→先端芸術表現
政治と写真

 —1942年から1979年の中国写真史

宛超凡

→審査委員
伊藤 俊治
 港 千尋 鈴木 理策 古川 聖 瀬戸 正人

政治は社会のあらゆる側面に影響を与えている。そのため、現実を複製する道具としてのカメラは、政治家にも利用されることは当然である。しかし、プロパガンダ写真を政治的スローガンと空想にフィットさせる事は、上層のリーダーたちの虚栄心を満足させる一方で、一般の民衆を麻痺させてしまう。カメラを用いて世の中に存在していないものを撮ることは不可能であるが、プロパガンダ写真やコンセプチュアル写真と同じく、既存しているものとは別にもう一つの世界を作り出すことはカメラを用いれば可能であることが分かる。ここでのプロパガンダ写真はコンセプチュアル写真の中の一部に分類される。それら唯一の区別は、プロパガンダ写真が誰の内面をも反映することだ。その点、コンセプチュアル写真は写真家個人の内面世界を反映する。プロパガンダ写真は多数のカメラマンの写真を通じた支配階級の思想の反映であり、政治的な目的によって作られたそれらは、イデオロギーの投影であるとも言える。
ジョン・シャーカフスキーによると、世の中には2種類の写真がある。一つは「鏡」としての写真であり、そしてもう一つは「窓」としての写真である。「鏡」としての写真とは、写真が鏡のように写真家の内面を反射するものである。一方、「窓」としての写真とは、写真という窓を通して、外の社会に起きていることを知ることができるというものである。(*1)
本論文はこういったことを踏まえながら1942年から1979年までの中国写真史に対する整理と研究を行い、その38年間に生まれた写真を「鏡」として、当時の中国の政治イデオロギーを反映すると同時に、その38年間の写真を「窓」として、現在の我々と未来の人々がその38年間の社会現実を眺めることを目的とする。そのようにして、支配的階級は写真をどのように利用したのか、あるいは写真はどのような支配的階級の思想を投影したのかを考察する。
本論文は、以下のように議論を進めていく。
第一に、中国建国する前であり中日戦争下の1942年前後における中国写真史を述べる。まず、中国現代写真史の起点として、1942年5月に行われた「延安文芸座談会」の中で、毛沢東が提唱した文芸思想「文芸は政治に奉仕する」がどのように写真界に影響を与えたのかを論じる。その上で、戦時に中国共産党が創刊した写真画報『晋察冀日報』について、そして「写真は武器である」という理念を持ち中国共産党側の写真美学を切り開いた極めて重要な3人の写真家について論じる。
第二に、1949年10月中国建国大典の写真から1957年『中国撮影』の創刊までの写真史ついて述べる。特に1956年5月から1957年5月までの間で毛沢東が始めた政治運動「百花斉放百家争鳴」(*2)は一番重要なポイントであり、それについては深く言及する。この短い1年間は、本論文に触れる期間の中で最も言論の自由があった時代と言われている。こういった政治運動の影響で、1956年12月に中国写真家協会が創立し、翌年1957年4月に中国の初めての写真専門雑誌『中国撮影』が創刊した。
第三に、1957年の「反右派闘争」運動から1966年5月の「中国共産党中央委員会通知」までの中国写真史を述べる。特に、1958年から1962年までの中国での大飢饉が原因で起った「大躍進」の時に、当時のマスメディアに掲載された豊作の写真や強い勢いを持っていた「大製鉄・製鋼運動」などについての写真と、現実とのギャップについて述べる。
第四に、1966年5月16日の「中国共産党中央委員会通知」の伝達から1976年4月5日の「四五天安門事件」までの「文化大革命」時代の中国写真史を論じる。江青を当時の写真家の代表として論じる他、マスメディアに関わるカメラマンでありながら、それぞれ自らの独立した写真活動を行っていた3人の写真家についても論じる。また、リアリズムに回帰し始めたきっかけである1976年4月5日の「四五天安門事件」を通じて、当時の写真事情を論じる。「四五天安門事件」の後、中国における写真活動はイデオロギーによるコントロールから脱出し、政治的なテーマから離れて現実を向くようになり、リアリズムに回帰し始めたことで新時期の写真活動の展開の幕がようやく開いた。これら一連の流れについて言及する。
最後に、今後の研究方向について論じる。今後の研究方向は、アジア写真史に注目して「写真と政治」を論じようと考えている。例えば、「白色テロ」時代がある台湾の写真史や1960年代の「政治の季節」がある日本の写真史などについて深く研究したい。かつての争いが激しい時代だけではなく、今のような平和の時代の中でこそ、このテーマをさらに掘り下げる価値があると考えている。政治との直接的な関連性が比較的薄くなってきたと言える現代写真が、どのように現代の社会問題と政治問題を反映しているかについても研究していこうと考えている。

(*1)p.25, John Szarkowski (1978) Mirrors and windows: American photography since 1960, The Museum of Modern Art
(*2)百花斉放百家争鳴とは、多彩な文化を開花させ、多様な意見を論争するという意味である