鎌倉時代の菩薩形像における彫刻制作の計画性とその変更について

東大寺中性院弥勒菩薩立像模刻制作を通して

現在、東大寺中性院に安置される弥勒菩薩立像(以下、中性院像と略称)は、像内納入品により、建久年間(1190〜1199)の作であることが知られる。作者は明らかでないものの、有力な慶派仏師の手になるものと考えられ、衣縁を波打たせた独特の着衣表現などから、いわゆる宋風彫刻の代表例とされてきた。その一方で、近年では服制や軽やかな三屈の姿勢などが平安初期彫刻に依拠している可能性が指摘されるなど、諸先学によって様々な論考がなされている。なかでも構造面では、脚部を別に造り体部に挿し込むという、特殊な仕口を持つことが注目されている。脚部を挿し込み式にする例はこの時代以降、次第に増えることが知られており、清凉寺釈迦如来像のような宋代彫刻の影響を考える論考もある。しかし、中性院像の挿し込まれた脚部は特に長く、像内に嵌め込んだ棚板に固定されるなど他作例とはかなり異なっており、その目的は明らかではない。
また、中性院像はのちの善派に繫がる要素を持つことが指摘されている。仏師善円をはじめとする善派は鎌倉時代中期に現れ、清冽かつ繊細な作風で知られるが、その仏師系統についてはいまだ不明なところが多い。
中性院像の脚部構造に関するこれまでの論考では、単に脚部が別材で造られているという点のみが着目され、その詳しい構造や目的、実際に制作する際の利点や不都合な点については詳しく述べられてこなかった。また、本研究に際して行った熟覧調査および透過X線撮影・3次元レーザー計測等の科学的な方法による調査、分析によって、中性院像が、これまで考えられてきた以上に極めて複雑な構造を持っていることが判明した。
本研究では、中性院像の構造がどのような経緯により造られたものなのかを実証的に明らかにするため、中性院像の模刻制作を行った。模刻制作においては、前述の調査方法で得られた結果に基づき、可能な限り原本像に近い法量・技法・材料で制作を行った。
第1章では、先学により明らかにされた知見に、今回の調査で新たに判明した分析結果を加え、中性院像の構造を詳細に検討した。
第2章では、筆者が実際に行った、中性院像の模刻制作から得られた情報に基づき、それぞれの構造の詳細と目的について考察した。そのうち、玉眼の固定法、変則的な割首、右肘の矧ぎ目、挿し込まれた脚部について、調整を繰り返すことができる工法であり、改変を前提とした、作者の周到な工作であった可能性を指摘した。また、現状では造像当初とは形式が異なっているとみられる天衣、および亡失している垂髪について考察を加え、中性院像の当初の造形を推定した。

東大寺中性院弥勒菩薩立像 想定復元模刻(制作途中)

第3章では、中性院像における形状改変が、像自体の造形にどのような変化をもたらしたのかを明らかにするため、同時代の慶派作例との比較を行った。その結果、中性院像はボストン美術館弥勒菩薩立像(快慶作)や浄楽寺阿弥陀三尊のうち両脇侍像(運慶作)のような他の慶派作例と大きく異なる特徴を示し、それが形状改変によるものであると推察した。続いて中性院像と善派作例を比較し、従来指摘されてきた、U字形に懸る天衣や玉眼の工法などの共通点に加え、体型と動勢においても多くの共通点が認められることを指摘した。
総括では、中性院像は改変が行われる以前から、既に方向性の異なる表現が志向されていたこと、また作者が変更を前提とした工法をとっていることから、中性院像が新しい造形表現を生み出すための実験的存在であったと指摘した。そして、のちの善派作例にみられる様々な特徴が、中性院像における度重なる形状改変の結果造り出された仕様と共通することから、中性院像こそが善派に繫がる明確な分岐点であり、プロトタイプであったと推論した。

模刻像全解体写真 / 模刻像下腿部材