→保存修復・彫刻
12世紀後半の造像技法にみる構造の改変及びその目的について

 ―山形県本山慈恩寺釈迦如来坐像・
   普賢菩薩騎象像・文殊菩薩騎獅像の模刻制作を通して― 

李 品誼 

→審査委員  
藪内 佐斗司
 松田 誠一郎 森 淳一 山田 修

本研究対象の山形県本山慈恩寺釈迦如来坐像及諸尊像は、12世紀後半の制作とみられ、院政期に貴族社会に浸透した『法華経』信仰に基づく作例とされている。釈迦如来坐像に騎象普賢菩薩像及び騎獅文殊菩薩像、さらにその眷属が付属するという構成は、日本における彫像としてはきわめて珍しい群像である。
近年、東京国立博物館で行われたCTスキャン調査により複雑な構造が明らかとなったが、その目的はいまだ不明瞭な部分が多い。本研究では、あらたに透過X線撮影・3D計測等による調査に加え模刻制作を行うことによって、本像の造像技法及び構造改変の目的について考察するものである。
今回の調査により、慈恩寺釈迦三尊像の像底や矧面に陰刻線が確認され、これを3Dデータ等で検証した結果、制作上の基準を示すものであると考えられた。さらに三尊それぞれの側面のシルエットが相似することから、共通の図面のようなものがあったと推測された。ここから浮かび上がるのは、図面通りに造り上げるという計画的な造像姿勢である。その一方、細かい矧ぎ木やマチ材、木屎漆を用いた塑形など、構造の途中改変も多く確認された。これらは、制作過程における試行錯誤によって生まれたものであると考えられ、現在みられる造形表現は、制作初期のそれとは異なったものであったと推定した。
模刻制作を通して慈恩寺釈迦三尊像は当初、決まった図面に従って造像されるはずであったが、当初計画されていなかった要素が途中で求められ、様々な改変を受けることとなった。一度は完成に近づいた形を土台にしつつ、かつ図面の使用に制約されながらも、頭部をまるごと造り直したり、面部への大胆な鋸引き、マチ材や木屎漆を使い塑形する点など、臨機応変な制作態度で造形を創出しようとした作者の姿勢がうかがわれる。これらの改変をどのような立場の人物が主導したかは明らかではないが、その手法からは作者の積極的な意図を垣間見ることができる。
さらに本論では、慈恩寺釈迦三尊像にみられる様々な改変は、伝統的な造形や唐風の古典作品からの学習、また宋代絵画など、多様な要素を受容し随所にちりばめて表現するため、制作の途中段階で、造形修整・姿勢や動勢の強調・統一感の調整を行った痕跡であると考えた。