「もうひとつの日常」を生み出すアートプロジェクトに関する研究
筆者は、国内外各地の地域社会において地域住民を中心とする多様な参加者と共に「もうひとつの日常」を生み出すアートプロジェクトを実践している。実践者としての立場から現場を見ていると、そこではプロジェクトに関わることを通して地域住民の意識が変化していく様子が見受けられる。人びとの変化の過程と共に結果的に生み出される「もうひとつの日常」は、既存の地域社会における人びとの役割とは異なる関係性によって支えられている。その主体となるのは、必ずしもアーティストではなく、むしろ子どもを含む普通の人びとである。彼らはそこで何を経験しているのだろうか。
本論では、筆者がきっかけとなってはじまった「もうひとつの日常」を生み出すアートプロジェクトにおいて、地域住民を中心とした人びとの手で「もうひとつの日常」がつくられていくプロセスに着目する。些細な出来事と機微が重要となるアートプロジェクトの過程を紐解きながら、ここでの人びとの意識の変化とはどのように働き、何をもたらしているのか、その考察を通して他者へとひらかれた「もうひとつの日常」の可能性を明らかにしたい。また、地域に「もうひとつの日常」を生み出していくためには、問いを投げかけるアーティストとしての筆者と、プロジェクトを主体的に再創造する人びとのある種の共犯関係が不可欠であることを確認しながら、ここで導き出される「もうひとつの日常」の可能性が、現代日本のアートプロジェクトにとっての羅針盤となることを期待し、論を進めていきたい。
第1章では、「もうひとつの日常」を生み出すアートプロジェクトを捉える概念的枠組みを構築することを目指す。そのためにまず、日本におけるアートプロジェクトの歴史を辿り、2000年以降に台頭する多様な人びととの関わりを生み出すアートプロジェクトの立場を整理する。次に、鶴見俊輔による「限界芸術」の概念をもとに、大衆に「見せる」ためのアートプロジェクトから、地域住民が「する」ためのアートプロジェクトへの転換を描写する。「もうひとつの日常」において人びとが獲得しうる関係性は、普段の日常の関係性から解き放たれた特殊な共同性によって支えられる。この共同性が獲得される過程を明らかにするために、ここでは文化人類学における儀礼論を援用する。「もうひとつの日常」が生み出される過程と儀礼の過程を重ね合わせることで明らかになったのは、「もうひとつの日常」における共同性が儀礼における「過渡的状態=リミナリティ」に生ずる日常の制約から解き放たれた共同性としての「コミュニタス」の特徴を有しているということである。
第2章から第4章にかけては、筆者による「もうひとつの日常」を生み出すアートプロジェクトの実践事例を章ごとに取り上げ、関わる人びとの変化に焦点を当てながら考察する。まず第2章では、埼玉県北本市で2010年からはじまった、商店街の空き店舗を「居間」に変えるプロジェクト《リビングルーム》を取り上げる。初期段階では《リビングルーム》が、異質な場として立ち現れるが、プロジェクトが継続するについて、その異質さは日常的な風景として定着していき、それに抗うように《リビングルーム》の空間を一時的に変貌させるイベントが行われるようになる。これらは、「もうひとつの日常」として日常の関係性を解き放つ力が失われた《リビングルーム》を土台として、新たに一時的な「もうひとつの日常」を再創造していく試みであったと考えられる。
第3章では、福島県相馬郡新地町の仮設住宅の中に「手づくりの町」をつくるプロジェクト《マイタウンマーケット》をとりあげる。特に《マイタウンマーケット》の準備、本番、打ち上げの段階を考察することで、「もうひとつの日常」がもたらす人びとの変化を明らかにする。主体となる子どもたちが《マイタウンマーケット》の過程を通して子どもから「大人」になり、また「子ども」に戻っていくふるまいは、変化というよりむしろ一時的な「変身」と言えるものであり、直接的に「大人になる」という特殊な役割転換を《マイタウンマーケット》によって経験している。
第4章では、茨城県取手市にある井野団地を舞台に団地の空き部屋を「太陽光で泊まるホテル」に変えるプロジェクト《サンセルフホテル》をとりあげる。ここでの限られた1泊2日の「もうひとつの日常」は、日中、夜、そして朝といった太陽の移ろいにあわせて刻々と変質し、その過程を過ごす人びとに普段の生活においては固定化された自分自身の役割を流動的にしながら、固定化した存在と対置される曖昧な存在へと一時的に生まれ変わることを実現させる。
終章では、以上の各章の考察を踏まえ、「もうひとつの日常」を生み出すアートプロジェクトの可能性についてまとめる。アートプロジェクトが持ち込まれた日常のなかで、「もうひとつの日常」の出現が継起的に引き起こされていく中で徐々にプロジェクトの主体は筆者から地域住民へと引き継がれ、結果的に地域住民による地域活動/行事として定着していく。ここには地域の日常に内在する儀礼文化が消滅しつつある現代において、日常にコミュニタスを再創造するきっかけとなる可能性を秘めた、これからのアートプロジェクトの姿があらわれていると言えるのではないだろうか。