映像メディア時代のイメージ編集と受容に関する表現研究

芸術は、その時代の精神状況を反映している。そして、視覚的な方法によって人間社会における問題を自覚させ、様々な変化を通じて我々の生活と文化に莫大な影響を与えてきた。現代の絵画は、制限のない自由という地平に広がり、様々なジャンルとの融合を試みている。絶対的な概念を越え、あらゆる現象を重視する傾向に広がった。筆者の制作でも素材としての媒体による組合せ、日常生活で使用されるものを流用するといった手段を用いて表現している。本稿では、生(existence)と芸術の境界、そして移り変わる社会の特性と芸術の関係(relational)、芸術と受容者のコミュニケーションについて論述する。

 本稿では、筆者の作品解説に関連し、技術の進歩に伴い変化する媒体とこれによる社会変化、新しい媒体によるメディアの登場について理論的に検証し、その理論から筆者の作品を考察する。第一に、時代の流れと共に発達した科学技術により、新たな媒体が引き起こす変化が、美術様式にどのような影響を与えてきたのかを検証する。次に、媒体の進化による情報伝送手段としての新たなメディアにより生まれた社会文化と美術の関係を自作から分析する。

 現代人の生活は情報伝送手段としてメディアに基づいている。メディアの最も大きな変化は、テクノロジーの発展によるデジタル化である。まるで、美術史上による複製技術である写真の登場とアウラ(aura)の崩壊が、「芸術の再現」の観点から離れ、新たな美学の契機となった事例と同じように、メディアのデジタル化は社会文化に変化をもたらした。これらのメディアの発展は、作家にとって発想の転換となり、芸術表現に影響を与えた。

 筆者の制作は、主にメディアにより絶えず生産されるイメージを流用し、作り手の感覚によってイメージを解釈し、表現するものである。いわゆるメディアを通して作られるイメージは、単にその情報を受け取り側によって受動的に受容されるだけではらならい。我々はメディアを通じて世界を学び、メディアの中に存在する仮想世界を見て、これらのメディアから習得した情報に依拠し、各々の考えを構築してはいないだろうか。

 筆者の作品で表現するイメージとは、現実の世界を取り巻く要素として、実在する問題を様々な媒体を用いて表現している。初期の制作は、メディアが作り上げたイメージの虚像、実在しないイメージを無批判に受け入れる過程を表し、プラトン(Platon)が定義したシミュラークル(shimulacra)とジャン•ボードリヤール(Jean Baudrillard)のシミュレーション(Simulation)の観点から理論の基礎を構築した。以前までは、メディアのイメージが秘める消費的象徴の虚構性を暴露する作品に注目してきたが、さらに、メディアが生み出す情報の操作性に関心を持つようになった。中でも本稿で注目する事象は、映像媒体が及ぼす影響力である。映像は「見る」という行為を伴う。「映像を見る」という行為には、無意識のうちに受け取り側の受動的な態度が課せられる。よって、映像の情報に対する妥当性、客観性を持たない限り、事実として疑いなく認識してしまうことになる。これらの結果として、情報を提供する媒体としてメディアによって抽出、操作された情報から、共同体、地域社会、国家観が形成されてはいないだろうか。母国を離れて数年の間、日本で生活をしながら出会ったメディアと、かつて筆者が疑いなく受け入れてきた情報との差異は、大衆媒体の立場による描写の相違を強く感じさせた。そして、このような考えは自作のテーマに影響を与えた。近年の作品は、韓国と日本間において歴史的に共通項を持ちながらも、それぞれの立場から異なる見解が見受けられるトピックに関心を寄せている。筆者が注目したのは、既存の言論媒体や政治により取り扱われた日韓対立の歴史ではないのである。その家で暮らしていた人の話を媒体とした周りとのコミュニケーションを通じ、認識の変化を語ることにその目的があったのである。韓国に残存している日本様式の家屋(韓国では敵産家屋と呼ばれる)を素材として制作していた。本稿では、メディアと、そのメディアの受容者によるコミュニケーション(communication)形態、つまりマスコミュニケーションの可能性を、その相互作用性(interactivity)から分析し、論述しようとするものである。

RE:母の家, 6:50min, 2014

 本研究で自作に関連する美術史、社会学的研究を通じて導き出されたコンセプトは、筆者の美術家としての制作意義と存在を証明してくれるだろう。メディアは、美術の一つのツールである。しかし、美術の表現手段のみならず、個人と社会を繋ぎ、個人と社会との関係を築く。メディアを通じて、個人と社会を繋げ、社会と美術が繋がる。そして美術と個人が繋がり、これらの三種間にコミュニケーションが生まれる。つまり、筆者は自分の制作でメディアを通じることで、相互作用的なコミュニケーション空間を構築することができる。これは、筆者の制作基盤となるものであり、美術としての存在価値のみならず、筆者による実在への問いかけである。