造形表現と思考
―制作者のための現代美術をめぐる一考察―
今日の美術表現では、現代美術と呼ばれる多様な表現がみられる。現代美術において多くの美術制作者たちは、彫 刻や絵画といった形式に限らず、作品のコンセプトを主軸にもち、それをどのような手法で表わすかといったかたちで表現手法を思案してきた。コンセプトとは作品の概念であり、制作者の思考内容によるものである。つまり制作者 が各々の思考内容を作品として表わすようになったことが今日の美術表現が多様化した要因の一つに挙げられるのである。
1960年代後半に現れたコンセプチュアル・アートでは特にコンセプトが作品の主軸となっていた。その一方で、80 年代以降はコンセプチュアリズムを受け継ぎながらも造形作品をつくる制作者は少なくなく、筆者もその一人である。 制作者が思考内容を表わしたいのであれば、言葉で表わす方が直接的であるように思われる。それにも拘らず造形作品をつくるのであるから、造形表現を通して思考内容を表わすことには制作者にとって何かしらの意義があると予想される。このような推測から、本論文はコンセプチュアル・アート以降、人の思考を伴う美術表現を現代美術と捉え、 制作者の思考と創作行為との関係、およびその内実を明らかにすることを試みたものである。
第一章では、コンセプチュアル・アート以降から今日に至るまでの美術表現におけるコンセプトの位置づけを、欧米の現代美術史を参考に整理した。その上で80年代以降に活躍する彫刻家、レイチェル・ホワイトリード(RachelWhiteread1963-)の作品に着目して論ずることで、80年代以降の造形表現は制作者の観念によるコンセプトがあって 造形作品がつくられ、また造形作品をつくることでコンセプトに深みが増すといった造形作品とコンセプトとの相互関係があることを示した。
現代美術は鑑賞においても思考する媒体として捉えられる傾向にある。対話型鑑賞やアートプロジェクトでは、鑑賞者の思考能力、対話能力の向上とまちや社会の発展に資するものとして現代美術は期待されている。このように60年代後半以降の現代美術は、制作者、鑑賞者といった人の思考が中核をなす美術表現であることがわかる。しかしながら、人の思考を伴う美術表現としての現代美術の発展的可能性は鑑賞者の立場から語られることが多く、制作者が創作行為において思考することの意義を客観的に述べるものは少ない。
そこで第二章では筆者の制作過程記録の分析と、制作者の制作過程について研究している高木紀久子、岡田猛、横地 佐和子の論文、画家である立場から絵画の創作行為について研究する小澤基弘の文献を参照することで、実際の制作過程における制作者の内的思考について論を進めた。制作前から展示までの間に、制作者は身の周りにある外的事物や作品の素材、展示場所など様々な<制作に関するものごと>と関わりながら作品をつくる。この過程で制作者は、原初的思考、実験的思考、建設的思考、関係的思考といった様々な内的思考を働かせている。このとき制作者はコンセプトをこれから表わそうとする作品の軸および思考の軸として、コンセプトと<制作に関するものごと>と照らし合わせながら作品を生成していく。
ではなぜ思考内容およびコンセプトを表す方法として造形作品をつくるのかというと、その解は<制作に関するものごと>と関わりながら作品を生成しているところにある。<制作に関するものごと>は、制作者にとってはすべて外的 事物である。それらは制作者にとって視覚的に見る、または身体を通して触ることのできる対象であり、外的事物と 関わるがゆえに制作者は身体的実感を伴いながら思考できるのである。このような制作過程のなかで制作者は自身の観念を見出し、観念からコンセプトを抽出し、コンセプトを作品の<素材―技法―かたち>に置き換える。この過程で 試行錯誤しながら多角的に作品とコンセプトとを深化・明確化し、最終的に作品として具現化するのである。すなわち思考しながら造形作品をつくることは、制作者の観念を試行錯誤の末に身体的実感を伴いながら具現化する行為なのである。
また観念は、制作者個人を介して見た周りの物事、言い換えるならば社会に対する一個人の考え方である。よって制作者自身の観念を具現化する制作過程とは、現代の社会に生きる自己の存在を、実感をもって確かめることのできる過程である。それは同時に、今ある社会のありさまを、制作者なりの実感をもって捉えることでもある。すなわち 思考しながら行なう創作行為は、制作者にとって今を生きる自己と、今ある社会とを実感をもって捉える方法の一つなのである。そして完成作品と対峙したとき、制作者には作品を通して過去・現在・未来の自分自身の人となりを捉 えるような思考がある。このことから造形表現における制作者の思考は、今を生きる自己の存在を確かめ、現在の社会のありさまを自分なりに捉えるような思考であることを明らかにした。
最後に第三章では、作品完成後に制作者が他者に向けて行なうプレゼンテーションを<再作品化>の過程として捉え、ポートフォリオ、口頭による作品の言語化、そしてウェブサイトの内容と役割から実制作とは異なる制作者の思 考について論じた。<再作品化>は作品および活動を資料や言語として再構成する過程であり、そのなかでは制作者自身が現時点の制作者そのものを見つめ直す思考がある。教育分野におけるポートフォリオを参照すると、<再作品 化>は反省的・批判的思考を伴った上で制作者が正確な自己評価者となることを可能にし、他者との「外的な評価と の緊張関係」のなかで自己評価能力が高められる可能性があることがわかる。また、<再作品化>において制作者に は他者に見せる・伝えるといった自己表示をする思考がある。それに対する他者からの共感と批判は、制作者の自己評価を何度も起こさせる起点となる。このように制作者と他者との相互関係においては、互いの自己評価・他者評価 の思考の連鎖が生まれ、互いの思考が深められる可能性がある。もしこのような思考の連鎖があるとすれば、それが 現代美術によって波及する人同士の思考の交流であると言えよう。
このように、本論文は現代美術のなかでも造形表現における制作者の思考を中心に論ずることで、制作者としての一人の人間が造形表現 を通していかに生きるか、その内実の一端を示したものである。