膠の保存性

 膠は彩色材料として広く用いられてきたが、その使用について科学的に検証した例は少ない。膠を展色材としたときの塗膜の耐久性は、塗布時の方法と膠自体の耐侯性により変化する。本研究ではこのうち、膠溶液の熱処理による可使時間延長の検討、付着力の測定による耐光性および塗布方法の検討を行い、膠が用いられている文化財の保存性を高めるための基礎的データを得ることを目的とした。

 膠の溶解時、沸騰処理することで膠溶液を殺菌するとその可使時間を大幅に延長できることを福田喜美子が示唆しているが、その可否を詳細に検討した。飛鳥膠溶液にオートクレーブ(121℃) 60分間処理を行い、完全に殺菌した状態の試料を作製した。その結果、30℃で12日間保管しても微生物の活性度を示すATP量は増加せず、微生物の活性がない無菌状態を継続し、膠溶液の粘度は低下せず、一定値を維持した。しかし、通常(60℃)の溶解を行った場合の飛鳥膠の膠溶液の粘度は約10 mPa・sだが、オートクレーブ処理直後の粘度は熱処理により、約8~4 mPa・sに低下した。次に熱処理条件として、60℃10分間で溶解させたもの、これをさらに80℃60分間あるいは沸騰60分間の熱処理を加え、外部から菌が入らない状態で30℃恒温中に12日間保管した。沸騰60分間処理を行うと30℃での保管では2日間は膠の粘度低下はほとんどなかった。全ての加熱温度条件の試料で粘度低下に2つの傾向がみられた。すなわち、3日目までに約10 mPa・sから約3 mPa・sに急激に低下するものと、約3 mPa・sになるまでに10日間~12日間かけて緩やかに低下するものである。前者の急激な粘度低下を示した試料においてはATP量はいずれも3日目までに最高値を示し、同時にひどい腐敗臭が発生した。後者の緩やかな粘度低下の試料でもATP量は増加しているので、微生物による膠の分解が起きているが、その菌種の違いによって、膠の劣化程度に差が出たと考えられる。どの場合でも膠溶液の粘度は経時的に低下することから、作品の保存性を考えるならば、膠溶液は出来るだけ調製後、直ちに使用するのが良い。

 膠塗膜の耐光性を評価した。ヒノキ材を基材に、膠溶液を黄土と混ぜて4回塗り重ねていく伝統的な木材彩色の手法を模した方法で塗膜試料を作製した。膠には市販の8種類(三千本膠、京上膠、軟靭鹿膠、播州粒膠、楓膠、飛鳥膠、特殊鹿膠、兎膠)を使用した。カーボンフェードメーターを用いて紫外線を各々の塗膜試料に900時間照射し(ブラックパネル温度63℃、屋外の紫外線暴露量として大凡2年弱に相当)、膠塗膜試料の付着力(クロスカット法およびプルオフ法)および色の変化を測定した。なお、クロスカット法では定量性は乏しいが、塗膜表面変化も測定できる。一方、プルオフ法は塗膜表面の測定用のドリーを接着剤で貼り付けるため、塗膜最表面の情報は得られないが、定量的な測定ができる。また、膠試料自体への同条件での紫外線照射による膠溶液の粘度変化を測定した。各塗膜試料に900時間の紫外線照射を行った結果、900時間内の紫外線照射では、特殊鹿膠を除く膠ではクロスカット法で三千本膠および播州粒膠の付着力が低下しているようにも見えたが、膠そのものへの900時間の紫外線照射では膠の粘度も含め概ね変化せず、今回用いた紫外線照射量に対しては十分な耐光性を示した。特殊鹿膠は225時間内の紫外線照射により水に不溶となり、またプルオフ法によるその膠塗膜の付着力も上昇したことから、塗膜全体が重合している可能性がある。なお、クロスカット法では付着力が低下しており、塗膜表面はまた別の劣化が起きている可能性がある。さらに、特殊鹿膠試料は膠塗膜の色変化においても他の膠試料よりも大きかった。以上の結果から特殊鹿膠は化学変化しやすい膠であり、絵画制作において作品の保存を考慮したとき、その使用は望ましくない。

 平等院南門に新しく塗装を施すにあたり、塗装法の検討を行った。南門部材には多孔性の第一層、化学ペイントと考えられる緻密な第二層がそれぞれ剥落しながら残存しており、この部材に新しく塗装を施す修理が計画された。そこで、旧塗装を削る程度によって膠塗料の再塗布による塗膜全体の付着力を評価した。付着力は従来から行われているクロスカット法に、定量的に測定できるプルオフ法を新たに導入した。その結果、化学ペイント層と考えられる旧塗膜中層は完全に除去する必要性があるが、多孔性の第一層は残存していても問題ないことをプルオフ法により定量的に明らかにした。しかしながら、実際の現場での作業においては厳密な削り程度のコントロールは困難なことから、完全に旧塗膜を削るのがよいとなり、この結果に基づいて平等院南門と鳳凰堂の再塗装が実施された。

 以上の研究により、膠を展色材として用いる際の保存性に関する基礎的データを得ることができた。