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“ナラティヴ”の発現-「受け取り」による作品化-

越後 正志

審査委員:
保科 豊巳 佐藤 道信 O JUN ミヒャエル・M・シュナイダー 森 弘治

 本論文では、私が「忘れられた私以外の個人の物語」を見つけ、「物語」の象徴物の「直のやり取り」を行うプロジェクトを“ナラティヴ”と呼ぶ。本論文は、自身の芸術表現を「“ナラティヴ”の発現」として、その創作論について述べたものである。
 私が心を揺り動かされるのは、「現場」で生まれる「直の人と人とのやり取り」である。プロジェクトには、常に私と「私以外の個人」が相対する関係がある。プロジェクトを行う場で、私は「私以外の個人」の現在から過去へ遡り、「忘れられた私以外の個人の物語」と「物語」の象徴物を見つけ、「私以外の個人」と「物語」の象徴物の「やり取り」を行う。本論文では、場や「私以外の個人」の現在と過去の相対関係を、「こちら」と「あちら」と総称した。私は2009年から2018年にかけて、「私」と「私以外の個人」、「こちら」と「あちら」の2つの相対関係を基に、幾つものプロジェクトを行ってきた。これらのプロジェクトにおける「忘れられた物語」の象徴物は、「借りる」「シェアする」「貰い受ける」という3つの方法でやり取りを行った。本論文では、この3つの方法を「受け取り」と総称している。
 本論文は、以下の構成から成る。
 第1章「“ナラティヴ”における2つの相対関係と『受け取り』の変遷」では、まず第1節「2つの相対関係」で、プロジェクトの基本となる、「私」と「私以外の個人」、「こちら」と「あちら」の2つの相対関係を説明した。次に第2節「『受け取り』の変遷」で、2009年から2018年までの15件のプロジェクトについて、それぞれの概要と各「象徴物」、時系列の流れを解説した。そして、時系列に沿って「借りる」から「シェアする」、「貰い受ける」へという、「受け取り」の変遷があることを確認した。
 第2章「『私』と『私以外の個人』、『こちら』と『あちら』」では、「受け取り」の変遷について、3件のプロジェクトを中心に取り上げて考察した。第1節「直のやり取り:『私』と『私以外の個人』-『鳩小屋』プロジェクト」では、「私」と「私以外の個人」の「直のやり取り」が、現場でのインスタレーションに結びついていることを明らかにした。第2節「時代性:『こちら』と『あちら』-『電照菊とたばこ葉』プロジェクト」では、「直の人と人のやり取り」によって、当事者のような関係の物事となった「電照菊とたばこ葉」プロジェクトについて述べた。その後「味噌作り」を習ったことが、「受け取り」が変遷する契機となったことを明らかにした。第3節「世代:時代を超えて残るもの-『鱈とわかめ』プロジェクト」では、「時代を超えて残るもの」が、家庭料理のレシピからアート表現まで、形を変え、人から人へ世代を超えて存在していること。そして私の場合は、「私以外の個人」「場」「時代」のアイデンティティの受け取り方法として、「貰い受ける」ことが最も理想的な「受け取り」であることを確認した。
 第3章「アイデンティティの『受け取り』:貰い受けること」では、「貰い受けること」による「私以外の個人」「場」「時代」のアイデンティティの受け取りについて、近年の2件のプロジェクトを取り上げた。第1節「『残るもの』と『残すこと』-『バラ』プロジェクト」では、2016年から2017年に行った「バラ」プロジェクトを取り上げ、モノではない形で「残るもの」として写真、モノとして「残すこと」として鋳造について考察を行った。第2節「アイデンティティを見つめる-『おとりもち』プロジェクト」では、「語り」が、「忘れられた私以外の個人の物語」を記憶から呼び起こす有効な手段として働き、「私以外の個人」「場」「時代」のアイデンティティが、「忘れられた私以外の個人の物語」と結びつくことを確認した。そして、インスタレーションで「忘れられた私以外の個人の物語」に焦点を向けるために、「貰い受ける」対象を「個人」に絞ることを課題としてあげた。
 第4章「“ナラティヴ”の発現:博士展出品作品『目を閉じて』」では、まず第1節「『中国製』プロジェクト-3着の『服』の『受け取り』」で、2018年中国・北京市で行ったプロジェクトの経緯と概要を説明し、現地で得た2つの「語り」について解説した。そして第2節「“ナラティヴ”の発現:博士展出品作品『目を閉じて』」で、博士審査展での「中国製」プロジェクトの作品化と“ナラティヴ”の発現について述べた。
 結論では、「私以外の」人々を巻き込んだプロジェクトの実現こそが、私の創作の原動力であることを確認した。そして “ナラティヴ”は、「私」と「私以外の個人」に埋もれることのない「わからなさ」の可能性と未来を鑑賞者に伝えることであることを述べた。
油画

“ナラティヴ”の発現-「受け取り」による作品化-

越後 正志