別をなくすための法律があり、1990年に世界に先駆けてADA法として成立した。このADA法は、チャリティーの対象から、市民としての人権を保障するという障害者の独立宣言であり、世界に衝撃を与えた。

[4]リチャード・E・サイトウィック&デイヴィド・M・イーグルマン『脳のなかの万華鏡・・・「共感覚」のめくるめく世界』山下篤子訳、河出書房新社、2010年、257頁

[5]長田典子・藤澤隆史「共感覚の脳機能イメージソング」『システム/制御/情報』第53巻 2009年より C. Dehay, H. Kennedy and J. Bullier: Characterization of transient cortical projections from auditory, somatosensory, and motor cortices to visual areas 17, 18, and 19 in the kitten; J. Comp. Neurol., Vol. 272, pp. 68〜89 (1988)

[6] Stephen G Lomber, M Alex Meredith & Andrej Kral:Cross-modal plasticity in specific auditory

cortices underlies visual compensations in the deaf. Nature Neuroscience 13, 1421–1427, 2010

 

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