創発する絵画

本論は、絵画における創発性をめぐった自作論である。私は、自己組織的なプロセスやパターンを絵画やドローイングをとおして表現している。自身の線描をオートポイエーシス理論を援用して解釈し、また、セルオートマトンを応用したドローイングにも取り組んでいる。そうした制作行為に見いだされる創発性が主題である。
心や造形といった人の営みは、どのように生まれるのだろうか。あらかじめ設計図が用意され、ほかからカタチを与えられるのだろうか。そうではなく、みずからの自律した構造やプロセスによって情報やパターンを生成する自己組織的な特性を持っていると考えてみたらどうだろう。本論ではこのような問題意識に基づいて現代における絵画の在り方を問いたいと思う。

「絵画は創発する/Painting for Emergence」 / 「絵画は創発する(モノクローム)/Painting for Emergence(monochrome)」

絵画はその時代の視覚文化と切っても切れない関係にある。現代に生きる私たちの視覚イメージは、日常において無数のテクニカルな画像に取り囲まれている。肉眼では見ることができないものも、画像によって視ることができる。たとえばガン細胞、それも身体の奥深くに埋まっている小さな塊さえ、外側からまるで透視するように図像化することができる(PET)。脳神経のネットワークもまた、活性化する領域を外側から図像によって特定し、行動と関係づけながらその脳領域の働きを措定するのである。このように画像-メディアは肉眼を拡張し、視ることによってあらゆるものごとを対象化しつづけている。
しかし、人の心や意識は、いくら外側から脳を観察しても近づきがたいものだ。なぜなら当の本人の生きた「現れ」によって支えられているからである。それぞれ固有の生に、固有の現れがある。これをイメージとして表すのは、外側から観望したのでは原理的に無理がある。ではどうすればよいのか。外側から視るのではなく、自らの現れによって駆動し、自己産出しつづけるイメージの制作行為が必要になるのではないか。私の絵画の出発点はこのようなシステム現象論にある。
それは自然を模倣する絵画ではなく、いわばそれ自身のなかに自然を生みだす絵画である。みずからが生みだす色・形あるいは感触などに刺激されながら、新たな要素を産出してゆく自己触発のつらなりのなかにみずからを巻き込ませて作品世界を出現させる。その結果として大きく展開された織物絵画には、パタンとログの群が刻まれ、それらのイメージを活用することによって制作行為はさらに前に進んでゆく。創発する絵画とは、このような絶え間ないプロセスの束のさなかにありながらも、単なる反復作動におさまることなく、つねに新たな局面に入ってゆく回路−創発性を含んでいるのである。
自作の創発性にかんする分析では、この回路を解くよう詳細に論じた。織物絵画では平面性を逸脱して織りの空間構造が多層化してゆく場面、迷路では描画システムの物性が高次のパターンを引き起こす過程、カップリングのドローイングでは新たな変数の導入によって生成単位が自在さを獲得する局面を、それぞれ扱っている。制作行為にコードやルールの構成を与え、それに基づいて遂行することによって、そこから新たな創発性をとりだすことができるのである。

「絵画は創発する/Painting for Emergence」部分 / 「絵画は創発する(モノクローム)/Painting for Emergence(monochrome)」部分