ヨハネス・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』再現模写による技法と材料の検証

研究目的
本論文は、17世紀オランダ美術黄金期を代表する画家の一人、ヨハネス・フェルメール(1632-1675)の『真珠の耳飾りの少女』(1665-66、マウリッツハイス美術館、オランダ、デン・ハーグ)再現模写を通して、画家の絵画技法と絵画材料に関して論ずるものである。
フェルメールの類まれな魅力が、どのような絵画技術を要因にして描かれ生まれたのかということに強い関心を抱いたことが、本研究の動機である。画家の中には、生前に書いた手記によってその制作方法を知りうる場合があるが、フェルメールに関しては、そのような文献が発見されていない。それ故、この画家の制作方法については、残された作品から推測するしか手段がない。現在、長い間謎に包まれていたフェルメールの絵画技法、絵画材料は、現在科学分野での分析研究によって徐々に明らかにされてきているが、そのような従来研究に基づく忠実な再現模写の事例はきわめて少ない。そこで本研究では、従来研究の科学調査に基づいた材料に関する実験と再現模写を通して『真珠の耳飾りの少女』の絵画技法、絵画材料の検証を行なった。 

 

研究概要
研究対象である『真珠の耳飾りの少女』は、画家の絵画技術の成熟期と言われる時期に描かれ、絵画技法・絵画材料にフェルメール独自の使用例が見られる作品である。
本論文は、『真珠の耳飾りの少女』の絵画技法と絵画材料について、「1.地塗り層の絵画に与える影響」、「2.色彩ごとに見られる材料の選択の工夫」、「3.緑色系のグレーズ層を使用した意図」の3つの要素に着目した。これらの着目点について、材料の混合実験と塗布実験を行なって導き出した結果を採用し、再現模写をした。研究内容を各項目にまとめると以下の通りである。

1.地塗り層の絵画に与える影響
画面全体のコントラストを左右する地塗りの材料について、1968年にドイツの科学分析の権威であるヘルマン・キューン、1995年にはマウリッツハイス美術館のヨルゲン・ワドム、1998年のカリン・M・フルーンらの調査を基に、フェルメールの用いた地塗り塗料の再現を試みた。各顔料の配合比を変えた地塗り塗料のサンプルを作成した。彩色は有色地塗りを中間調子として明暗への移行が行われることに着目し、『真珠の耳飾りの少女』のX線写真の薄塗り箇所から色調を予測した。人物の肌の影色を評価基準の色にし、肉眼による照合を行って下地塗料の色調にした。

2.色彩ごとに見られる材料の選択の工夫
絵具層で用いられている絵具を、当時の手法を踏襲して顔料と媒材を大理石板の上で練棒を用いて練り合わせた。描画行程は、下描きから下層塗り、上層塗り、グレーズの順に進め、仕上げに保護ワニスを塗布した。下描きには、少女の輪郭に沿って確認できる明るいオーカーの絵具を用いた。『真珠の耳飾りの少女』のX線写真を見ると、顔の部分に比べ少女の青いターバンと黄色い衣装の明部に鉛白が主体的に使われている形跡がない。これにより鉛白を全く使わずに描いたか、あるいは、その使用量がごく微量であったことを予想させた。ターバンと衣装の明部を表現するにあたり、予備実験では①同一名称、もしくは同一成分からなる顔料でも、微小な成分の違いで生じる色味の差を利用する方法、②顔料の粗さで色を使い分ける方法、また③炭酸カルシウムと少量の鉛白の併用を、各場所によりこれらの手法を使い分けて描くことで、鉛白の使用量を抑えて制作することができた。

3.緑色系のグレーズ層を使用した意図
グレーズ層では、各個有色に透明絵具を重ねて豊かな調子と色の深みを表現した。背景に関しては、近年の調査によってウェルドと呼ばれるモクセイソウから抽出した天然有機顔料とインジゴを混色したグレーズ層が存在することが分かっているが、当時の色は褪色により失われている。再現の結果、上層塗りのやや暖色がかった黒に寒色のグレーズをのせることで深みのある暗い背景を表現できた。

 

研究結果
 科学分析が示す絵画材料を参考に模写制作を兼ねた再現実験を行ない、次のようなことが明らかになった。『真珠の耳飾りの少女』を描く上で、地塗り材料は、オーカーとブラック、バーントオーカー、バーントアンバーの混合物を鉛白に対して約4wt%混ぜたものが適当という結果になった。ターバンと衣裳の明部は、①成分の違いで生じる色味の差を利用する方法、②顔料の粗さで色を使い分ける方法、③炭酸カルシウムと少量の鉛白の併用によって、鉛白の使用量を抑えた表現ができた。背景はアンバーとブラックによってできる褐色がかった色に、インジゴとウェルドの混色によるグレーズ層を重ね、深みのある黒色を再現できた。本研究では、3つの着眼点から、画家が用いた絵画技法と絵画材料を具体的に示せたと考える。